37 posts categorized "身体論"

背骨ゆらゆら健康法

このブログでも何度か登場した、禅密気功。

禅密気功にはいろいろな功法があるが、背骨をゆらゆらさせる築基功がなんといっても基本。これだけやっても十分。

短期集中セミナーもあるが、東京へ泊まりがけというのも大変なので、行ったのは築基功だけである。その他はDVDで学習。いろいろやってみた経験を書いて禅密気功事務局に送ったら、会報に掲載された(汗)

背骨の気をゼリー状にしていくということと、頭頂と密処(第一チャクラのことをこう呼ぶ)をつなげるラインを意識することの経験を書いたのだった。

簡単なように見えてかなり奥が深い。

「気功の本」としては、前に書いたように、『気功革命』がおすすめなのであるが、「功法」としては、禅密がいちばんだと思う。霊的なワークの基礎になる、という意味で。

4861101271 背骨ゆらゆら健康法―自分でできるお手軽気功術
朱 剛
春風社 2007-10

こちらの本は、意念の使い方をよく説明してあり、参考になる。

ただ、築基功だけで全身のほぐしをやろうとすると、かなりたくさん動く必要があるので、ほぐしの部分は、ヨガなどを併用する方法もありそうである。

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太極拳再開

最近、エネルギーレベルでの負荷が大きくなる時期であるため、エネルギー的なメンテナンスを、真剣に考えないといけなくなっている。調和が乱れてくると、そもそもバランスを取るための行動をしようという意欲や意志までが低下するため、そうならないうちに手を打っておかねばならない。

クイントエッセンスやポマンダーの継続的な使用も不可欠だ。

さらに適度な運動も望ましい。特に下半身にある程度の負荷をかける運動がよさそうなので、久々に太極拳を再開しようかと思っている。

このところ太極拳を休んでいたのは、近隣には良い指導者がいないというか・・形ばかりで、気のレベルで教えてくれるところがないため、教室に行くというのは関心がなくなってしまった。東京や大阪ならあるのだろうが・・

そこで、前に買った中国製のVCDというものを出してきた(DVDではない)。伝統楊式のVCDは何種類か買ったのだが、いちばん参考になるのは李正先生による6枚組みである。型は、私が習ったのと少しだけ違っているところがあるが、そこはあまり気にならない。解説が詳しく、いろんな角度から何度も反復してやってくれるので、覚えやすい。特にいいのは意念による勁力の使い方を話してくれることである。もちろん太極拳初心者がこれで覚えられるわけではないが、ある程度制定拳をやった人ならできるのではないだろうか。これを夏休みには少しずつすすめて、夏の終わりには楊式を一通りマスターしようかと計画する。十分に腰を入れて動くということと、微細な勁力の運動を意識しつつ、というテーマである。

言い忘れたが、このVCDはもちろん中国語である。私は中国語ができるわけではない。しかし、「右足」「前に向かって」「45度回る」など、わかる単語を拾っていくと言っていることの四割くらいがわかるのであまり問題ない。今の中国という国はかなり問題ある方向に進んでいるが、もともと私は気功や太極拳が好きであったので、中国語も多少は習ったことがあったのだ。それにはある程度時間も費やしたので、この程度活用しなければ元が取れない。

これも広い意味では、銀河意識に向かうための自己ヒーリングの一環ではある。

中国武術は北京五輪の特別項目なるものになった。これも中国の国際的地位を上げようという上層部の策動なのだが、体操競技のように点数を競うようになった太極拳などが、はたしてその本質を伝えるものであるのかどうか。北京式の制定拳をかなり習った私としては、その限界も感じないわけではない。中国ではどうだかわからないが、日本ではほとんどが「型」しか教えない教室ばかりで、微細身体性レベルに入りこむことはない。

本当は、内的なエネルギーの流れが知覚できるようになってからが、本当に面白くなるところである。たとえば、動きのラインが数センチずれただけで、内的な気の流れがまったく変わってくることがあるのだ。だからこそ、正確な動作をすると、それまでに経験したことのない気の流れが微細エネルギー場に発生したりもするのだ。ま、これからそういうことをジミに追求しようかというところである。

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ピラティス再入門

ひさびさにピラティス本・・『ゆがみを直すピラティスレッスン』というDVDつきの本を買ったが・・これ、ものすごくいいですね☆

ていうか、私がピラティスに注目してちょっとやったのはもう3,4年くらい前なのかな? その頃はピラティスが入ってきたばっかりで、日本語によるDVDなどはそんなにいいのが出ていなかった。私も英語版のを買って始めたのだが・・ 最近のピラティス本の爆発的な増加はどうであろうか。ヨガブームとも連動しているのだろう。

この本はまず「ゆがみを直す」というのがいい。ピラティスの本質はそこにあると思うからだ。たしかにお腹周りが引き締まるという効果もあるので、それを求めて始めるのも間違いではない。何を隠そう、私がひさびさにピラティス本を買ったのも、ウエストのサイズをあと一段階下げられないかな、という動機も混じってはいたわけだが・・(笑)

しかし、私がワークの上で、身体レベルで最も注目しているのは「中心軸」の問題で、エネルギーワークにしても、また霊的なワークにしても、それがすべての基礎となる。また高岡英夫のセンター論などを引くまでもないことである。禅密気功に注目しているのも中心軸にフォーカスする技法だからだ。

となれば、近代的身体技法の中でも最も中心軸にフォーカスしているピラティスに注目するのも当然といわねばならない。ピラティスは、骨盤のゆがみを直すことで中心軸を通していくのだ。それは、骨盤の周りにある深層筋肉のエクササイズによって可能となる。

とまあ、そういう理論的知識はすでにあるわけだが、実際にやってみると、日頃中心軸に気をつけているとはいえ、まだまだゆがみはあるな、と実感する次第である。

この本は「やせる」という売れそうなタイトルをあえてとらず、「ゆがみを直す」という点を正面に据えているところが大変好感の持てるところである。そして、DVDの説明が非常にわかりやすいので、ありがたい。

ピラティスは大変にサトル(微細)な身体感覚を要求する技法でもある。なので、身体技法の世界に本当に初心者の人は、最初は教室に通って要領をつかむ方がベターかもしれない。

とはいえDVD書籍としては、この本は相当なるおすすめといえる。もっとも、最近は同レベルの本もいろいろ出ているのかもしれないが。

「身体論」カテゴリーの記事は何年ぶりだろう・・?
私にとってそれはすでに、ヒーリングやスピリチュアルと一体のものなのだが。

言い遅れたが、私が以前ピラティスをやったときは、4ヶ月で5キロ位やせたと思う。
そういう効果のほどは実証済みである。

(※注 : ひとこと、断っておきたいのだが、私は自分のやっているワークのすべてを、ここで公開しているわけではない。ここではあくまで、初心者がやっても危険のないようなものだけをチョイスして紹介している。私がこういう初心者的なことばかりやっていると誤解する人がいるので、蛇足だが書いておく)


4816340785DVDではじめるゆがみを直すピラティスレッスン―1日10分セルフ整体でキレイ&元気になる!
石川 英明
ナツメ社 2006-03


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身体性について、など

ひさびさに論文らしきものを書き始めている。これは、考えをまとめるための手段だが、書けたらせっかくなので学術誌に出すと思う。最終的には本にするもので、前作にくらべ、もう少し現象学的な思考の意味と、それからヒーリングエネルギーの位置づけというテーマを含めていきたい。それをまたたとえば対話体とか、ごくわかりやすい文体レベルまで落としこむのである。ヒーリングエネルギー、「気」についてはたとえば湯浅泰雄『気とは何か』などがあるわけだが、今にして読むと、湯浅氏の現象学理解は、存在論的な理解を欠いている。いってみれば宗教現象学とか、そういう意味での方法論的な現象学ととらえているように見えるので、気の問題が結局は存在論の問題まで行くということがまだ明確になりきれていない。メルロ=ポンティの身体論についてみても、「無意識的凖身体」とかいっていて、かなりいいとことらえてはいるが、メルロ=ポンティのいう身体というのは世界現実の生成そのものだという視点がもっと出てほしい。身体性のレベルの一つとして「無意識的凖身体」をいうだけではまだ不徹底ではなかろうか。

根源的な身体性とはもちろん肉体(対象化的認識が可能な身体)ではないわけで、そこで「微細な身体性」というコンセプトが導入されうることになるので・・こういう思考は面白いと思うんだが。

しかし、このようなことを言っても誰も理解してくれないんですよねえ・・ 哲学と「気」の両方がわかるなんて人はいないんですかね? ともかくメルロ=ポンティかハイデッガーだけでもいいから完璧に何を言ってるのか理解して、しかもその上で、実際に気や微細エネルギーの身体感覚とはどういうものかを理解してごらんなさい・・ってやっぱりそんなヤツはいないって(苦笑)

というわけで、新たな視角によって『気とは何か』が書かれるべきである(求む出版社・・ものすごくやさし~く書きますから(笑))。

ところで前回も書いたように、エネルギーを落ち着かせるのに音楽療法をしているが、きょうはめずらしく古楽でいった。つまりルネサンス期の音楽。ビクトリアの「ミサ・アベ・マリア」とパレストリーナの「エレミアの哀歌」だった。
普通に聴けば退屈このうえない音楽だが、瞑想状態に入って波動を浴びる感じ。なかなかグッドだった。特にパレストリーナ(プロ・カンツォーネ・アンティカの演奏)はいい。何年ぶりに聴いたか。

それから例によってガーデニングなどはグラウンディングには最適である。

アマゾンにもあったので、のせておく。
波動で聴くべし。

Palestrina: Lament.Of JeremiahPalestrina: Lament.Of Jeremiah
Pro Cantione Antiqua


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ローコストの身体技法

最近の「研究」は、理論方面ではなく、もっぱら実践方面にある。理論方面では、最近訳されたアンリの大著『現出の本質』に取り組みたいが、今のところとてもそんな時間はなく・・冬休みまでお預け。ストレス解消をかねて実践研究である。

高岡英夫がブレイクしたのは『身体意識を鍛える』かららしいが、その後の本の出方はものすごい。まあ、内容的には大きな違いはないので、全部をそろえなくてもいいと思うが、そんな中で、

4774506877仕事力が倍増する“ゆる体操”超基本9メソッド―「身体経営術」入門
高岡 英夫


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これはアマゾンレビューで「彼の知られざる過去が書いてある」というので読んでみた。信じられない話だが、大学時代はほとんど鬱病状態だったというのだ。それをゆる体操で脱出したという。あと齋藤孝の内弟子生活のことも書いてある。このことを読むだけなら、立ち読みでも十分であろうが・・

相変わらず自慢話みたいなことが書いてあるが、ともあれ、身体能力にかけては天才であることは間違いない。何かの競技に集中すればオリンピックでメダルを取るくらいのことはできただろう。彼にしてみればオリンピックの金メダルなど大したことではないのである。

それはともあれ、この本で私が印象を受けたのは「ローコスト」というコンセプトである。ゆる体操はどんなに疲れていたりやる気がないときでもできる。つまり、ヨーガとか気功法、その他、やってみれば効果の高いテクニックはたくさんあるが、問題は、そのような技法をやることもできないほど心身のレベルが低下してしまうことがある、ということ。これは私も知人にそういうケースがあったのを知っていて、瞑想の経験もあり、また武術も長年やっていて、セルフヒーリングの技法もある程度知っているのだが、あまりに急激に心身のレベルが低下して(ひどい「受け」が一因らしいが)、そのようなセルフヒーリングをやったり、エネルギーの良い場所に行ったりする気力さえ出なくなってしまった。そのまま何もしないでいると、坂道を転がるようにますます悪くなって、どん底から数ヶ月も立ち直れなかったのである。そういうときには徹底的に「ローコスト」、つまり限りなく「それをやるために努力や気力」がゼロに近い技法が必要になるのである。

私は、一定レベル以上には落ちないように気をつけているが、それでも寝る前などは何かやりたくてもだるいこともあり、そういうときにはこのゆる体操(特に「寝ゆる三点セット」)が役に立つのである。

たとえば『気功革命』に出ているタントウ功だって、やりさえすればものすごいリターンがあるものだが、それをやり続けることができない。いくら優れた技法でもやり続けられなければ元も子もないのだ。タントウ功はハイコストハイリターンの功法だろう。スワイショウはこれに比べるとややローコストだ。それでも十分以上続けるのはちょっと意志が必要だ。禅密気功の築基功はすごい効果の高いものだが、これもハイコストの功法といえる。つまり、むずかしい。覚えてやりさえすればそのリターンはものすごい(禅密気功の話はまたいずれ)。だから、あまりにもレベルが下がってしまった人には向いていない。やろうとする気力をふりしぼってもできなくなるのが病人というものである。がんばれと言われてがんばれるくらいなら何も苦労はしないわけである。だから、最低レベルのエネルギーがある人にはたくさんの方法があるが、その最低線さえも下回ってしまった場合は、そこから抜け出るには徹底したローコストの技法があることを知っていなければならないわけだ。こういうことを強調するために高岡はあえて自分の体験を語ったのであろう。

この本で紹介されているのは9つのゆる体操である。それがローコストである順に3レベルに分類されている。
ビジネスマン向きに書いてあるが説明は悪くない。ただゆる体操の解説紹介としては、いま入手不能の「DVDでゆる体操」を超えるものはない。この本の価値を知る人は知っているのか、古書市場ではものすごい高値で取引されているらしい。

479664198X高岡英夫のDVDでゆる体操
高岡 英夫


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それと、私がゆる体操の中でも注目するのは「呼吸ゆる」である。これはかなり奥深いところまで行ける身体技法だ。『仕事力・・』の本には出ていないが、たくさんあるゆる体操の本から選ぶときには「呼吸ゆる」が掲載されているものをお勧めしたい。

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秘伝について

「秘伝」について・・

「拳児」ワイド版第五巻315ページ~ 台湾の蘇老師は、拳児に馬歩站庄をやらせ、そして氷や火の玉をイメージさせる。

蘇老師: ただ漠然とやるよりも、イメージすることによって効果が異なることがわかったかね? ただし、正しい段階でやらなければダメだ。
拳児: わかりました。
蘇老師: 同じ套路を学んでも、ただ形だけを学ぶ者と、それにともなうイメージを学んだ者とでは、練習の効果や内容が異なってしまう。
拳児: それが秘伝なんですね。
蘇老師: そうだ。秘伝を授けられたものと形式だけを学んだものとでは大きな違いが生じるが、外見からは判断できない。我々の八極拳には、姿勢、動作、呼吸、技の用法のすべてに特別な秘訣があり、それは学ぶにつれて段階的に変わっていく。劉老師から正式入門の許可を得た拳児は、これからそれを修行するのだ。
拳児: はい!

やはり秘伝とはイメージ法だったのだ。それは固定したものではなく、修行の段階ごとにあるのだということ。
よい師につくということは、ここの差なのである。そういう秘伝は弟子の段階にあわせて口伝で伝えるのが中国の伝統であるらしい。今まで出ている気功や武術の本なども、すべてそうした前提の上で、少し上級のイメージ法は一切書いてないと思わなければならない。本というのは自分の弟子になることを誘うための便法にすぎないのかもしれない、と言ったら言いすぎであろうが・・ 『気功革命』が「革命」であるゆえんはそういうことなのである。

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本二題

なんか最近、読書メモのページと化してきた。

4056035024中国武術の本 幻の拳法と奇跡の技の探究
藤巻 一保 松田 隆智


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学研ブックスエソテリカの一冊で、このシリーズの基本的なフォーマットの通りに作られている。有名な武術家の列伝、各武術解説、最後には実践編、それにいろいろインタビューなども織り交ぜ・・という感じだが、私は「拳児」を読んだ後だったのでかなり楽しめた。というのはこのマンガの登場人物のモデル、実物や各拳法などがたくさん登場してくるからだ。台湾の劉老師とか写真を見るとマンガにそっくりだし・・ 蘇老師も実在の人物でしたか。まあこれも、「拳児」の原作者である松田氏が監修しているのだから当然と言えば当然か。巻頭の松田氏へのロングインタビューは、「拳児」の背景をうかがわせて興味深い。「武術には精神性はない。武術の道を行き着いたところに精神の世界がある」という意味のことを言っていたが、なかなか意味深長だ。ほかならぬ松田氏が「武術とは戦いのための技術に過ぎず、それ自体には精神性はない」と断言しているのは重い意味がありそうだ。

この本によると楊式太極拳の楊露禅も、実戦としては陳式太極拳を教えており、楊式は文人に教えるためのものだった、ということだが・・ 私は楊式をやっているが、これがどこまで実践的な拳法たりうるのか、正直言うとまだよくわからない。たしかに、内部の勁力を強めればそれなりのパワーは持ちうるであろうが、私がやっているものはあくまで「武術のマネをすることによって気の力を強める」という段階のものであろう。

4434044303気功革命―癒す力を呼び覚ます
盛 鶴延


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『気功法の本』の巻末に出ていた盛老師の気功法にかなりのパワーを感じたので買ってみたが、これは期待以上である。私もずいぶん気功関係の本をたくさん見てきているが、明らかに、気功法の本としては他を圧してダントツに優れたものである、と断言することをためらわない。そのくらいよかった。どこがいいのかといえば、ほかの本はだいたい気功の原則と、あとはやり方の説明が出ているくらいのものが多いのだが、この本では具体的なイメージの持ち方と、そこで出てくる「気感」をどう広げていくかということの説明が詳しいのである。こういうことはふつうは本には書かず、弟子にだけ教えてくれるものであるらしいが・・ 「秘伝を惜しげもなく公開している」というのは決してウソではない。というのも、上の『中国武術の本』にも出てきたが、実際に、秘伝といわれているものは何か特別に難しい秘法のようなものではなく、ちょっとしたイメージの持ち方のようなことを教えてくれるものであるらしいのである。それは言われてみればどうということもないものだが、しかし言われなければ決して気づかない種類のもので、それを意識してやると練功の質がぐーんとアップしていくというようなものであるようだ。例えばその『中国武術の本』では、「馬歩で立つときにある臓器の位置を意識する」ということが秘伝だったという話が載っている(何の臓器かは本で公開するはずがないが)。『気功革命』ではたしかにそういう感じのコツのような情報がいろいろと載っている。その価値はたぶん、多少気功をやってきた人のほうがよくわかるのかもしれない。ともあれここから気功に入門するのも理想的だし、またこれまで多少気功に親しんできているが、どうも今ひとつよくつかめないという人にも最適かなと思う。(気功師として優秀な人は盛老師のほかにもいろいろいると思う。ここでいうのは「気功法の本」としては最高レベルだということである)

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身体論路線

また身体論路線への興味が再燃。

4341018310自律訓練法
佐々木 雄二


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一冊目は自律訓練法。佐々木先生は学会で会ったことがある。なかなかイイ人である。穏やかで、患者思いのお医者さんという感じである。自律訓練法というのはシンプルであるが、有効な技法として知られる。CDも出ているが、本だけでもできそうだ。つまりはイメージ法である。自律訓練法には基本メニューと、その人ごとのいわば特注のメニューを作れるそうだが、その特注というのは要するに「アファメーション」と同じことである。きわめてリラックスした状態でポジティブな言葉を発し潜在意識から変えていくというやり方である。それが、否定形ではいけないとか、現在形でなければいけないというのが、いわゆる精神世界で言われていることと全く同じである。ダイアーなんかもよく言っていることだが、基本原則というのは同じなんだと思った。ともあれ自律訓練法とはどういうものかを知ってやってみようというのにはこの一冊で十分だろう。イメージ法が自分では出来にくい人は佐々木氏の作ったCDを利用すればよい。

4062572230姿勢のふしぎ―しなやかな体と心が健康をつくる
成瀬 悟策


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4062573350リラクセーション―緊張を自分で弛める法
成瀬 悟策


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成瀬先生の二冊。成瀬先生は有名である。私でも名前を知っているくらい。自律訓練法を日本で初めて紹介したのも彼だという。上の二冊はなかなかの好著である。『姿勢のふしぎ』では、動作療法によって心理的・精神的な問題もかなり治ってしまうことが紹介されている。これまでの心理療法があまりに「身体」を軽視していたのではないか、という鋭い指摘がなされている。人間はまず身体運動によってこの世に定位する、という当たり前の事実から人間存在を考えさせるものがある。最後には、こういう身体への気づきということが全く学校教育ではないがしろにされている、という指摘もあるがつくづくと同感する。ただ『姿勢のふしぎ』では実践的なものは少ない。

『リラクセーション』では、「自体軸」という概念がポイントとなる。これは高岡英夫が言っている「センター」であり、中心軸のことだ。人間がいかに自分でゆがみを作り出しているか、ということが述べられ、そのゆがみをとるための体操的なものが多く紹介されている。これはもう、日頃から気功、整体、ヨーガなどに関心を持っている者にとってはひじょうに共感しうるアプローチである。自分の身体を整える必要に気づくというのは、意識レベルの気づきにおいても一つの大きなポイントであろう。高岡英夫のゆる体操も、ヨーガのポーズも基本的に同じ発想に立つものだろう。

こういう、からだのゆがみを矯正するシステムとしては、世の中にヨーガほどすぐれたものはないと思うが、成瀬氏のヨーガ論を聞いてみたいところだった。ヨーガについては触れられていない。

気功とヨーガはそれぞれ特徴があり、一方が他方の代替にはならないだろう。ゆがみ直しについては気功よりもヨーガに一日の長があるような気がする。気功をやっても初心のうちはあまり気が感じられないことが多いが、そういうときはヨーガを少しやっていくと気が感じられるようになるだろう。感じ始めたら、あとはむしろ気功的な方法でその気を動かしていく技法のほうが早いのではないか。そんな感じで併用していくと効果的ではないかという気がする。

『リラクセーション』で述べられているのは、きわめてゆっくりと動かしていく手法で、ヨーガやゆる体操とはまた違いがある。こちらも研究してみたいと思う。

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ヨーガビデオの話

綿本彰サンの『シンプルヨーガLesson』DVDつき、ってのを買ってあるが・・これ、シンプルとはいっているがどうして、なかなか本格的です。たしかに「教室そのままレッスン」と言っているだけはある。準備体操から呼吸法、アーサナからリラクセーションまで40分みっちり。アーサナは意外ときつい。むむ・・これ、初心者向けなんですかね? たしかに、ひじょうによくできていてよく効く。しかし通してやるとかなり汗をかく感じ。教室のレッスンだから週一回やる、って感じになってしまう。かくいう私はこれがなかなかいいということは認めつつ、ちょっと大変なので、もっとラクな「AM Yoga」に行ってしまう。毎日やるには、これじゃあカンタンすぎない? っていうところから始めるのがいいのでは、と思う。このAM/PM Yogaなどのシリーズとか、あるいは Yoga Workout for Dummies なんかのアメリカのヨーガ入門ビデオでは、世の中にはびっくりするほど体の硬い人がいるっていうことをどこかで意識した作りになっている気がするが、日本のヨーガものというのは、からだの調子がよくなくて「健康」や「体質改善」を求めてやるというよりは、明らかに、いまのところからだに悪いところはないが、もう少しやせたいという「美容」のニーズに焦点を合わせている気がする。もちろんアメリカでも美容のヨーガというのはあるんだけど。でもなんとなく、日本では「私はカラダが硬いからヨーガはできない」なんていう考え方が多い。これはすごく間違っているのであって、カラダが硬い人こそヨーガをやると変わるはずなのだが、日本のヨーガに対するイメージというのは「健康で体の柔らかい人がさらさる美容を求めてやるもの」という方向になりがちではないか、という気がするのだ。というわけでヨーガの本やビデオを求める人にはからだの悪くない人が多くて、やっても全然疲れないような軽すぎるものではかえって人気が出ないんじゃないだろうか。

パワーヨーガというのもそういう路線である。アメリカでもパワーヨーガははやっているから日本だけの現象ではないけれども、私が言うのは「これじゃ簡単すぎる、ってレベルで毎日やる方がいいんだ」ということ。その手のビデオがあんまり日本語版ではお目にかからないなあ・・ということを言っているわけ。やっぱり「健康な人がさらなる美をめざす」系のものが多いんじゃないか、と。綿本サンもやっている「プチヨーガ」というは、「簡単すぎるものを日常的に」っていうコンセプトなんだと思うけど。本格的なのを週一回やってあとはやらない、ではダメなのよね。それでもぜんぜんやらないよりはいいけれど。

でもこの「シンプルヨーガLesson」がいい出来だということは認める。途中でちょっと音声が不鮮明になるところがあるけれど。ちょっとかじってみる、というより本格的入門としてのオススメというところかな。

なお、DVDではなく「和書」のカテゴリーである。

4405081867シンプルヨーガLesson―DVDで覚える
綿本 彰


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身体感覚の精密さについて

ヨガのビデオ(DVD)はアメリカのガイアム社 (http://www.gaiam.com/)のものをたくさん持っていて、ロドニー・イーのもここから出ている。欧米のヨガブームの中でもガイアムは定番ブランドなんだそうだ。私は綿本彰のパワーヨーガDVDも持っていて、それも悪くないが、これはスタジオでモデルにやらせている。綿本DVDのいいところは、綿本サンの指導する声がかなり気持ちいいところだろう。スタイリストがいるのか、服装も女性にアピールするようパーフェクトに決めてますね。ガイアムのビデオは、ハワイとかデスバレーとかものすごく景色のいいところで撮影していて、音楽もマッチし、環境的にすごくリラックスできるところだ。教室風の雰囲気がいい人は綿本、バックグラウンド的なリラックス効果も求めるならガイアムというところだ。今度また、ガイアムの AM PM Yoga というDVDを買った。私はリージョンフリーのDVDプレーヤーを持っているので不安なく買ったわけだが、別にある普通のソニー製DVDプレーヤーで試したところ問題なく再生できた。アマゾンのサイトにはリージョン1で日本製では再生できませんと書いてあるが、実際にはリージョンの制限は入っておらずリージョンフリーらしい。これが他のガイアムの製品すべてがそうなのかはわからないが、そういう可能性も高いだろう。リージョン制限などは映画など著作権からみのもので、こういう自社制作のフィットネスビデオなどには制限など実際にはないのかもしれない。

それはともあれ、AM の方はものすごく簡単で、起き抜けに体が硬い時にやるためのものなのだろう。またもハワイのビーチである。このDVDにはロドニー・イーとパトリシア・ウォールデンのインタビューがおまけとしてある。これがなかなかよかった。パトリシアは、ヨーガとは mindfulnessの訓練であって、今の瞬間における自覚を高めることであると言う。そういう意味でのspiritual practiceなのである、と。今・ここで起こっていることすべてに気づいている状態、これが基本ですね。スピリチュアル・プラクティスといっても、体外離脱をして異次元世界を体験するというようなことではない。そういうのも否定はしないが、今・ここの意識という基本をおろそかにしてそういうことばかり興味を持つのはかなり危険であると言ってもいいかもしれない。ガイアムのHPでも、ヨーガの主目的は心の安定であると書いてあった。Eckhart Tolle の The Power of Now の世界であろうか。これのみでは物足りないが、これをまずおさえねばならないというところだろう。私は、岩田慶治のものもたいへん気に入っている。これがいいところは、そうしたスピリチュアルな自覚――つまりそれは、日常の根底につねにひそんでいる無限性を直観するということだと思うのだが――というものが、日本の伝統的な感性(アニミズム的感性)とうまく融合して語られているという点である。無限性というのは、切れ目がないということでもあり、つまりそれは最終的には、「全宇宙が一つの生命体である」という直観へと導かれていくものであるはずだ。その道のスタートとなるのが、今・ここで自分が「存在している」ということを十分に意識するという、いわば「存在意識」というべき微細な感性を発達させることだと思うのである。ヨーガは根本的にはそういうことのためのトレーニングなのである。

つまり身体技法というものは、身体感覚を精密にしていくためにある。身体感覚が鈍麻している状態で、いくら「宇宙は一つの生命体・・」と聞かされたところで、一つの考え方としてはわかるが何の実感も伴わないものになるだろう。私たちは、「わかる」とはどういうことなのかをもっと深く考えねばならない。「わかる」ということがあまりにも、受験勉強的なスタイルのみに限定されてしまっている。本来ならそういう「わかり方」というのは、自然体験や人間関係の体験からわかっていくものだろう。いまの学校教育の身体疎外はひどいものだと思う。体育というものがあるが、あれは実質的には英語や数学などと同じ構造で、ある一つの価値基準を絶対化して、一握りの勝者と大多数の敗者を生み出すような、プロのアスリートを頂点としたヒエラルキー構造に組み込まれたものにすぎない。はっきり言ってスポーツなんて大多数は体に悪いのである。プロ選手なんてほとんどがボロボロの体ではないだろうか。テニスなどすると利き腕ばかりが長くなってしまってバランス的にかなり問題が出てくる。その反面、ほんのちょっと体操や呼吸をすることによって自分の気分の浮き沈みをコントロールするという、その程度の身体スキルさえ、今の人間は持てなくなっている。まして、深い呼吸によって広い宇宙との一体感を得るなどという技術があるなどということは、ほとんどの体育教師の考え及ばないところであろう(齋藤孝の『呼吸入門』も、こうした一体感についてはっきり語っている)。身体に関する洗練された思考などほとんどどこにもない。粗雑なものを洗練していくのが教育であるのだが。ここでも「精密なわかり方」というのはどういうことか、を考えねばならないのである。

「身体を通して宇宙・世界についての精密な理解を得る」とはどういうことだろうか。その一つの考え方として、「身体は物質だけではないことに気づく」というところがポイントであるような気がする。では何かというと、身体は物質でもあるが同時に「エネルギー場」でもあるということだ。身体を精密なエネルギーのフィールドとして感じる。これは頭でそう思うだけでなく、実際に本当にそのように感じることができるようになること。そのためにトレーニングがあるのである。気功のテーマはまさにそれである。ヨーガも、一見すると肉体レベルのエクササイズのようだが、実際には肉体を通してエネルギーレベルの自覚を高めるシステムなのである。エネルギーレベルで、自分の身体と宇宙とが交流している感覚をつかむことがポイントである。そういうベーシックな感覚ができてきてはじめて、「日常的現実にぴったり沿うように、巨大な無限性が存在する」という言葉の意味が理解されるだろう。一挙手一投足が、きわめて普通の日常性の中にあると同時に、どこもかしこも通底した巨大な拡がりの中に存在しているという感覚があるのだ。私が無限性と言っているのはそういうことだし、その意味で、世界への扉は今ここに開かれているはずなのである。しかし、「わかる」ことは簡単ではない。そのような「わかり方」は、学校で教わることはできないからだ。そうした感覚能力は、人間の可能性として潜在しているはずだが、この人工的な生活環境では、トレーニングなしに呼びさますことができないのである。

ま、というわけで、

B00007JME6Am Pm Yoga
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ヨーガの呼吸法

というわけで、突如としてまた身体技法マイブームとなったが・・ きょう買ってきたのは、綿本彰センセイの『ヨーガ式呼吸レッスン』だが、いいじゃないですか、これ。ヨーガの呼吸法についてのいい本というのはなかなかないが、これは指導CDつき。ヨーガの「完全呼吸法」なんか、これほどわかりやすく説明してある本は初めてだった(実際のヨーガの講師からもこういう説明は聞いたことがない)。綿本センセイのいいところは、「ムーラバンダ」つまり会陰の引き締めの重要さを力説していること。こういうことをはっきり言っているヨーガ指導者って意外と少ないんですよね。会陰を引き締める呼吸法なら、高岡英夫の『DVDでゆる体操』にも「呼吸ゆる」として会陰引き締めと呼吸を合わせるやり方が紹介されているが・・これは初めての人にはちょっとむずかしいところ(この本も入手困難だし)。この『ヨーガ式呼吸レッスン』は、覚えるべきこととしては多くはないが、基本の完全呼吸法をしっかり理解するにはとても優れている。ちなみに綿本サンのパワーヨーガのDVDなんかもお勧めできるものである。

440509120X免疫力を高めるヨーガ式呼吸レッスン 音声CD付
綿本 彰


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ダイエットと運動

最近、運動の必要を感じる。ゆる体操はよくやっているが、結論からいうと、ゆる体操のみではダイエットまでの効果は出にくいのではないか。健康にはいいだろうが、それだけでお腹をひっこませるというところまでいくのかどうか。そんなわけで、太極拳は別にして、ピラティスを再開することを考えた。数ヶ月ピラティスをやっていたらたしかに数キロ減った。やはりちょっときついというくらいの負荷をかけなければ体重は減らない。ゆる体操だけだと、お年寄りなどは別として、一般的にはちょっとダイエットの手段としては楽すぎる。私は、ゆる体操だけに絞ったら体重がまた増えてきてしまったのである。

前から持っているキャシー・スミスの Pilates for Abs を久々にやってみたがなかなかいい。私はこれと、ミシェルちゃんの Pilates for Dummies をとうぶんとっかえひっかえ続けようかと思う。もっとも、いろいろほかのを買ったりもしてしまうかもしれない。よく、運動を始めようと思い立ったりすると、高価で重い運動器具を買い込んだりする人がいる。しかしそれが続くということは少なく、器具が邪魔になることが多いというのはよく知られている。思うに、そんな機械を買うより、よいビデオ・DVDに投資すればいいのだ。器具を使わなくてもできる運動などいくらでもある。ダンベルなどごく安価な道具を使っても相当のトレーニングはできるのだ。それに、たとえ飽きたとしてもたった数千円くらいのロスですむのである。日本で出ているDVDなんかは、アメリカの倍くらいの値段がするのはちょっと問題だが・・ 日本語がいいという人はやはりメルモンですかね? 私はDVD見たことはないが、本はなかなかよかった(しかし、本だけでやるのはやはり面倒なのであまり使っていないのであるが)。「ピラティス・ダイエット」ってのが売れてるみたいである。

英語ができる人は、リージョンフリーのDVDプレーヤーを手に入れるとよい。通販で手にはいる。これでアメリカのDVDも見られるようになる。私はさらにPAL方式のDVDも見られるというプレーヤーを持っている。これはヨーロッパや中国の方式である。これで中国で出ている太極拳のDVDも見られるのである。

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「武」と神人合一

高岡英夫を読んでいても思うことだが、「武」の世界の奥深さというものはまた想像を絶するものである。何せスポーツではない。文字通り生きるか死ぬかという土壇場において、いかなる恐怖も持たずに「無」となれるまでになることはいかにすごいことであるか。やはり現代はそう簡単に死ぬことがない時代であるから、そういう生き方の苛烈さというものがなかなかわからないのもやむを得ない。そんなわけで武蔵に興味を持ち、井上雄彦の『バガボンド』を少し読んでみたのだが・・いや、これは凄いマンガである。私は原作の吉川英治版を読んでいないので、どこまでそれに忠実なのかはよくわからないが。特に「インシュン」との二度にわたる激闘、この描写のおそるべき画力には唖然とする。これは文字では書けないし、映画にしようとしてもここまでの驚異的な身体能力を持つ俳優はいないだろうから、漫画でのみ表現できるものである。もちろん人を殺すということ自体に共感するものはないが、両者の「生きよう」とする魂レベルの意志がぶつかり合っているその迫力はおそるべきものである。はっきり言って、私の読んだうち漫画というジャンルではこれ以上にすごい作品はないと思う。思うに、内なる恐怖心を克服していくことは普遍的なテーマであって、かの「ハリー・ポッター」もその中心主題はそういうことだと思う。ワーグナーの「ニーベルングの指輪」では、ジークフリートが逆に恐怖心を知るということがテーマになっているが・・話がそれるのでこのへんにして。

ここで、武の最高境地として描かれている柳生石州斎だが・・私には、合気道の植芝盛平を思い出させるものがあった。天地和合の境地に立ち続け、相手の殺気を溶解してしまう。つまり魂の力で相手の力を奪うことができる。まあいうなら「生体PK」と言えなくもない。心の力で相手をコントロールする超能力である。武の奥義にはそういう世界があるわけだ。私はかつて、植芝盛平の『武産合気』を読んで大感動し、武の究極は神人合一であるということを知ったのである。正しくいえば、別にコントロールするわけではなく(しようと思えばできるが)、ただ、その神気の中に入ってしまえば、物質的な波動などまったく問題ではなくなるのだ。植芝盛平などの超人的な能力というのは、要するに、霊的に高い境地に達した人は物質的な世界を超えた力を持つという法則の現れに過ぎない(その原則については『魂のロゴス』にも記されてある)。ヨーガに熟達すると超常的力(シッディ)が出てくると『ヨーガ・スートラ』に書かれていることと同じである。まあ、そこまで行くのは容易なことではないが、高岡英夫などが「センター(中心軸)を通せ」とやかましくいっているのは、それは霊的発達と関係しているからであって、そのことによって通常は人類の肉体を支配している「プログラム」が少しずつ書きかえられていくからである。これが武の神髄なのである。人間が人間の限界を超えようとすることにその本質があるのだと思う。高岡がディレクトシステムの形成といっているのは、人間という存在を作っている見えざるプログラムを再構築、バージョンアップすることなのである。と、ここで、「人間はなにゆえこのような人間なのか」という問い、つまり人間存在をこのように作っている「何ものか」があるということに気づかねばならない。そこに気づき、そこにどのようにアクセスして、それを再構築できるかという発想ができる人が天才なのである。

でも高岡は植芝盛平を正当に評価していないように思えるのだが。それは彼の限界かなあ。『武産合気』の高みを理解できませんか・・ ここに書かれている、植芝盛平と五井昌久との霊的レベルでの交流の話もまた感動ものである。とまれ、植芝盛平とか、『バガボンド』に描かれている柳生石州斎なんかの世界というのは、常人には理解しがたいものだが、それは結局、人類の進化方向を示唆しているものなのだと思う。いまは、又八の凡人ぶりに共感してしまうような我々も遠い未来においてはあのような存在になるのである。もちろん「武」はそのための道の一つにすぎない。

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身体意識から意識エネルギー場へ

ひきつづき高岡英夫を読んでいて、正直、いくらなんでもこりゃ大言壮語じゃない? というところもないわけではないが・・ そういう傾向もあるが、相当な人物であることはたしか。たとえば、肥田式強健術の肥田春充みたいな感じで、歴史に残るのかもしれないな、という気がする。あのいろいろな人々のディレクトシステム図というものは、高岡以外には誰も見ることができないのであれば、現時点では何とも言いようのないものだが、少なくとも、ある重要なものをつかまえようとしている、ということはわかる。身体意識は宇宙の彼方まで突き抜けている。このことを彼自身は体得したのだ、ということは完全に信じられる。さてここで、そういうことは『魂のロゴス』にその一端が披露されている私の世界観にも完全に統合可能だということにお気づきだろうか。つまり、「意識エネルギー場」と言っているものがそれにあたる。高岡の言うディレクトシステムとは、この意識エネルギー場の様々な構造、パターンやその発達可能性について言っているものである。思想の世界においてここまで気づいている人はいないのであって、もしかすると私は天才かもしれぬ(いや冗談ですが)。しかもその意識エネルギー場自体がこの「世界」というもの(その中に「自己」も含まれるが)の現象をも作っているとしたら・・そしてその意識エネルギー場が宇宙の根源まで到達しうるものであることも、『魂のロゴス』の論述から論理的に導くこともできるのだ。こういうことはむろん過去の偉人によって解明されていることではある。ただ高岡の仕事は、いろいろな体技の世界や文化全体に通底するものとしてその構造を取り出したことだ。でも、あと半世紀は評価不可能かもしれない。それでも、これまでの身体論の限界ははっきりしてきた。もはやメルロ=ポンティでも駄目だ。「生きられた身体」などという次元から身体意識、そして意識エネルギー場へと向かわねばならぬ。

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高岡英夫について

私が身体論に興味を持ったのは別に齋藤孝を読んだからではなくて、それよりもっと以前から気功やらヨーガなどを実践していたことから来ている。気の世界などは十数年前から私には既知のものである。そのころに齋藤孝もまたいろいろなワークを実践しまくっていたわけで、そういう意味で同時代的なことを生きていたのだな、という感覚を持っている。そういう実践を通してのみわかることを、あくまで一般向けに啓蒙的に語ってくれるスポークスマンとして彼の存在はありがたいと思っている。

しかし齋藤孝の師匠でもある高岡英夫の凄さはもう形容もできないものである、ということも最近徐々にわかってきた。このところ集中して読んでいるのだが(ワークも少ししているが)、最新の『身体意識を呼びさます日本語のちから』はかなり初心者向きにまとまっている。これもよいのだが、やはり『身体意識を鍛える』は、彼のそれまでの探求をよくぞここまでというほど一般の人にもわかるようにまとめているという意味で、恐るべき書物といえる。実は、高岡のことを知れば知るほど、この書の背景にあるものの大きさには驚かされるのである。

その背景について少し知ろうと、少しさかのぼって読み始め、『意識のかたち』そして『極意と人間』を読んだ。これには、えっ本当?? というような彼自身の超人的パフォーマンスの話ものっている。これをホラ話と思う人も多いだろうが、私は人間の可能性は無限であることを知っているので(というのも、そもそも人間が本来神と同一であるというなら、無限であることは定義上もきまっているわけだが)それをありえない話であるとは思わない。もちろんこれは「普通の人間」の話ではないのだ。特に『極意と人間』は、「面白かった」というような言葉では形容できない、正直なところ、戦慄を覚えた。それは内容というだけでなく、その背後にある彼の「本体」というか、エネルギーというか、そういうものの圧倒的な力を感じざるを得なかった。そういうものがここまではっきり出ている本は他にはないので、この『極意と人間』はそれだけ本気で書かれていると思う。これは、日本の思想史上というレベルで、相当な人かもしれないな、と直観した。「健康法のおじさん」みたいに甘く見ている人は是非、この深みのことも知ってもらいたいと思う。結局、人間は人間を超えられるのか、という話になるのである。

ときどき、これは科学だということも言っているが、実際のところこれは少なくとも21世紀初頭のレベルでの科学にははまらない。そもそも彼が過去の達人の「ディレクト・システム」を直観してしまうというのは「超越揮観」とかいう、ある種の超時空的な直観力によるものらしい。これは今の科学者の理解を超えるものであろう。私は正直言うと、そのディレクト・システムを直観するとはどういうことなのかよくわからない。もっとも、私がむかし西野皓三氏を見たときは、胸のところのチャクラ(中丹田)が光っていて、天から頭頂・中丹田へ金色のような光がダイレクトにつながっているのが見えた(といっても肉眼的に見るのではないが)ということもあったが・・ いま、その見方で高岡英夫を見てみると、どうもとらえどころがない。なんというか、彼の身体は透明で、拳を当ててみてもそのまますぅっと向こう側に突き抜けてしまうような感じがするのだ。なんだか、突きあたるものがない。彼の本から来るエネルギーもそういう感じなのだ。ということは、やっぱりこれは植芝盛平級ということになるんだろうか。・・でも、こんなこと書いてしまっていいのかという気もする。○○○学会なんかではこういう話も少しはできるのだろうか? でも実際、相手のエネルギーを感じて、その流れを図にするということも、そういうことの延長線で理解できなくもないような気はする。

イチローや武蔵なんかのセンターははるか銀河系の彼方まで突き抜けている・・なんて書いてあるがこれももっともである。私自身はもちろんそこまで突き抜けてはいない。しかし、センターが銀河系、いやそれ以上の宇宙の彼方まで突き抜けうるものであることは理解できる。みなさんは理解できるだろうか。私は、ただそれが理解できるようになったというだけでも自分をほめていいほどのことだと思う。それは、まことに人間の可能性とは無限である、と本当に身体意識レベルで理解することだと思うのだ。高岡が書いている(そしてたぶん自身で体得している)ことは、神秘的にも聞こえるが、それは単に今の人間がそこまでの理解レベルに到達できていないだけのことで、そこには何一つ不思議なものはない。ただ、人間とは本来そういうものであるということに過ぎないのだろうと思う。

こういうのに接すると、凡人どうしが集まってくだらないことを言っているものにつきあっていられなくなる。大事なのは「無限の可能性」へ向かって生きることだと思う。私は無限の可能性へ向かって生きているのだ、というエネルギーが奥底からわきあがってくるようでなければ、本当に生きているとは言えない、と私は思う。・・まあ、そんなことを思ったのは、『極意と人間』を読んだ後、「コンタクト」という映画を見たときと同じように、はるかな人間の可能性を宇宙的視点から見たような、そういうエネルギーを感じたからである。ちょっと冷静ではないかもしれぬが、ま、そんなところである。

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身体意識

さて、この前の Osho Zen Tarot だがなかなかはまり気味。このデッキは相当なものだ。エネルギーがある。スピリチュアル・ワークをしている人には最適でしょうね。

つづいて高岡英夫の本、『からだには希望がある』と、『からだにはココロがある』を読んだ。この『希望』の方にはまだ、ゆる体操が「ぞゆる・ほゆる・きゆる」の三種類しか出ていないので、今のようなゆる体操のシステムができてきたのはそれ以降か。実は私も最近ゆる体操をかなりやっていて、特に「ゴールデンセット」などと呼ばれる寝ゆる三点セットを毎日ある程度の時間している。それでわかるのは、深部筋肉、特に腸腰筋というのがこっているということ。このコリを徹底してほぐす。この筋肉は確かにピラティスでも鍛えるものだが、ピラティスは呼吸法などもあって、全くの身体トレーニングの初心者は習いに行かないとできないと思う。その点このゆる体操はよくできたシステムである。

『ココロ』の方はかなりセンターについて語っていて、センターの身体意識は宇宙の気と関係しているということまで言っている。周知のように、ヨーガの世界モデルでは微細エネルギーシステムというものがあって、センターというのはスシュムナと呼ばれるエネルギー軸である。気功でも「中脈」と呼ばれているもので、禅密功なんかはそのセンター軸で気を通していく。高岡英夫もそういうことは知っているように思われるが、そこまではまだ書いていない。彼のシステムは現代の常識から一歩か二歩先のところで、そこからさらに数歩進んだところに、ヨーガのチャクラシステムや、バーバラ・ブレナンのヒーリングみたいな世界があるわけだが・・。自分の実践でわかっている世界と、世間へ出していくものとはおのずから違うということが高岡の場合にもあるような気がするが? ともあれ、センターや丹田というコンセプトは、おそろしく奥深い、人間存在の秘密に関することがらのほんの入口なのだろう。

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モーツァルトとデューク更家?

ということで、いまだ余震による恐怖感がこの地域にはたちこめており、波動は悪い。そんな中で私がこのところ実行しているのは「モーツァルト・セラピー」である。べつに特別なことではない。ただ、毎日何時間もひたすらモーツァルトの曲を流している、というだけだが、これがなかなか効くのです。ほんとにとっても気分がよくなってくる。しかもモーツァルトをBGMにダイアーの光明思想本、とくればかなり強力な布陣である。

ドン・キャンベルの『モーツァルトで癒す』という本も出ていて、また、ヒーリング用に編集されたモーツァルトのCDも売っている。モーツァルトをあまりよく知らない人はそういうCDもいいだろう。既にたくさんCDをもっているなら、その時聴きたいと思ったものをかけるだけ。手間はいらない。

とはいっても、CDの半分以上はいまだ別室で、本の山の中に紛れて雑然と埋もれていて取り出せないものも多い。でもまあ、内田光子+テイトのピアノ協奏曲二枚組×3の6枚がヘビーに活躍。その他、ナクソス盤の「フルートとハープのための協奏曲・木管とオーケストラのための協奏交響曲」や、グリュミオーの「ヴァイオリンとビオラのための協奏交響曲」とか・・ ただし、短調は鬼門です。ニ短調とハ短調のピアノ協奏曲とかは迂回する(ふだんでもめったに聴かないが)。それからK488イ長調の第二楽章とかロマン派ぽいものも今の目的には向かない。まあこのへんは直観的な選曲である。短調のものは、日常が平凡で刺激が欲しいときにでも聴くのがよい。

ともあれ、ダイアーも懸命に語っているような、絶対的な幸福の世界があるという確信が、モーツァルトに長時間浸っていると徐々にわきあがってくるのである。とにかく、ひたすらかけつづける。少なくとも一日六時間以上です。そうするとそういう波動がだんだん習慣化していって、自分が変わってくるのがわかるのだ。どんなに雲が厚く覆っていても、その上空には常に晴れ渡った空があることが、常時感じられるようになってくるのである。(と、言っているが、実際これをやってみてそうならなかったとしても、私は責任を持たない。よくある免責条項である)

さて話は変わる。次にトライしたのはデューク更家のウォーキングエクササイズである。最近、有名らしいですね。これも女性向けダイエットということで売り出しているが、既にピラティスやゆる体操を経験している私は、ちょっと見て、これは最新の運動理論をベースとしていてけっこういけてるかもしれぬな、と直観した。それで、マーケットプレイスで「DVD版どこでも1歩・ウォーキング・ダイエット」てのを取り寄せてみた。これも、身体技法をめぐる私のあくなき関心のあらわれである・・しかし、

このおっさん、ヘン。

というのが第一印象なんだが・・これはまあ、誰しも思うところではあろう。しかし、この年でこの雰囲気をかもし出しているというのはまた大したものでもある・・もしかすると私も、十年後はああいう路線をめざしてみてもおもしろいかもしれぬ・・とまあ、妄想はともかくとして、エクササイズ自体はひじょうによいと思う。ふだんの歩き方自体を変えるというのもあれば、仙骨体操や呼吸法も入っていて、骨盤矯正や深部筋肉を鍛えることもちゃんとメニューに入っているのもぬかりはない。その意味で高岡英夫のゆる体操と共通点はあるが、このデュークさんのは全体としてもっと「有酸素運動」としてやれるようにできている。その意味で、ダイエットにはゆる体操よりも即効性があるように思う。またピラティスと比較すると、ピラティスが特に深部筋肉にフォーカスするのに対して、もう少し全身運動的である。ということで、このウォーキングエクササイズは(ウォーキングといっても実際は「歩く」というのとかなり違うものもある)、単体でやってもかなりの効果があるし、有酸素運動としてもエアロビクスよりも手軽で、ゆる体操的効果もあるのでよいかもしれない。そしてピラティス、ゆる体操などと組み合わせて併用してもさらに効果は倍増するものと思われる。ということで、これはかなりいけるという結論で、私の直感も正しかったということである。私自身、ちょっと有酸素運動のメニューが少ないなと感じていたところだったので、さっそくこのDVDからいくつかをレパートリーとしてデイリー・ルーティンに加えようと思っている。

しかし・・デューク更家さんが、実際にエクササイズをやっている映像は・・これはもう、かなりヘン。派手なタイツがなんとも強烈です。とても私は人前でこの真似はできません。外でやるのは「デイリーウォーク」というカテゴリーのものだけにして、あとは家の中でやるのが無難でしょう。エクササイズの説明は女の子のモデルを使っているので、そこは安心(^^;

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ゆる体操

また最近、高岡英夫の体操を再開している。というのはくたびれているときなど、いちいちヨガマットを出してきて本格的なヨガなどをやる気にはならないので、もっと手軽にできる「ゆる体操」だけでもやっておくという道に走っているわけである。『図解トレーニング・身体意識を鍛える』に出ている「黄金の3点セット」など、やっているうちにいつしか寝てしまっていることもあった。で、今後また『高岡英夫のDVDでゆる体操』てのを買ってみた。いや、これはすごくいい。DVDもついてて1300円とはお買い得である。朝日出版社から出ている『ユル』という本も眺めてみたが、こっちのDVDつきのほうがはるかにいい。説明も、どういう身体意識に関連しているとか、骨や筋肉の動きとかも書いてあって、懇切丁寧である。『身体意識を鍛える』とか『歩き革命』に出ているエクササイズはけっこう高度なものもあるので、まずはじっくりとこの「ゆる」をやってから取り組んだ方がいいのかもしれない。私はほかの本では十分に「ゆる」のやり方をつかめなかったところがある。このDVDでは特に高岡氏が「フワー」とか「ドサー」とかいう音をどう発音しているのがわかったのが面白かった。こういう擬音をいわば「マントラ」として用い、ゆるみ効果を高めるというところがゆる体操の特徴の一つなので、発声法は参考になる。もちろんその通りにしなくてもいいのだが、一種の感覚としてである。

私がいまレパートリーとしているのは、ヨガ、ピラティス、太極拳、各種メディテーションなど多岐にわたるのだが、ゆる体操はもっとも基礎的なレベルのものと位置づけられる。たぶん、野口体操がやっているような世界にひじょうにわかりやすく入っていける方法だろうと思う。

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復刊シリーズ: 身体感覚の文化

新しいネタもあまりないので、ここで、むかしの「Intelligent Spirituality」に書いたものを復刊してみる。まえにHPにも出していたものだ。

■2003/09/04 (木) 身体感覚の文化

斎藤孝といえば最近の超売れっ子であるが、その中でも『自然体のつくり方』というのが役に立った。そろそろ講義のことを考えていて、今年は単に講義をするだけではなくて、もう少し何か「体感」しうるもの、実際に役に立つものを考えていたのだった。そこで、現在では身体感覚が衰えているという説は納得がいく。斎藤の言う「中心感覚」があって、そこからくる自己肯定感や、また大きな宇宙とつながっているという感じが何となくわかるということが、全ての基礎ではないかと思える。つまりは「存在しているという感覚」だ。「マクロコスモスとミクロコスモスの対応が・・」とか言っても、それが直観的にわかるような身体感覚というものがあるので、まずその感覚が分からない人にいくら話して聞かせてもわかるものではないはずだ。そこで斎藤孝は丹田や中心軸の感覚という「中心感覚」と、それをベースに他者との間隔を直観する「距離感覚」を身体感覚の基礎に据えて、それを具体的に訓練する(斎藤は「技化する」という)方法論を教えている。ある意味では『身体感覚を取り戻す』で概論として述べたことの発展であるが、こっちの『自然体のつくり方』のほうがずっとわかりやすく具体的なメソードも書いてあるのでなかなかよい。私もそういえば最近身体トレーニングがおろそかになっていると感じ、この本にも書いてあるスワイショウなどをやってみたりした。

考えてみれば、科学の方法に載らないものをすべて「主観的」として切り捨ててしまった近代文化に対して、身体文化というものは「自分と宇宙とをむすぶ微妙な感覚」を「型」を通して鍛え、それを共有するという文化なのである。これこそ本当の現代の思想である。つまり、これからの思想は身体感覚に支えられねばならない。これがもともと東洋文化であった。身体を捨象して、自分というものを「意識」の立場に置いてのみ見るという西洋思想の限界がはっきりしたということだ。

身体感覚が衰弱し、「存在することの幸福」が理解できなくなった人がいくら「スピリチュアル」とか言っても始まらない――というのが私の基本的な考え方である。そういった、健康な身体性に基づく自己肯定感が欠けているような人が、その欠損を補うために霊的な世界に興味を示すというのは、危険なところがある。さらにバランスを崩しやすいのだ。そういう人々こそがオウム的なるものの格好の標的になるのだ。

斎藤は一貫して「あまり神秘的なことに興味を持ちすぎないようにすること」と言っているが、これも一理ある。先に書いたように、健康な現実感覚を持てず、バランスが悪くてフラフラしているような若者が霊的世界に興味を持ったりするケースがかなり多いことは私も実際に見聞しているからである。

特に若い男性に多いのだが、何かとてつもないすごい体験がどーんと来て、その瞬間に全てを悟ってしまうような体験を期待している人がある。そして、そういう体験が自分にはないことに悩んだり焦ったりするケースがよくある。これもまた、オウム的なるものにひっかかりやすいパターンなので十分な注意を要する(女性の場合は、身体によってこの世界に存在しているという感覚に完全に鈍感になることが比較的少ないのかもしれない)。たしかにそういうすごい体験というものが世の中にないわけではない。しかしそれは恩寵ともいうべきものであろう。それはスピリチュアルなるものが存在する唯一の形ではない。むしろ、こう言いたい。あなたは、この一日の中で、どのくらい「美」を発見しましたか? と。今日の空に、面白い形の雲はありましたか? 家から駅までの道に、何種類の花が咲いていたか覚えていますか? ――たとえばもし、道ばたに赤い花の野草があって、その茎にかたい棘がいっぱい生えていることに気づいて、そして図鑑を見てその名前が「ママコノシリヌグイ」であるということを発見する、ということは「スピリチュアル」とは何の関係もないことなのであろうか? 世界をきちんと感じることが、あらゆるスピリチュアルの出発点であるべきではなかろうか。だから、シュタイナーのシステムにもオイリュトミーがあり、幼児教育の基礎となっているのだろう。

と、ここで思いついたが、斎藤孝が言っている身体感覚というのは、決して物質的な次元の感覚を言うのではなく、むしろ「エーテル体」的なものであろう。中心感覚というのはエーテル体の感覚である。似たような概念はシュタイナーの十二感覚論にも述べられている。

つまり、健全な発達とは、エーテル体感覚→アストラル体感覚→概念感覚→霊的自我の感覚、などという感じで進むものなのだろうが、現代社会ではこの最初のエーテル体感覚が十分に発達しにくいという状況にあるわけだ。そのことに自覚的でないと、霊的探求のスタイルもまたひじょうにアンバランスなものになってしまう。ここにカルトの危険が生ずるわけだ。

しかし、こういう発達の考え方の方が、ケン・ウィルバーのプレパーソナルなんたらというものよりよっぽど面白いぞ。西洋心理学ではあくまで「自我の発達」などという枠組で言うのだろうが、実はそれは、幼児期のエーテル体感覚の発達不全が影響していることがはなはだ多いのではないか? 正統派の西洋心理学では、こういう身体文化的な視点を持ちえないのだろう。しかし、身体感覚を捨象した心理学なぞ、もう時代遅れだなあという感じ。

だからもし霊的な探求に関心があったとしても、まずは、エーテル体感覚の健全な確立、つまり中心感覚をしっかりと把握した上で、それを中心軸の自覚としていき、その軸によって天地とつながっているという感覚を自分のものにするところから始めるのが、最も確実な道ではないかと思える。ヨーガには、こういう体系が既にできている。気功にもある。エーテル体のバランスが取れれば、世界にある美などにもっと気づくようになる。ドーンと向こうから神秘体験、なんて期待したりするのはどこかバランスが狂っている証拠だ。実際に望む通りの体験が来たらさらにおかしくなって社会からドロップアウトになってしまうぞ。

と、むりやり斎藤孝を神秘学の文脈に結びつけているような気がしないでもないが(笑) でも「エーテル体の叡智」というのがあるのは確かで、職人的な技などもみなエーテル体的な知恵である。

それとこれも重要なことだが、斎藤孝が言う通り、健全なエーテル体感覚、つまり「自然体」は、内へと同時に外へも開かれている。中心感覚が決まるということは「ハラが据わる」ということで、他者(社会)との健全な「距離感覚」もそこで生まれ、状況に対し柔軟に対応できるようになる。

とは言っても私は、ある特別な運命を持った人々が、この肉体世界を徹底的に否定して厳しい修行に打ち込むという生き方を否定するわけではない。そういう定めの人は私が何をいおうがそういう道にいやでも行ってしまうのである。魂の道は長いのである。一生や二生くらい山にこもって修行したからといって、そういう生き方はいかんなどつべこべ抜かすような了見の狭いことはしたくないものである(本山先生は、一生や二生くらいはそういう修行もしないと悟れないと言っている)。

そういう「修行の文化」というのも東洋には確かにあるわけで、これはエリートのための道、男性的な道と言える。仏教ではこれを「聖道門(しょうどうもん)」と言う。これに対し、前回まで書いたような行き方は女性的な(フェミニン)な道と言える。ただ、現在のところ、スピリチュアルと言えばすぐ「修行の文化」だけが思い出され、そこに飛び込んで人生を賭けようとするか、さもなければ「これはとても自分にはできない」とガックリ落ちこむかという二者択一がともすると見られるのだ。そこで、それ以外の「フェミニンな道」もありますよ、ということをもっとアピールすべきではなかろうか、と思うのである。本当に「修行の道」を歩める人はひじょうに少ない。大多数は落後するか妥協に終わる。人生を賭けたりしないほうがいいとは思うが。

マッチョなスピリチュアリティーを認めないわけではない。ただそれでずっと行っている人は、またどこかの転生でそのバランスを取り、フェミニンな霊性を知る機会を与えられるはずである。全体としてみれば、21世紀の社会が必要としているのはむしろフェミニンな霊性の確立ではないかと考えるのである。

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まとまりない話

金曜日はひさびさに雪国植物園に行ったんだが、このように静寂な、自然の中にしばらくいると、なんとなく精神的な変化を感じてきた。それは自分の「存在」を強く意識するという感じでもある。ある奥深くあるものとの共振によってエネルギー体が揺さぶられるようでもある。今年の夏はあまりの暑さで、植物園も二ヶ月くらいごぶさたしてしまった。今は彼岸花が満開である。その他、サワギキョウ、サワヒヨドリ、ミズアオイ、アサザなどの花がある。これはエネルギー的な接触なので、つまり私にとっては気功のようなものである。つまり植物というのはその種ごとに独特のエネルギーを持っており、開花時には特にそれが強烈に発せられるのである。このような異種さまざまのエネルギーが交錯し、交響する巨大なスペースとして自然が見えてきたとき、そこに強烈な神秘感覚を感じざるを得ないのだった。私が思うにベートーヴェンの「田園」だって、そういうスピリチュアルな自然体験から来ている。特に第五楽章など、何度聴いても霊的な音楽に感じる(下手な演奏では駄目だが)。

話は変わるが、ひさびさのヒーリングミュージックCD購入。Aeoliah(エオリア)の「Healing Music for Reiki 1: Mandala of Purity」である。光でできているようなマンダラのジャケットで・・私としては買うほかないでしょう。エオリアさんはむかし「エンジェル・ラブ」を聴いて以来のごぶさただが、このレイキシリーズはいま4まで出てて、そんなに続編が出るってことは評判いいわけですよね? ということで買ってみたが、これは実にすばらしかったです。エオリアさんは自分でもレイキマスターなんだそうで・・(私もサードディグリー保持者ではあるが)。レイキCDってのはかなりの需要があるから、他にもマーリンズマジックや、デューターなんかも出してる。私はマーリンズマジックのライトなレイキミュージックも愛聴している(というか、聴くというより流してるんだが)、このエオリアさんのは、もっとディープな層に来る感じで、しかもロマンチックな叙情性もあって、かなり私の好きなパターンですね。ということで、これからマーリンズマジックと並んで私の定番となりそう。もちろん2以降も順次買う予定だ。

前の項の「シンプルピラティス」だが、実際にやってみた感じでは、やっぱり本と音声だけではよくわからない部分があって、映像のほうがぜんぜんわかりやすい。独学でやってみたい人は、日本版DVDはちと高いけれども、そっちを買う方がいいかも。あるいは、安くて質のいいアメリカのビデオを買って(DVDはリージョンコードの関係でだめだが)、英語がわからなければ、それと同じエクササイズののっている本を買って説明を見る、なんてやり方もあると思う。アメリカのビデオはもう一本くらい買おうと思う。ダミーズのビデオは、最後の三つがちょっとむずかしいので(私は不器用なのでどうしても「スイミング」ができない)、その前のところまでを繰り返しやることにした。

なお、最近コメントも多いので、「最近のコメント」のリストが右側に表示されるようにした。前の記事にコメントがつく場合もあるので、ここをチェックするといい。

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「シンプルピラティス」

コメントのお返事はまたあとで・・とりあえず、笠谷房子の『シンプルピラティス』を買ってきたのだけれど、ダミーズのビデオや Siler の本とは出ているエクササイズがけっこう違っている。ダミーズにあるポーズはすべて Siler の本に出ていて、二人とも公式トレーナーだから、これがアメリカでの基本なのかも。それにくらべると笠谷さんのはかなり違って、The Hundreds も出てないけど・・まあ、重複が少ないというのは私にしてみればけっこうなことかも。ピラティスの原理についてはわかりやすく説明していて、エクササイズの説明も、デザイン的にはSilerの本よりもよくできている。オールカラーでCDつきだし。それと、どこの筋肉を意識するかが図解してあるのがよいようだ。ただ笠谷さんが公式トレーナープログラムを卒業したとは書いていない。まあ、値段からすると内容はわるくないので、あってもいいかな? でもメインとしてはダミーズビデオのミシェルさんにしようかな、という感じ。

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Yoga for Dummies そのほか

さて、for Dummies のヨガも買ってしまった。Basic Yoga Workout / Beyond Basic Yoga のセットで安かったので・・ 猛然と初心者に親切なビデオですね。先生の美人度と好感度はほぼ満点です。私には、Beyond Basic の方がちょうどいいけれども。ただ説明が多いので、ちょっと時間がかかる(50分)。パワーヨガではなく普通のヨガなのであまり疲れない。実際にビデオを流しながらやるには、ロドニー師匠みたいにどんどん先へ進んでいくビデオの方がいいのだが、そうすると反面そのポーズをあらかじめ知っている必要があるということで、それは経験者向きになるだろう。べつに英語のビデオの紹介なんてしてもしかたないけれども、これは私自身の覚え書きである。ロドニー師匠のもまた「Back Care」と「Abs」の二つも買ってしまったけど、見るのはこれからである。もちろん全部毎日やるわけではなくて、いろいろそろえて気分に応じて使い分けるというつもりである。しかしこう集まってくるとまた「楊式太極拳」みたいにリストを作れそうだ。だがヨガのビデオはまだまだ多い(べつに集めるつもりはない。このくらいでいいかな、と思っている)。

今日は後期の授業開始日で、ひさびさだったが、まず無事にスタート。
ヨガとか身体技法によって「中心感覚」を養うと、人前で話すなどというときにも精神的パワーがついてくるような気がしないでもない。

今回は、私自身が現象学に興味をもっているので、現象学のエッセンスをまず話そうということにしたが、これがもっとも難解である。まずは「マッハの絵」から入ることにした。これは谷徹の本にあるものだが・・ 現象学から深層心理学を見るとどうなるかという話に続いていく予定。私としても一つのまとまりが見え始めているので、この講義の内容を書き下ろしにしていく見通しをつけたい。

またも現象学三大解説書(と、私が呼んでいる)『フッサール 起源への哲学』『現象学ことはじめ』そして『これが現象学だ』を読み直しつつある(これよりちょっとむずかしいのが新田義弘の『意味と生命』だ)。もちろんこれを読んだからといって、コアのところまではわからないが、少なくとも現在到達しているフロンティアは見えてくるのだ。つまり、そこまでが哲学、そこから先は神秘学、という境界線がいまどこにあるのか、ということだ。これが見えてきたのが大きかったのである。で、私はそのフロンティアをさらに先に進むというだけである。このように現象学をステップとして未知の領界に進むが(といっても神秘学的伝統では既に踏破されているが――ここでいう神秘学的伝統とは、キリスト教神秘主義や仏教思想も含んでの意味である)。それはたぶん、ウィルバーというよりはシュタイナーに近いものになるだろう(べつにウィルバーを目の敵にしているわけではないが、あれは「最も確実な基盤」を「現象すること」におかず、超越的な宇宙原理に求めているので、理論構成の手法自体が基本的に伝統的な形而上学なのである。それと近代心理学をドッキングさせるというねらいである。しかし私は、「最も確実な基盤」を、「いま、私に世界が現象していること」に置くというデカルト的な伝統に定位して、そこからあらゆる体験や世界次元の多次元性を導こうとしている。そのような方向性の違いということである。私も『魂のロゴス』では、「普遍神学」的な立場から論じていたし、それが間違いということではないが、少し異なる「話の進め方」を考えてみようというのである)。つまりは「世界の地平性」を根拠として「世界の多次元性」の論へ向かうということである。

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ロドニー・イー ついでに禅の批判

さてつづき・・ヨガのビデオというといつも出てくるのがロドニー・イーというお兄さん。中国系か韓国系なのか、なにか弁髪みたいに後ろ髪を編んで垂らしているふしぎなヘアスタイルだが・・いま大人気のヨガティーチャーなんだって。たしかになんかスッキリして波動のいい人ではありますね。きれいなお姉さんを好み、男があまり好きではない私もロドニーさんにはあんまり違和感を感じない。というわけで、Yoga for Meditation ですが・・5セッション入っているうち最初の一つをやってみたが、ポーズ的には簡単すぎるかしら・・でもメディテーションへの導入として考えればいいのかな。これだけではワークアウトには足りないので、べつにワークアウトをしてからこのセッションをステップとしてメディテーションへ、という感じかも。もう一つ、Power Yoga for Beginners : Stamina というのは、かなりハードかと思っていたが、案外そうでもなく、ちょうどいい負荷だった。ま、ラクダのポーズは手が足に着きませんが・・それ以外はだいたいできたので。ちなみに、ついに今日、研究室にマットを持ち込み、その初エクササイズがこのビデオだったというわけ。このロドニーのパワーヨガシリーズはもう少し買いましょうかね? しかし少しは骨盤・脊椎の矯正ができたか? ともかく背骨がまっすぐになっていないと瞑想なんてあんまり意味ないと思うので、基本は最重要である。

今度トラパの学会は禅をとりあげるらしいが・・禅宗系の大学なので。しかし禅はもうエスタブリッシュされていて、つまりは一種の伝統的ステイタス、ブランドを享受しているわけだが、それもあってか、「今の禅はここが駄目だ」ということをはっきり言う人がいないというのはなぜなのか・・私が言うのは、その身体技法としての成熟度ということだ。それはつまり、現代における急激な身体文化の衰弱に禅は対応できていないということだ。どういうことかといえば、昔の日本人は畳に正座でくらしていたし、つまり特に鍛えなくともある程度下丹田ができあがっていたのだ。坐禅というのはそういう、既に丹田がある程度できた人むけに作られている身体技法なのである。これを今の、丹田も何もない人々がいきなりやろうとしたって絶対に駄目なのである。坐禅は、初めからある程度背骨がまっすぐになって骨盤のゆがみもなく、丹田に気が落ちるようになっているごく少数の人しか、続けることができないと思う。やはり、修行というと禅というイメージがあるので、一生けんめいに禅に取り組み始めたとしても、まず99%の人は挫折するだろう。しかしそれが身体技法の問題だということが、古い根性論によって隠蔽される傾向があるのが気に入らないところである。坐禅の指導者は、どうしたら背骨がまっすぐになるのか指導できるだけの身体の知識がないといけないと思うのだが? 禅は身心の技法であるのに、身がわからず心の面ばっかり問題にしている禅論が多すぎないか。身体技法としたならば、現状の禅はきわめて不完全であって、はじめからできてしまう少数のエリート以外には関係のないものになっている。私の見方では禅は「不完全なヨガ」だと思う。なぜそういう体操の部分が伝わらなかったのか? 日本に残っているのはただ白隠の「夜船閑話」しかないではないか? そういう身体技法の欠如を、神秘めかした話で補っているようにも見える。もちろん偉大な禅者を尊敬することでは人後に落ちる者ではないつもりだが、禅を訓練システムとして見た場合、総合性に欠け、現代社会に対応できないと考えざるをえない。伝統によりかかって発展性がないと思う。