RDG完読
この前書いた、荻原規子の『RDG レッドデータガール』の記事ですが、その後を書いていなかった。実は、4巻目だったか、みんなで夜に古戦場の山に登る場面になったときに、ちょっとやばそうになってきたので読むのを中断したのだった(^_^; 私は古戦場が苦手なもので・・ しかし、しばらくたって、続きを読んでみるとそれほど怖いこともなく、ぶじ全6巻の完読を果たした。実際、後半はあまり怖くなかった。慣れたせいもあるが、リアルというより一つの表現として受け止めた。
このストーリーについていうと、これは、従来の「シャーマンのイニシエーションの物語」を超える物語を創造するということになっているのではないかと思った。
従来のシャーマンでは、神というか向こう側に見出された人は、自分の意志と関わりなく厳しい修行をさせられ、否応なくシャーマンになっていくパターンが多い。
しかしこれは、古い宗教性であって、RDGは新しい霊性を予感させる物語なのだ。
どいうことかというと、ヒロインはどんどんと意識を拡大していき、かかってくる神と自分が同一であるという認識に達し、また、いわゆる「過去生」(実際は「平行生」だが)に縁のあった亡者たちをも、自分の意識フィールドの一部として見るという境地に達してしまった。さらにそこから、「平行生の選び直し」ということも可能にしていく・・
このような、シャーマンの物語を書き換え、これからの霊的意識を描いていく物語に変えている、という評価が可能ではなかろうか。
だいたい、術者が術をかけあうようなものは、別に霊性でもなく、単なる呪術である。私はそういうものがある現実ではリアルとなりうることを知っているが、だからといってそれだけでは別にどうということもない。霊性は呪術を超えねばならない。
これ、詳細に書けば卒論のテーマくらいにはなりそうだが・・ぱくらないでいただきたい(笑)