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銀河への望郷

「コンタクト」という映画。
なんといっても、「銀河連邦への地球の開国」をテーマにした映画といったらこれである。
またスピルバーグの「未知との遭遇」もそうした作品。

「その日」は、いつかは来る。必ず来るのだ。地球人が、銀河文明というものの実相を知り始める日が。もー、ワクワクしますね。
2012年がそれなのだ、と信じている人もいるらしいが、それについては、ノーコメントである(笑)。

しかし、この感覚は何であろうか。その、宇宙のはるかな深奥への、止めようもない「望郷」の感覚は・・ ほんとうの「故郷」についての、かすかな記憶・・もう少しで思い出せそうで、完全に思い出すことのできない「あの日々」のこと。

みなさんも「あの日々」に私といっしょにいたのでしょう?

そこへのゲートは、もう少しで見えてくるのだ。

B00005HKXLコンタクト 特別編
ジョディ・フォスター ロバート・ゼメキス
ワーナー・ホーム・ビデオ 2000-08-25

映画の話から、ヘンな話に・・

最近に見た映画DVDの話。

「博士の愛した数式」
これはなかなかスピリチュアルな感覚あふれてます~ おすすめですね。
小泉監督+寺尾聰のコンビ、「雨あがる」「阿弥陀堂だより」に続いて快調、という感じ。この「博士の愛した数式」は、かなりの傑作です。ゆったりした時間というのをよく表現している。深津絵里ちゃんも魅力的です。私、石田ゆり子から乗り換えようかなとも思いました(笑)
小泉監督はもっと評価されていいと思うんだが。

Always~~三丁目の夕日」
やっと見ました。なかなかレンタルがあいてなかったので、連休明けをねらって行ったらゲットできた。
なんといってもびっくりなのは吉岡くんの演技です。これは強烈でした~ この演技力にはみんな驚いたみたいで、これからはもう「何をやっても純みたいじゃん」なんて言う人はいなくなりそうである。めでたい。
で、この映画は「感動の巨編」なんていうのとはちょっと違って、平たく言うと「寅さんの世界」をねらっている。いわゆる「人情喜劇」のジャンルである。それが今は絶滅したクサいホームドラマの世界であることは、監督は百も承知。それをあえて仮構の世界として構築してしまおう、という意図のように見える。それがあの、昭和三十年代の環境の完全復元である。

ただ日本アカデミー賞総なめっていうほど、ほかの映画との絶対的な差があったのかどうか・・ 吉岡くんは文句ないとしてもちょっと乱発しすぎのような気もした。

これってこの時代に生まれてない人はどういうふうに見るんでしょうかねえ? 私などには、なつかしの物品目白押しなので、それだけでも楽しめます。オート三輪なんてのも・・それと「氷で冷やす冷蔵庫」・・なぜ私はこんなものの記憶があるのだろう?

しかし、出てもよかったもの・・ボンネット型バス、そしてバスには必ず車掌が乗っていた(当時は道が狭く、車掌が「オーライオーライ」とやらないとバスが切り返せないのであった)。チャルメラを吹いて自転車で走る豆腐屋や、紙芝居屋、チンドン屋など、実在していた。

もう一つ、実は重要なものが、トイレ・・いや「便所」である。もちろんこれはボットン式なのであって、これは、強い風が吹くと便器から風が出てくるのである。そしてトイレットペーパーというものはなくて、もっと堅いごわごわの紙が、木の箱に入って便器のそばに置いてある。それは大の場合三枚使うと決められていた。もちろん臭気は強烈である。そこでふだんは便器に「ふた」がしてあり、するときはそのふたを取るのである。今の若い人は恐ろしくて入ることができない場所であろう。今じゃあ山小屋くらいにしか、こういう「便所」はないかも。

しかし思う・・おそらくトイレが水洗化され、どんどん清潔になっていくのと比例して、人の生命に対する感覚は微妙に変化していってるのではないか。トイレは人間の活動の中でももっともベーシックな必要にかかわっているわけで、その環境のこれほどの激変は、深層において意識の変化をもたらさずにはいかない。昔はどんなに偉い人でも便所の強烈さに一日に何度か身をさらさねばならなかった。平安貴族とかごく特権的な人のみが、おつきの人々が「おまる」を持ってきて処理してくれ、便所という強烈な場所に行かなくてもいいというすごい特権を享受していたというわけである。

たぶんその便所という場所は、人間の身体が自然の一部だということをいやおうなく無意識にすり込んでいたのではなかったろうか。

・・と、なんでこんな話になったんだ?(笑) そうそう、「三丁目の夕日」の昭和三十年代再現がいかに精巧なものであれ、本当にあの時代を生きるということには、その部分としてあのボットン便所の体験が含まれるのであり、生まれてから水洗トイレしか知らない人とは、どこか根本的な感性の違いがあるかもよ、という話なのであった。まあ、そんなことを映画で出すわけにはいきませんよね(笑) だからあの映画だけを見て三十年代がわかったつもりではいかん、三十年代ってのはずっと「きたない」世界なんだということがいいたかったのかもな。

どうだろう、この「清潔化」の進展による生命感覚の変化というのは、けっこう文明論的な大問題だと思うけどな・・ま、そういうことは森岡正博にでもまかせておくか。

ブラザーサン・シスタームーン

アッシジのフランチェスコを描いた名作、「ブラザーサン・シスタームーン」のDVDが数量限定で超破格値で販売中! ともかくも早速入手。

ゼフィレッリ監督はオペラ演出家としても知られ、「トゥーランドット」なども評判高いが・・この映像美はすごいです。

私的には、スピリチュアル映画の決定版、なんですが。

フランチェスコが神秘体験を経て、魂に「愛」が満たされていくプロセスが、美しく描かれている。

とは言っても、まだDVDは見てないんだが・・ 以前は、このDVDが高い値段でも出てなくて、レンタルもない状態だったので、英語版のVHSを取り寄せて見ていた。もちろん字幕なしだが、せりふの英語は比較的聞き取りやすかったので、まあなんとか。しかしあのドノヴァンの歌の歌詞が、一部どうしてもわからず、必死にネットを検索して調べたりした、という思い出の名作というわけ。

ま、言葉はいらないので、ともかく見るべし。


ブラザー・サン シスター・ムーン
フランコ・ゼフィレッリ グラハム・フォークナー ジュディ・ボーカー
B000FBFRO8

また映画の話

この前「時をかける少女」に感心したが、次に大林監督の新・尾道三部作の一つ「ふたり」を見た。いや、これもよかったですねえ。石田ひかりの映画主演第一作だが、すごくよい。私は「ひらり」のイメージが強かったんだがそれとはぜんぜん違うキャラクターを見事に演じている。これは少女の成長を描いた話だといえばいいのだろうが、そこにやっぱり、魂の底にある「生きようとする意志」が表現されている。こういうのもまた見事に「スピリチュアル」なのだ、と私は思うのですがね。もちろん魂の体外旅行だとか、そっち系のアドベンチャーの意義もじゅうぶん認めるのだが(現在の研究テーマはそっちの方だったりするが)、でも、心の奥底にある深い意志のレベルを感じることができたら、それはまたものすごく深いことだと思う。

映画というのは本来成熟した表現ジャンルであると思う。つまり、音楽では十代でメジャーになるということもあるが、映画監督というのは三十代にならないとできない。青春を描いたとしても、それはその渦中にあるという視点ではなく、もっと成熟した地点からそれを包み込むという表現になることが多い(ただし、単に若者に媚びているだけの駄作もありはするが、それは論外)。

行定勲監督の「きょうのできごと」(妻夫木聡、田中麗奈)というのもそういう感じかも。これ、ある意味ではかなり実験的な作品だろう。というのは何もストーリーらしいものがなく、エピソードの連鎖でしかない。退屈だという人には極限的に退屈な映画だろう。でもこれは要するに「世界」を描こうとしているかなり野心的な作品であるらしいということを感じた。しかし、特に二人の女の子の演技がいい。なんだか、つまらないのかおもしろいのかよくわからないような映画である。退屈だといえばたしかに退屈だが、独特の詩情があるというか、そんな感じだ。ちなみに、英語字幕があるので、これをオンにすると英会話の勉強にいい。ほんとうにどこにでもありそうなあたりまえの表現、「まあがんばってえな」とか「なかなるやるじゃん」というような言葉が英語ではどのように言うのかわかるので、少なくともこの字幕を入れて見れば退屈度は減るだろう。この英訳はすごい上手です。日本人ではこうは訳せないね。

話の勢いで、行定監督特集。

「世界の中心で、愛をさけぶ」 大沢たかお、柴咲コウ、長澤まさみ、森山未来
前にも書いたけど、なんだかんだいいますが、これはいい映画である。原作よりもいい。映像が美しい。長澤まさみはとても魅力的。これだけでも十分だが、ラストも余韻があっていい。たしかに2時間に話を納めているからストーリーにはちょっと苦しいところもあるが、行定監督の詩情は十分に出ている。映像美では彼の作品でも最高の部類。

「GO」 窪塚洋介、柴咲コウ、山崎努、大竹しのぶ
これは傑作です。在日韓国人青年の話だが、窪塚の演技は抜群である。彼に対しては好き嫌いもあろうが、その演技力は認めざるをえないところ。重いテーマだが、生きようとするエネルギーが燃焼している感じで、たいへん後味のよい映画である。

「ひまわり」 麻生久美子
これはちょっとマイナーかもしれないが捨てがたい佳作かも。幸せの薄いはかない感じの少女を麻生久美子が演じているが、クライマックスの美しさはすばらしい。

「北の零年」 吉永小百合、渡辺謙、石田ゆり子
これはDVDではなくこの前の冬に公開されたもの。これまでとは違った歴史スペクタクル系なんだが、3時間の長さにもかかわらず一瞬も退屈しないすばらしい出来である。「きょうのできごと」とは全く対極的なこういう作品も撮れる行定監督の才能は大変なものだと思う。黒縁メガネをかけていて一見するとちょっとオタクっぽい外見をしているが、若手の監督の中ではもっとも注目でありましょう。

で、行定監督から離れるが、もう一つ書きたいのは、

「幻の光」 是枝監督、江角マキコ
この映画はいったい何? これもかなり驚きのものだった。一人の女性が夫を失って再婚するというその日常を淡々と描くだけで、それ以上のストーリーはまったくない。これも見方によっては退屈の極みともいえるが、実は監督はすごいことを考えているということがわかった。それはどういうことかというと、こういった日常の日々、その「現実」というものをある遠い視点から見ている何かを表現しようとしているらしい、ということだ。こういうことを考えて映画を作っている人が日本人にいるというのはほんとうに驚いた。ほんとに全く売れそうもない映画なんだが。江角マキコは演技が下手なんだかそれとも監督の意図であえてそうしているのかよくわからない。しかし本当に途方もないことを考えているのだなあ、と感じ入った。この映画は映像美を鑑賞する作品なので、小さな画面で見てもおもしろくも何ともないです。大画面のワイドスクリーンTVを持っていない人は借りてもしかたがない。それで見たっておもしろいかかどうかというとよくわからないけど(笑)。全体的に黒が多いので映り込みのない液晶TVの方がいいかもしれんね。

というわけでだいたい私の映画における好みはおわかりであろう。私が「宇宙戦争」だの「スターウォーズ・エピソード3」を見に行くわけがないということも明らかである。「四日間の奇蹟」が終わってしまうととうぶん見たいものがないのだが、今度「涙そうそう」が映画化されるらしいと聞いた。妻夫木聡と長澤まさみが兄妹を演じるそうである。これは少し期待できるかも。

映画の話など

しかし・・週に一回しか書かないのは「日記」ではないですね。これは「ブログ」である、ということなのだが・・ 私の中では、日記は自分のために書くもの、ブログは人に読ませることで自分が楽しむもの、という位置づけで区別されている。というわけでこれは「日記」のつもりで書いてはいない。どうもこのブログの文章を書き始めると止まらなくなって思わず長くなり、いつのまにか一時間、二時間とたってしまうので、なかなかそれだけの時間をブログに割くこともできない、という状況だ。

現在、オペラとバレエのDVDを収集中。映画のDVDはレンタルで見る。映画といえば、「未知との遭遇」のスピルバーグが今度は「宇宙人侵略もの」の映画を作ったらしい、と聞いたがそれはどういうことなんでしょうね? 思わず耳を疑ったが。すでにどこかに書いたと思うが、「未知との遭遇」とか「E.T.」は、人類と宇宙との関係という壮大なテーマを秘めた傑作である。その彼がなぜに宇宙人が地球を侵略するなどという馬鹿なステレオタイプの作品を作るのか。まあ、もう少し情報がないとよくはわからないが。

ところで、昔なつかしい、大林宣彦監督「時をかける少女」を見た。1983年作品でご存じ(かどうか知らないが)原田知世の出世作でもある。ちなみに私は同じ原作をドラマ化した、70年代の「タイムトラベラー」というNHKの少年ドラマシリーズというのも見た記憶があるのだが。しかし「時をかける少女」は筒井の原作なんて枠組だけで、ほとんどが大林監督の思い入れによる作品である。これを「原田知世を売り出そうというアイドル映画でしょ」なんて甘く見るのはとんでもないことで、基本的にこれは少年少女では十分にそのよさがわからない、オトナ向けのノスタルジックな作品であると思う。そもそも冒頭から、「真実の愛を知ることは、人にとって幸福なのだろうか、不幸なのだろうか」といったエピグラムが入るのだが、いい年をしてこんなことを真剣に考えているオジサンというのは実に尊敬に値する存在である。しかし、すべてのことが美しく調和している、深い幸福感に満たされた作品だなあ、と思う。それはまた、「かけがえのない時」に対する深い郷愁と哀切が伴っているが・・それが大林監督の世界なのだが、やはりこれはその代表作の名に恥じないのである。ある世界への扉が開かれているのだ。特に、最後の「再会」のシーンと、その後の「カーテンコール」みたいなエンドロールのところの余韻の感覚は何ともいえない。その「終わり方」という点では私がこれまでに見た映画の中で最高ですね。思わずそこだけ三回くらい見直してしまう。「カーテンコール」では知世が主題歌を歌うのだが、確かにこれを聞くとレコード(CDではない)を買いに走りたくなった気持ちもわかる。この松任谷由実の歌も映画の内容にこれ以上ないくらいマッチしているし、やはりこの作品ができるにあたっては一種の天使的知性の介入があったのかもしれない、と思わせるほどの調和であった。なんというか、エンドロールのところではいろいろなシーンがフラッシュバックするような感じなのだが、それが何か、生が終わったときにその一生をフラッシュバックで見るという話を思い出す。もちろん、この映画を見て死後体験のことなど連想するのは私くらいのものであろうが・・(笑) というのはそのすべてが何かある大きなものに包まれて肯定されているような感覚がそう思わせるのかもしれない。オジサンにのみ可能な超ロマンティシズム全開である(女性というものはそれほどロマンチックではないらしい。偉大なロマンティシストはみなオジサンである)。

「四日間の奇蹟」

映画館で見るのはひさびさ。「四日間の奇蹟」は見ようと思っていた。というのはこの前の「解夏」の石田ゆり子がよかったからなんだが。その他にもいろいろと私の好きなパターンの映画みたいだったので。というのは、1.ものすごく景色のよいところで撮影されていて、2.内面的な、「魂」にかかわるテーマが展開される、というようなことだが、これに属するのは「鉄道員(ぽっぽや)」、「世界の中心で、愛をさけぶ」「解夏」なんかである。映画の話はもっと書きたいのだがなかなか時間がない。

ということだが「四日間の奇蹟」はすべてが美しい作品でした。監督は「半落ち」の佐々部清だが、「半落ち」もよかったがさらにそれを上回る出来だと思う。

で、私の感じたところでは、この映画のテーマはタイトル通り「奇蹟」である。とはいっても、この映画の設定とされている出来事自体が問題ではない。もちろんそれも奇蹟だが、そういうことが起こると本気で思って作ったわけではないだろうし、あれはあくまでも一つの道具である。奇蹟とはでは何なのか。

私が感じたのは、映画が終わりに近づくにつれてどんどん「神聖な世界」に接近していくという強い感覚であった。それはあの教会のシーンで頂点に達する。神聖な世界とはむろん、「死」の門をくぐったその彼方の世界である。真理子はその世界に近づくことによって、その深い「愛」の世界に目覚めていき、それがあたり一面に満ちていく・・私は、そのような巨大な「愛」が存在すること自体が「奇蹟」なのだ、というふうに感じたわけである。つまり「向こう側」から見たとき、この世界、この生が無限の愛に抱擁される・・という、死期を悟った人だけが見えるような世界をかいま見たような感覚なのであった。監督は公式サイトで、つたえたかったのは「感謝」だといっているが、その感謝が魂に生まれてくるのは、さらにそのもとになっているある大きな力が動いているからであろう。監督はそれを言語化してはとらえていないが、明らかに理解し、表現しているはずである。というわけで、奇蹟というのは言葉をかえれば「死と愛」でもある。これは「セカチュー」の世界ともかなり似ていますね。あの映画でも、アキが死に近づくにつれて荘厳な光に包まれるように描かれているが・・ 死は「深い思い」を呼び起こし、それを通して私たちはあの輝かしい世界のことを少しずつ思い出すのではないか。「四日間の奇蹟」で流れる「月光」の曲も、きわめて魂の憧れに満ちた音楽だとあらためて思った。何かを強烈に求めている。

そういうことを直感的に理解している人が、日本にもずいぶん増えてきたのかもしれない、というようにも思う。私はこの「四日間の奇蹟」は、かなりに「スピリチュアルな映画」だと表現したい。私が「スピリチュアル」という言葉で呼ぶのは、あの、巨大な愛であり、光である世界を感じ、体験することに関する事象の総体である。別の言い方をすれば、「どの魂も、その根抵ではそれを求めている」という、その何かである。そういう魂の深い欲求を表現することに成功した作品であると思った。ふだんは隠されているその「何か」がそこに降臨しているという、「聖なる瞬間」にたどり着くことをめざしている話なのである。だから、あのシーンは一つの厳粛な儀式のようにも見えるのであった。あそこは何かとても霊的な世界に行っていたような感覚が残るのである。そこはすべてが美しく、愛以外のものは存在しない。それこそが魂の真の故郷ではないのか、と思える。

死と和解したときはじめて、私たちは真実の愛に気づきはじめるのだなあ、と実感する。

「セカチュー」や「解夏」をいいと思った人は必見。ついでにいえば、「解夏」の最後で主人公が失明して白い霧の中に入るのだが、あれももしかして「光の世界」なのかもしれない。そのように思わせる表現だった。

それから一言言っておくが、それは、あまりウェブでの映画評などは読まない方がいいということだ。ホントに、自分の好きでない映画をコテンパンに酷評していることなんかがよくあるが、そういうのは、映画にかこつけて自分の中にある邪気をはき出しているだけである。それを読んだ人がうっかりその邪気を吸い込むと、書いた本人はすっきりするのだ。そのような、ネガティブな波動をウェブに乗せることの意味もわからない人々が書いた文章など、しょせんは読む価値のないゴミである。うっかりゴミを口に入れないようくれぐれも注意。なおこれは「批評」を否定するわけではない。問題は、適当な理由をつけて、ただネガティブな感情を吐き出しているにすぎない自称・批評が多いということだ。

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