カテゴリー「文化・芸術」の19件の記事

2020.04.26

『カラマーゾフの兄弟』マンガ版

泣く子も黙るドストエフスキーの名作、『カラマーゾフの兄弟』のマンガ版を読みました(二種類あるけど講談社版のほう)。
いや、これがすごかった。古典文学のマンガ化はたくさん読んできたけど、これはその中でも最高によく作られています。
原作のもつ「激しさ」、緊張感がよく出ていて、ドストエフスキー特有の「世界観の激突」が見事に表現できてます。
絵にしがたい「大審問官」も、よくここまで・・という感じ。キリストも存在感をもって描かれている。
漫画家として知られている人ではないけど、すごい画力ですね。

 

今回、長老の死後に奇蹟が起きなかったということが、大審問官への伏線になっていることに気がつきました。
原作で読むと、読み切るのに二週間はかかるしろものであるため、前の方を忘れていくので、今まで気づかないのはうかつでした。

 

当時のロシアの悲惨な状況の中で、ドストエフスキーが「神」と格闘していたことがよくわかりました。

 

この作品といえば、亀山氏の新訳が話題になりましたが、私はあまり面白くなかったんですよね。緊張感がないというか。
私は、米川正夫訳の世代ですので(笑) あと、江川卓、原卓也、とかいましたが。

 

私は、このマンガ版は作品の本質を表現できていると考えますので、まずこれを読むことをお勧めします。

 

 

神はあるのか?
これが大問題です。
あるいは
「神の作った世界を許せるか?」です。

 

なぜ最高善であるはずの神が創造した世界が、苦悩と悲惨に満ちているのか。
問題はそこに尽きます。

 

が、これを今の2020年の時点から見るとどうなるのか。
ドストエフスキーが直面していたのは、キリスト教的な世界観の限界とも言えます。
彼は、上の問題に答えを出してはいません。
答えはないのです。
ただ、キリストの愛はそこにあり、それは私の中の愛でもある。
それだけは信じることができる、というのが彼の結論だと思います。

 

神がなければ、すべてが許される。
その通りです。(世界に規律を与えるものとしての)神はないのです。
ですから人間は完全に自由です。
ですが、その上で、人間は愛と調和に満ちた世界を作ることができるのか。
これが21世紀の思想的課題です。

 

キリスト教圏には、「私は本来、神である」という思想や、「カルマ」のコンセプトはありませんでした。
また、「世界とはゲームである」という思想も。
いかなる苦悩といえど、「自分が作っている」という原則は変えられないものです。
神は世界を作っていません。
神が世界を作ったと考えるから理解できなくなるのです。
世界は人間、私が作っているというスタンスに立てば、矛盾はなくなります。
私が創造主だということです。

 

ですので、ドストエフスキーがつきつめた結果は、つまりは、「神が世界を作った」という思想では行き詰まることを示唆するのです。

 

ですが、
漫画の本一冊で、ここまで思索を呼び起こすというのは凄いと思いませんか?
やはり、偉大な作品ですね。
原作は、もう30年以上読んでいませんが。

2008.09.04

コッペリア

バレエDVDシリーズは、コッペリアである。

B0006A9HV2 Coppelia
Delibes
Kultur Video 2004-12-21

これはお安いし、レビューもよかったのだが、たしかに買って得するものだ。

何でこんなものを見るかというと、なんと・・11月に、吉田都さんのスワニルダで、コッペリアを見るのだ。その予習というわけである。こちらのDVDは、オーストラリアバレエなんだけれども、スワニルダの子はすごくよかったです~ このバレエ団、美人ぞろいなので、女性美の鑑賞を主目的とする私には、最適です(笑) この作品は、主役が大活躍するので、吉田都さん、ひじょうに楽しみですね・・ 音楽も楽しい。みんながよく知っているメロディで、もとがこのコッペリアであることを知らないものがあるので、必ずびっくりするというのがありますね・・

「ライモンダ」も予習中です(笑)

2008.08.29

終わりました(^^)

・・といっても、原稿ではなく、「守り人シリーズ」です。いやいや、壮大なる物語でした。読み終わってしまって、ちょっと虚脱・・

この次、上橋菜穂子の他の作品と、荻原規子にいこうと思っている。

・・逃避モードか?(笑)

(追記)このシリーズがおもしろかった点はどこなのか、考えてみた。よいところはいろいろあげることができるが、一つには――この物語には、新ヨゴ皇国、カンバル王国、ロタ王国、サンガル王国、そしてタルシュ帝国と、5つの国が出てくるのだが、それらがみな、風土や文化、そして政治経済の体制までそれぞれ個性があってちがうものに書き分けられている。さらにその国の中にも、征服された先住民とか、国境に関係なく生きている海の民といった「少数民族」の動向というのが書かれている。そこが、世界というものの複雑なありようを写し取っており、その点では、アーシュラ・グウィンのアースシーシリーズ(通称「ゲド戦記」)よりも上だなあ、とも思えた。さらにもちろん、呪術師という存在がいて、「向こう側の世界」と接触し、それがまた政争にも使われるので(つまり、サイキックスパイ?)、いわゆる「ハイファンタジー」の作品の中でも、なかなかここまで「世界の細部」を描いているものは、少ないのだった。

2008.08.08

上橋菜穂子のファンタジー

原稿があるので、夏休みといっても、そんなに自由な時間がたくさんあるわけではない。いつやってもいいという、フレックスではあるが・・

ちょいと息抜き、というつもりで、軽い気持ちで図書館から借りてきたのだが・・

始めると、なかなかやめられない。日本にこういうファンタジー小説があるなんて、驚きである。・・といって、かなり有名なんですけどね、実は(^_^;

4035401501 精霊の守り人 (偕成社ワンダーランド)
上橋 菜穂子
偕成社 1996-07

見える世界と、見えない世界との均衡と秩序という世界観に立つので、スピリチュアル的に解釈することも可能だが、それよりまず物語としてひじょうに面白くできております。登場人物のイメージも鮮烈だし。これは萩尾望都以来の衝撃でした。

上橋菜穂子さんて、名前がいいですね~ なんかイメージとしては、里中満智子さんみたいな、知的で優美な美人、という感じがする。あるいは、写真を見ないで、ずっと幻想にふけっている方がいいのかもしれないが・・ どうなのでしょうね。彼女は、文化人類学者でもある、ということで、どうりで、神話や古代的な習俗のことを、よく知っていて書いているな、というのが、私にはある程度わかる。大学の准教授もしているようだが、しかし、大学教授の収入なんて、売れっ子作家にくらべれば微々たるもので、人が考えているほどひまではないので、作家専業になって今の二倍くらいの作品を書いてもらいたいような気もしますね~

この「守り人」シリーズは、全部で10巻もある。原稿からの逃避モードへの、厳しい誘惑である(笑)

実は私も・・そういう物語の才があればな~ と思うことがある。私に見えているヴィジョンを、存分に描くのだが・・

2008.03.21

現代美術展覧会

予算消化をかねて、美術館めぐりに行く。
前回のブリヂストンで現代美術に興味を持ったので、今回は現代美術館と、新美術館での展覧会を。

東京都現代美術館では、川俣正の展覧会と、岡本太郎の大壁画「明日の神話」が見られるというのがポイント。
いや、この「明日の神話」はかなりなもの。ひじょうにわかりやすい。中心に、骸骨と、その再生というテーマが描かれているが、イメージがひじょうにシャーマニック。

岡本が縄文文化ファンだったことは知られているが、シャーマニックな感性が縄文とむすびついているとわかる。
この壁画は、のちに渋谷駅の井の頭線乗り換え通路に展示されることに決まったそうである。

で、初めて新美術館というものに行った。いや、話に聞いていたがたいした建築である。
展覧会は、何人かのものを集めたもので、そのうち何人かはなかなかおもしろいものもある。

しかし疲れた。
千代田線から丸の内線に乗り換えるというだけで、私が通常、一日で歩く量を超えてしまっているので・・
そういう日常に問題があるのではないか、というのは考えないことにする。

2008.03.07

現代美術は異次元波動の表現である

きのうは東京へ出て、あいた時間にブリヂストン美術館にて、現代美術を中心とするコレクション展を見る。

いや、ここですごかったのはザオ・ウーキーという人の作品。中国生まれで「趙無極」というらしいが、フランス育ちだということ。
この作品は現代美術風ではあるが、なぜか「タオ」を連想させる作品。エネルギーのうねりのようなものを感じる。

あと、白髪一雄という変な名前の人の「観音補陀落浄土」という不思議な作品も圧倒的な迫力がある。
これは、画像ではどうってことなさそうだが、現物で見るとその色彩の美しさがかなり衝撃的である。

それから、オーストラリア現代美術の作品があるが、これは実はアボリジニ出身の美術家で、そのシャーマニックな感性の表れた作品は、世界的に注目されているものである。

この美術館はさすがに、収蔵品のセンスが非常によい。

カンディンスキーやミロから始まる現代美術を一通り眺めてみて感じることは・・

こういう抽象絵画に関し、「何を描いているのかわからない」というシロートの言がよくある。
それに対する答えとしては「地球のものは描いていません」ということである。つまり、それは「宇宙」を描いているのであろう、ということになる。

つまり、20世紀に入って、次第に、人間が感じることのできる世界の領域が、人類の認識している地球世界にとどまらなくなり、その限界を突き破って、「何か」を感じられるようになってきた、ということである。
すなわち、これは「波動の世界」を描いていることになる。高次元にある世界で何を見るのか、といえば、それはもちろん肉眼で見るわけではなく、第六感で感じるということだが、それを、ふつうの人間が見える形態に「翻訳」して表現したものが、こうした抽象絵画なのである。

ザオ・ウーキーの作品は、私たちが地球世界を超えて、違う次元の世界に行ったときに「見える」世界の感覚を、かなりそのまま表現しているように思われたのだ。
つまり、それは何となく「なじみ」なのである。そうそう、こういう世界なんだ、という、宇宙にいたときの遠い記憶を呼び覚ますものがあるのだ。

そのように、抽象絵画とは、インスピレーションがすべてである。わかるもわからないもない。その前に立った時に何かを感じるかどうかしかない。別にむずかしいことは何もないのである。

たとえばヘミシンクみたいな技法で意識を飛ばして、地球でない世界にコンタクトし、それを「波動」としてキャッチするような場面を想定して、その波動感覚を仮に色と形態で表現するとどういうふうになるのか、ということである。そのように、表現された作品から逆にその「波動」を再体験してみる。そうすると、優れた抽象作品とは完全に一つのトリップになることがわかる。

人間は、実にいろいろな世界を「見る」こともできるのである。
この作者はどのような世界へ意識を飛ばしてどういう波動をキャッチしたのか、そのように見るとおもしろい。
ただ、変なアストラル・トリップに終わってしまうことがあるのは、精神世界の場合と変わらない。よい波動とはどういうものか、わかっていないと危ないことにもなる。

人間の意識はどんどん宇宙へ向けて開かれてきているんだということが、現代美術の流れを追うと実によくわかる。こういう人たちはある意味で人類の先端部なので、そういう感覚を人に先駆けて発達させているのである。こういう流れを見ていくと、人類はいずれ地球を飛び出していくということもまた明白なることに思えてくる。

2007.11.19

前田真三を見る

とにかく写真集が好きだ。

三好の楽園シリーズにつづき、前田真三に行ってみた。

見ていると何故か、ブラームスが聞こえてくるような感じ。
前田真三がその北海道・美瑛の写真を撮ったのは50代以降なので、成熟した男性のロマンティシズムという点では共通しているだろう。

特に、秋・冬の写真がいいと思う。
今度の冬はひさびさに雪景色を見に行こうかしら。

4062131110大地の詩―前田真三PHOTO BOX
前田 真三
講談社 2005-10

2007.11.05

三好和義のイルカ写真集


4093590710楽園の友だち―DOLPHINS,FRIENDS OF THE EARTH
三好 和義
小学館 1995-06

三好和義だが、マケプレで安かったので買ってしまった。これは、イルカの写真集であり、それ以外の何ものでもない。
「なんだイルカの写真か~」と思った人は、それ以上に感じることはないかもしれないが、
胸にイルカのペンダントがある場合は、また、感性が異なるものである(笑)

「イルカ」と聞いて何かを感じる人向け。

三好和義と楽園写真の波動――『ハワイアン・スピリッツ 楽園の秘密』ほか

一時、星野道夫にこっていたが、最近は対極ともいえる「三好和義」にはまっております。
アラスカから南の島? そんな両極端な・・と思うかもしれないが、陰極まりて陽となり、陽極まって陰となる、のがこの世界ではありませぬか。

いやとにかく、写真集のページをめくるたびに、至福感が高まっていくというこの感覚は何であろうか? たぶんこの写真は、現実の世界とはどういうものであるか、を撮ろうとしているのではない。この物質世界に時々かいま見えるところの、永遠の至福のみが支配している世界への予感を描いているのである(と勝手に断定)。

ここで特に紹介するのは二冊である。
一つは最新刊、『ハワイアン・スピリッツ 楽園の秘密』。
いやこれはほんとにすごい。もうビビビと波動感じまくりの一冊。実はこれは最高の「スピリチュアル写真集」と私は言いたい。スピリチュアルと言ってもオーブが写っていたりするのではありませんよ(笑) そういうふうにスピリチュアルを理解している人は、このブログではお呼びではないんだが・・ともあれ、まず表紙から、最初の方にある、ダブル・レインボー(二重の虹)の下で人々が聖なるダンスをしているという写真から、その波動には完全にKOされる。さらに古代人が遺したペトログリフ(岩絵)のある聖地の写真ですよ。ここで私は、そのエネルギーのあまりの強烈さに圧倒され、思わずちょっと休憩を入れましたね(笑)
それから後半ではハワイの自然のエネルギーが爆発という感じで・・これはどうしたの? なんだかすごいことが起こっている・・明らかにこれは三好和義のこれまでの作品を超える最高傑作じゃん!! なんでこんなものすごい写真が撮れるんでしょうね?? そこに封入されているパワーの莫大なることには腰を抜かしそうになる。とにかくあまりにもすごいのだ。すごすぎる。正直、ぶっ飛びました。

・・って、しかし、出会う時期というのもあるからね・・ 私も一年前は星野道夫のアラスカ波動にひたりきり、アラスカの環境エッセンスまでのんでいたのだから(いまものんでるけど)。いや、アラスカと南の島、これは明らかに通じる。地球のエネルギーという共通項で。この対極の波動をいずれも優れた写真で受け取ることのできる日本人は恵まれているではないですか。

自然のエネルギーに感じる人、聖地が好きな人、ハワイのエネルギーに気づいている人・・には特にお勧めである。

4096806226ハワイアン・スピリッツ 楽園の秘密
三好 和義
小学館 2007-06-19

そしてもう一冊は『巡る楽園 四国八十八ヶ所から高野山へ』である。
こちらは南の島から一転してお遍路ですよ。しかしこれも「楽園めぐり」には違いない。私が行ったことのあるお寺も多いので、懐かしさも混じったが・・
しかしこの写真にあるのはマギレもなく「聖地波動」。たとえば八十八ヶ所の中でも指折りの聖地である焼山寺、鶴林寺、太龍寺、室戸の洞窟など・・私がその地で感じた聖地波動が極めて正確に表現されているではないか。ううむ。それから大日如来ほか「ご本尊」たちもすごいエネルギーを放射している。

まさに楽園写真そのもの。楽園とは、聖地の波動ということである。それは、永遠なる至福の世界から放射されるエネルギーが、物質界の「視覚」というモードにおいて表現された瞬間である。

ともかく極めて濃厚な一冊。ぶっ飛ぶというのとは違うが、そのエネルギーの質の高さは比類がない。お遍路写真集はいまたくさんあるが、そういうのとは違う。こちらの写真集も、私にとっては大衝撃であった。

4096806234巡る楽園 四国八十八ヶ所から高野山へ―三好和義写真集
三好 和義
小学館 2003-12


三好和義はどんどんグレードアップしているようだ。『ハワイアン・スピリッツ 楽園の秘密』は完全に来ているとしか言いようがないが、それは、この地球の波動そのものが上昇していることと無関係ではないのかもしれない。

もう一度言っておくが、スピリチュアル写真とはオーブやUFOの写真ではありません(笑) 

2007.03.13

いろいろ絵を見る

あまった予算の消化で、「巨匠の日本画」「現代の日本画」そして「世界の名画」等、画集をつぎつぎ購入。いずれも古本屋でセットでたたき売られているものがメインだ。

ひさびさに絵をいろいろ鑑賞。
私のお気に入りはジョルジョーネで、「テンペスタ」や「眠れるヴィーナス」などその不可思議な波動は印刷を通しても伝わる。この波動はすごいもので、私はジョルジョーネは西洋絵画史上、最大の天才の一人だと思う。ダビンチとも同等くらいである。

それからエル・グレコである。これは、こちら側の人々と一緒に「あちらの方々」つまり天使などが描かれていて、「こういうことが起こっているんですよ」という絵であるわけだが、私にはかなりリアルに思われます(笑) 私は、現代人の常識を離れているので・・ 大原美術館にある絵はのってない。倉敷へ行って「聖霊」のエネルギーを浴びましょう。エル・グレコさんもかなりいってることは間違いない。

ゴッホ。これはもう、完全にいってます(笑) 有名な「星月夜」はもちろんだが、自画像なども、顔のまわりに渦巻きのようなエネルギーみたいのが描かれていて、これは一体何か? という感じ。ゴッホは天才として認められていてすごい値段がついているが、はっきり言ってこの絵を通して見えている世界は、現代人の常識を超えた、実はかなりすごい世界と言ってよい。みんなわかってるのか? 私にはちょっとこわいです。こんな絵が家にかかっていたら普通に生きていけません。どうみても狂気である。ただし、プラトン的な、「聖なる狂気」ということである。画集を見終わって、あまりのすごさにしばし呆然とした。正気を失わないとなかなかこういう世界は見えない。スピリチュアル・エマージェンシーを経験した人はゴッホの絵をどう見るであろうか。こんなアブナイ絵をそんなに評価して大丈夫か? 敏感な人はひっくり返ってしまいそう。

ルノアールはかなりよかった。
ルノアールがスピリチュアル絵画、というと意外に思う人がいるかもしれない。ルノアールはエル・グレコみたいに「いかにも」のスピリチュアルではないからだ。

しかし、音楽で最もスピリチュアルなものは実はモーツァルトだ、ということと同じことがここにある。

ルノアールの絵には、つねに、言いしれぬ幸福感が支配している。ある絶対的な幸福感覚があって、それは魂レベルで目覚めている人のみが発することのできるエネルギーだと思う。

絵の技術は勉強によって学ぶことができるが、このような「魂の資質」は天性のものである。もちろん、「ワーク」によってそれを磨くことはできるが。

「いかにも」ばかりがスピリチュアルではない。

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