自己ヒーリング
きのうはひさびさに自己ヒーリングをした。するとたちまち途中で眠ってしまう。
気がつくと、エネルギー的には以前とまったく違うものになっている感覚がある。これはたぶんライタリアンレイキの効果だろう。今では、シンボルなど特に使わなくても、十分に高次元エネルギーが流れる。
定期的に自己ヒーリングするのも重要だとあらためて思ったわけである。
きのうはひさびさに自己ヒーリングをした。するとたちまち途中で眠ってしまう。
気がつくと、エネルギー的には以前とまったく違うものになっている感覚がある。これはたぶんライタリアンレイキの効果だろう。今では、シンボルなど特に使わなくても、十分に高次元エネルギーが流れる。
定期的に自己ヒーリングするのも重要だとあらためて思ったわけである。
先日、「別のところに書いている」と言ったが、いったいどこにあるのか・・などという声もあるが、ずーっと前から出ているのに、見るとも見えず・・ということはよくあるのですね。
7月くらいから、そっちの申込が多くなってきたが、考えてみると、そのころから「アバンダンス・エッセンス」を飲んでいた、ということを思い出した。今も、一日二回ほどだが、続けていて、なくなるまでは飲むつもりだが・・ たしかに、「豊かさ」を引きつけていることは、否定できない。お金だけのことではなくて、「自分の望むものを引きつける」という意味においても。
エッセンスは、複数同時進行しているので、どれの効果か見きわめにくいこともあるが、効果というのはドラマティックに出る場合もあれば、「気がついてみると・・」と、後でふり返ったときに変化を感じる、ということもあるようだ。
エッセンス単体じゃなくて、いろいろセットになった「アバンダンス・プログラム」も有名ですねえ。
女神系エネルギー・・ 「アバンダンティア」というエネルギーワークとはかなり同質のものを感じる・・って、同じ女神だからあたりまえですか(^^)
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アバンダンス エッセンス パシフィックエッセンス 2001-03-19 |
よく最近、「リーディングをしてもらったら、かえって言われたことがトラウマになり、苦しんでいる」という例を見聞きする。高いお金を払って、傷をつけられて帰ってきたというケースもあるようだ。
ヒーラー側に問題のあるケースは二つ考えられて、
一つは、リーディングをするというが、その能力自体が「問題あるアストラル次元の存在」に由来しているケース。これはもっとも危険である。霊感商法につながるようなものは、たいていこれである。かなり大きな宗教団体でもそういうのはあるから、油断はならない。サイキック・アタック(つまり呪いですな)を行い、自分の勢力を拡大しようとする。
もう一つは、そういう悪意があるわけではないが、ヒーラーが未熟であるケースだ。こちらの方が多いだろう。
こういう未熟さの一つの例をあげると、「少し見えるようになったというので、自分が偉くなったと感じてしまう」というのがあって、クライアントに対する言い方に、傲慢さのようなものが出てくる。見下ろして話し、説教する。つまり、クライアントがセッションを頼むということを、「『霊的教師』になってくださいとお願いされた」ことだと勘違いしている人がいる。
このような、「他人に対して『霊的指導』をすること」がもたらす、自我に対する快感は、ひじょうに強い。ほんとうの力がまだついていない人が、この快感に身をゆだねてしまうと、ほんとうに堕落する危険があって、しまいには、低級霊とのコンタクトが生じるところまで落ち、第一のケースになってしまうということも、まったく考えられないことでもない。それほどこの「傲慢」への誘惑というのは、ヒーラーという職業の落とし穴だということを、よくよく肝に銘じる必要がある。
昔の霊的修行は、徹底的に自分を捨て、祈りのみで数年を過ごすような激しい「前行」の後に初めて、「力」を授けられるような行法をしたものだが、今はそういうトレーニングの部分だけを簡単に習えるような時代になっているので、その「力」に見合う意識レベルを保てない人も多くなっている。そういうのも自由市場ということで、どんどん「開業」しているのが現状である。
前にもあるヒーラーのHPを見て、ひじょうにいやな気分がしたのだが、それは、テレビに出ているような有名人をいろいろとりあげて、この人はああだ、この人はこういう問題がある、などということを(うれしげに?)書いている。自分の「見える力」に酔っている様子があまりにありありと出ているので、気分が悪くなってしまった。このように「霊的傲慢さ」というのは、この道を進む人が気をつけるべき陥穽なのである。
ただまあ、「傲慢」というのでなくても、力はあるが、「気性が荒い」という性質の人もいる。これはなぜかというと、私の推測では・・現代社会では、ヒーラーというと、女性の方がなりやすい。男性がなるのは、なかなか難しい問題が多い。そこで、過去生でヒーラー、シャーマン、行者だったような人は、今生では女性になって、ヒーラーになっているケースも多いようである。このため、肉体は女性でも、魂レベルでは修験者っぽい荒々しさがあるとか、そういう人も多い。たとえば有名な人ではスクール主催のW.Yさん、M師の弟子であるS.Mさんなんか典型的なケースだと思うが・・ ということなので、こういう人に「癒し」を求めて近づいても、返ってくるのは「修行モード」であり「喝」であったりするという、ミスマッチのケースというのも考えられるところである。
しかし、有名なヒーラー養成学校でも、そういうノリのエネルギーをもっているところはあるのだ。そこも注意すべき点である。私の知り合いのヒーラーさんは、かつて、ある有名なスクールに通ったことがあるのだが、そこは、人の悪いところを次々と指摘していくようなやり方をするので、合わないと思ってやめた、という話しをしていた。そのスクール出身の人のやり方も見たことがあるが、たしかに、そういうところはあった。なんだか上に立って説教するような感じが強くあるのだ。
つまり、未熟なのかそれとも荒行モードの人なのか、判断に迷うこともあるかもしれないが、まあ、「厳しいことをいいますけどいいですか?」なんていっている人は、やめておいた方が無難であろう。よほどの縁がない限り、ふつうのひとは「荒行モード」などをする必要はないからだ。荒行モードでも、ほんとに行が進んだ人ならいいが、中途半端では、やたらに人に厳しいだけの「傲慢モード」に陥る危険が高いということもある。つまりこういうモードは「厳しくするのはしかたがない」という意識設定がされているわけだから、必然的にそういうセッションになるのである。私個人としては、こういうやり方は、「傷を与えるセッション」をしてしまう可能性が高いので、よっぽど力のある人以外は、避けた方がいいと思う。したがって、そういうやり方でスクールをやるのもあまり賛成はできない。
癒し志向、スピリチュアルロハスなどは、「女性的文化の復興」という意味で、始まっているところがあるが、これまでの「霊的文化」の遺産の中では、スピリチュアル・マッチョとでもいうべき伝統もあり、そういう霊的系統にある人も、かなり混じっているということである。世にあるヒーラーすべてが「癒し」を提供するわけではなく、来た人を「弟子」だと思ってしまう人々がかなり多くいることを知っておく必要がある。
ヒーラーを依頼する場合は、とにかく、そのエネルギーをよく見きわめること。女性だからといって、優しいとは限らない。残念ながら現状では、完全に自己責任の世界で、大金を払って傷つけられて帰ってきても、誰にも文句を言うわけにはいかない。前に紹介した『神は私にこう語った』とか、波動の高い本などを近くに置いて、高い波動とはどういうものか、日頃から経験しておけば、失敗は少なくなる。
未熟さというのは、傲慢さばかりではなくて、知恵の浅さというのもある。「見えたもの」を、ただそのまま言えばいい、というのは浅はかなことで、それをクライアントが知ることで、カルマが動いてしまうこともある。言っていいものかどうか、判断するということも必要なのだ(頭で判断できるわけでもないが)。だから、ただ技術として「見ること」だけを学んだしまうのは、危険が伴う。むしろ、相手のハイアーセルフと接続してそのメッセージを伝えるといったやり方の方がはるかに安全であろう。
「ここが悪い、ていうことばかりたくさん言われて、どうすれば解決するのかは教えてくれなかった」という不満も聞いたことがある。リーディングというのはヒーリングとセットでなければいけないのである。
ついでに書くと、こういうのもある・・ そこは、あるメソードで、クライアントの霊的感覚を、急速に開かせてしまう。そうすると、いろいろなものが見えるようになるので、面白いのだが、バランスが崩れるので、ものすごい「受けまくり体質」になってしまう。それをとってもらうには・・またそこへ行くしかないので、そこへ行ってお金を払い・・で、いつかは体質が強化されて受けなくなるが、それまでにはン十万円はかかってしまうという、そういうことをやっているところもある。
「エネルギーワークインストラクター」としての活動の方は、少しずつなのだが・・ 最近のおすすめといえば、「ライタリアンレイ」だ。これは、かなりシンプルなのだが、思いのほか、光のエネルギーが強いワークである。高次元と接続するというワークといえば、そもそも「念仏」や「お題目」だって、そういうものには違いないのである。「世界平和の祈り」なども同様。すべて宗教というものは、光とつながるワークでないものはない。そういう種類のものが、現代に新しく出てきても何の不思議もない。鎌倉時代、念仏というものを知って「これだな!」と思った人がたくさんいたのと同様、現代において、そういう新しい光のワークに接して「これかも?」と感じる人がいるということだ。それだけのことなので、私にとってはひじょうにシンプルな話である。
「光につながるワークというものがある」ということ自体、別に「科学的証明」があるわけではない。そういうものがあることは、むしろ、宗教哲学的に肯定されることだと思う。実際にあるワークのどれが「ほんもの」なのかということについては、これは「魂の感覚」以外に頼るものはない。もちろん、合う合わないという問題も大きい。私としては、思想的な立場から、光につながるワークがあるということ自体は肯定している(この立場は、詳細に言うと、「恩寵」や「契約」という神学的コンセプトを取り入れた思想ということである。日本の知識人の多くは、こういうイデーがわからない)。特定の何かをすすめるのは、あくまで、私個人の感覚から言っているもので、普遍性が証明されているという意味ではないことに注意されたい。
ま、いいものだと思っているからこそ自分でもやっているわけである。というわけで、遠隔やスカイプでのアチューンメントもできますので・・ というと何か宣伝ぽくなってしまうな(笑)
このワークが広まらないのは、日本ではものすごい高値になっているという事情がある。このワークの本拠はアメリカにあるのだが、その「本場」がやっている値段に比べて、日本では2倍くらいもするのである! こんなばかな話はない。私は、この本場の値段の80%くらいの値段でやるのが「適正価格」だと考え、自分ではそのようにおこなっている。たぶん、日本でいちばん安い方だと思う。
ここ数日、「クジラペンダント」を愛用中。
最初、イルカペンダントにしたのだが、どういうわけか、エネルギー的に合わず、頭痛がしたり、ふらふらしたりしてくるので・・ ところがクジラに変えてみると、不思議とフィットする。まさに多次元的に拡大しているというか、巨大な「意識の海」を悠々と泳ぎ回るような「悠揚」という雰囲気が生じてくる。ふつうは、クジラは強すぎるので、まずイルカに慣れてから・・と言われているが、こういうこともあるようだ。高次元・多次元に包まれている感覚が上昇する。
この夏は、さらなる意識解放がテーマとなる。一方、著作については、「神聖なる計画」の存在が意識されており、すべては完璧に運ぶことになっているので、まったく心配していない。そこへ向けて意識フォーカスを強化しているのがここしばらくの状況である。
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クジラ(ホエール)エッセンス入りペンダント ネイチャーワールド 2004-05-31 |
ドリーンの『エンジェル・ガイダンス』につづいて、ソニア・ショケットさんの『あなたのガイドに願いましょう』も、ガイドや天使と接続する方法を書いている本。表紙がきらきら輝くようになっているので、それもちょっとインパクトがある。
あわせて読むとかなり強力だと思う。こちらも相当なるおすすめである。内容的にも、だぶらない部分が多いので。基本は同じではあるが。
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あなたのガイドに願いましょう―聖なるサポートシステムにつながる方法 ソニア・ショケット 奥野 節子訳 ダイヤモンド社 2007-03-09 |
レイキのサードでは、ハイアーセルフにつながるエネルギーが伝授されるが、これまでの講習では、ハイアーセルフにつながる方法についての学習が十分ではないと感じていた。そこで、こういった本を副読本にして、サードのエネルギーを活用してもらうやり方が、効果的ではないかと思う。私が今後やるときはそういうふうに進めてみたい。
最近世にある、ヒーラー養成スクールというのをばかにしている人もいるようであるが、これらはかなりまじめにやっているものである。ここを卒業して、実際にお金を取ってお仕事をしているような人は、ある程度のレベルのことはできるのはたしかであると思う。ヒーリング能力というのはある種の人のみに限定されたものではなく、トレーニングすれば誰でもある程度できるようになるものだということを、こういうスクールの存在は世に示している、ということにもなる。つまり、こういう能力というのは、100メートルを10秒以内で走れるというようなレベルの特殊技術ではなく、極端にいえば、美容師や看護師になるのと同等のことだ、ということになってしまう。このような認識が広まり、こういうスクールが各地方都市にもできて、大量のヒーラーが養成されれば、世の中は大いに変わっていくことであろう。
もっとも、エネルギーヒーリングはともかく、リーディングの方になるとどうなのか。これまた世にはたくさんのリーディングをする人がいる。
私の見聞の範囲でいうと、やや問題のあるリーディングというのは、「相手の領域に侵入しすぎる」という傾向がある。さらに、「自分のもっている精神世界的な価値観を押しつける」ということも時々見受けられる。いろいろな本で言われているようなニューエイジ的価値観から、「あなたは・・・であることに問題がある」というような判断をすることがある。そういう判断もある程度必要なのであるが、ややもすると、そのように霊的なことがらについて他人を「指導」するということにおいて、エゴ的な快感が忍び込んでくる可能性があるということを、リーディングをする人は強く自省すべきだと思う。「あなたは・・だ、あなたは・・だ」と一方的に言うような人がしばしばいるのである。そこでこういうエゴ的な快感に負けた人は、そこにグルと弟子の関係をつくって、自分の勢力下においていろいろ「指導」しようとするわけだが、これはかなり「教祖」への道だということになる。このようになってしまった人が、自分の勢力圏に引きつけるためにサイキック・アタックをおこなったり、相手のエネルギー場に何かを埋め込んだりする例も残念ながら存在する。波動があまりに下がると低級霊が寄ってくるので、どんどん転落するのである。
そのような危険な教祖レベルまで行く人は少ない。しかしこの延長線上にかの有名なるカルト教団の名前があるということを忘れてはいけない。こうなってしまうとその末路はおそるべきアストラルの最低層である。霊的な「指導」をすることの恐ろしさというものを意識し、紋切り型のニューエイジ的価値観で「判断することば」を吐くことの恐さを知る必要がある。そのためには、たまには河合隼雄とか、カウンセリングの本でも読んでみることもよいと思う。
また受ける側も「自分ももっているパワーを明け渡さないこと」が大切なことであろう。波動が弱っていると変なヒーラーを選んでしまったり、よいヒーラーに行き着けなくなることがあるので、状態がいいときに信頼できる人を探しておいた方がいい。
最近、プラーニック・ヒーリングというものがある。以前になるが、どういうものかと思って検索してみると、「ねもっち」かよ~~ と驚いたものである。「ねもっち」とは根本さんのことで、実は私はかな~り昔、メーリングリストをやっていたことがあるのだが、その時に参加していた人なのであった。彼は理系の大学の先生をしていたのだが、それをやめて、江本勝に弟子入りし、それからチョー・コク・スイ大師についてプラーニック・ヒーリングを学び、今では日本でそれを教えている、ということである。
プラーニック・ヒーリングはわるいものではないだろう。趣味の問題であるが、私はどうも「大師」というのがひっかかってしまった。HPの記述から受ける波動は、やはりどうもミステリーサークル系のものである。これを受けにいったという知人も、神智学のファンでコテコテの秘密結社系の人であるので、やっぱりこういう人がひきつけられるのだな、と感じた。類は友を呼ぶというのは普遍的真理である。だめと言っているのではない。パシフィックエッセンスのサビーナさんもチョー・コク・スイ大師に教わっているようだから、決してニセモノではない。私とはエネルギー的に合わないかな、ということ。○○行者というような人が合わないのと同様に・・
HPの記述を見るとずいぶん高度なことが書いてあるが、これが週末セミナーだけでできるようになるのか、できるとしたらそれはどういうことなのか、そのへんは私にはよくわからない。
エネルギーヒーリングにも各種ある。できるだけ神秘系の香りがない方がいい人はセラピューティックタッチやヒーリングタッチ、気功など、秘密結社系が好きな人はプラーニック・ヒーリング、究極的にコテコテ志向の人はロッキーマウンテン、そしてレイキ系はその中間というところだろうか。まあお好みのままに、である。ロッキーマウンテンやドルフィンスターテンプルなどになると、かなりその集団のエネルギー場が強くなるから、合う人でないと入れない。一方スピリチュアル・ヒーリングでも、ブレナンやブドラのスクールなどはかなりニュートラルなポジションであるから、その立ち位置も様々というべきである。
しかしこのねもっちさんの生き方も、うらやましいと思わなくもない。少なくとも自分のやりたいことを貫いているのだから。私はというとまだ生活の一部に「生計のために」という要素が残っている。これを克服して、完全に自分の望む現実を創造する方向にいきたいとは思う。私の本来もっている力はまだ完全に出ていないという気がしている。
このブログでも何度か登場した、禅密気功。
禅密気功にはいろいろな功法があるが、背骨をゆらゆらさせる築基功がなんといっても基本。これだけやっても十分。
短期集中セミナーもあるが、東京へ泊まりがけというのも大変なので、行ったのは築基功だけである。その他はDVDで学習。いろいろやってみた経験を書いて禅密気功事務局に送ったら、会報に掲載された(汗)
背骨の気をゼリー状にしていくということと、頭頂と密処(第一チャクラのことをこう呼ぶ)をつなげるラインを意識することの経験を書いたのだった。
簡単なように見えてかなり奥が深い。
「気功の本」としては、前に書いたように、『気功革命』がおすすめなのであるが、「功法」としては、禅密がいちばんだと思う。霊的なワークの基礎になる、という意味で。
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背骨ゆらゆら健康法―自分でできるお手軽気功術 朱 剛 春風社 2007-10 |
こちらの本は、意念の使い方をよく説明してあり、参考になる。
ただ、築基功だけで全身のほぐしをやろうとすると、かなりたくさん動く必要があるので、ほぐしの部分は、ヨガなどを併用する方法もありそうである。
最近、エネルギーレベルでの負荷が大きくなる時期であるため、エネルギー的なメンテナンスを、真剣に考えないといけなくなっている。調和が乱れてくると、そもそもバランスを取るための行動をしようという意欲や意志までが低下するため、そうならないうちに手を打っておかねばならない。
クイントエッセンスやポマンダーの継続的な使用も不可欠だ。
さらに適度な運動も望ましい。特に下半身にある程度の負荷をかける運動がよさそうなので、久々に太極拳を再開しようかと思っている。
このところ太極拳を休んでいたのは、近隣には良い指導者がいないというか・・形ばかりで、気のレベルで教えてくれるところがないため、教室に行くというのは関心がなくなってしまった。東京や大阪ならあるのだろうが・・
そこで、前に買った中国製のVCDというものを出してきた(DVDではない)。伝統楊式のVCDは何種類か買ったのだが、いちばん参考になるのは李正先生による6枚組みである。型は、私が習ったのと少しだけ違っているところがあるが、そこはあまり気にならない。解説が詳しく、いろんな角度から何度も反復してやってくれるので、覚えやすい。特にいいのは意念による勁力の使い方を話してくれることである。もちろん太極拳初心者がこれで覚えられるわけではないが、ある程度制定拳をやった人ならできるのではないだろうか。これを夏休みには少しずつすすめて、夏の終わりには楊式を一通りマスターしようかと計画する。十分に腰を入れて動くということと、微細な勁力の運動を意識しつつ、というテーマである。
言い忘れたが、このVCDはもちろん中国語である。私は中国語ができるわけではない。しかし、「右足」「前に向かって」「45度回る」など、わかる単語を拾っていくと言っていることの四割くらいがわかるのであまり問題ない。今の中国という国はかなり問題ある方向に進んでいるが、もともと私は気功や太極拳が好きであったので、中国語も多少は習ったことがあったのだ。それにはある程度時間も費やしたので、この程度活用しなければ元が取れない。
これも広い意味では、銀河意識に向かうための自己ヒーリングの一環ではある。
中国武術は北京五輪の特別項目なるものになった。これも中国の国際的地位を上げようという上層部の策動なのだが、体操競技のように点数を競うようになった太極拳などが、はたしてその本質を伝えるものであるのかどうか。北京式の制定拳をかなり習った私としては、その限界も感じないわけではない。中国ではどうだかわからないが、日本ではほとんどが「型」しか教えない教室ばかりで、微細身体性レベルに入りこむことはない。
本当は、内的なエネルギーの流れが知覚できるようになってからが、本当に面白くなるところである。たとえば、動きのラインが数センチずれただけで、内的な気の流れがまったく変わってくることがあるのだ。だからこそ、正確な動作をすると、それまでに経験したことのない気の流れが微細エネルギー場に発生したりもするのだ。ま、これからそういうことをジミに追求しようかというところである。
ヒーリングの分野でやっているワークについては、少しずついろいろな活動を始めているところである。それについてはこのブログの趣旨ではないので、くわしく書くつもりはないが、そのヒントはすでにここでもどこかしらに書かれているのではないかと思う(^^;
まあ、以前のことだが、石川勇一さんの「スピリチュアル・ヒーリングをやります」には、さすがの私もぶったまげたが・・(笑) 私ももう少し書いちゃってもいいのかもしれないんですがね(^^ゞ
この前書いた「クリスタル・ヒーリング」のCDであるが、このところ、毎日2~3時間は流れている状態・・ますますこのエネルギーに入っていっている。
そして、第2曲「レムリアの記憶」にそのエネルギーが使われている石――アマゾナイト、クリソコラ、そしてウォーターメロントルマリンを用いて、「レムリアンブレスレット」を作る計画が、このほど実行に移された。
行きつけの店で聞くと、ウォーターメロントルマリンは、かなりお高いらしく、これのブレス用丸玉は出ていないという。一時は、が~んということになりそうだったが、ウォーターメロントルマリンの小さなタンブルを、ブレスに金具をつけてぶら下げるというデザインによって、問題解決。
緑の石を基調にしてクリアクォーツなども混ぜ、なかなか好ましいエネルギーとなる。できるのは一週間後である。さて私自身のエネルギーもまた変化していくであろうか?
きょうは、クォンタムタッチを体験した。正式のものではなく、セミナーで習ってきた人を講師にして、どんなものかを体験する企画である。
まあやってみると、「たしかに本に書いてある通りだった」ということになるが、それをライブで体験するということに意味があったというか。でも、自分で45000円のセミナーに行かなくても、これで十分かもという感じもある。
クォンタムタッチのキモは呼吸法であるようだ。そして、エネルギーの通り方としては、大地から上げて、頭頂を通して両手へ抜けていく。
そのせいか、大地系のエネルギーであるように感じられる。明らかにレイキのエネルギーとは違うものである。
光という感じはあまりせず、むしろ温泉に浸かってるような感じだった。
ただ長時間ずっと呼吸法をつづけていくのはけっこうしんどい。レイキをやってる人は何もしなくても流れていくので、その楽さに慣れてしまうとちょっときついかも。
クォンタムタッチは、本だけでも勘のいい人はできそうだし、こうやって知っている人に習えるなら、それなりにやっておいて損はないかな、という感じはする。ただ、45000円の予算だと、レイキのセカンドまで受けられるわけで、初めての人が投資するならそっちのほうがいいのじゃないかなあ、という気もしている。レイキをすでにやっている人がやる必要は必ずしもない。やっても損はないけれども。呼吸法の部分はレイキではいらないので。レイキと併用するとすれば、むしろ、セラピューティックタッチのような技法のほうが向いているかもしれない。
クォンタムタッチの本にはいろいろ技法が出ているが、これはレイキのエネルギーでもできるかもしれないな、とも思えるものがある。これは今後、実験してみるか。
鼻の調子が悪かったが、これはたぶん変容の症状ではない。単なる風邪のひきかけである。私は花粉症にはならないので、まさかとは思うが・・
しかし、最近、こういうときには「小青龍湯」一発でたちまち回復してしまう。これは何とも変な味だが、効き方がすごい。飲んだ直後から、鼻腔周辺の気の流れが変化してくるのがわかる。ものすごい速効である。
今のところ、すべてこれ一発で治っている。このところこういう日常的な不調はほとんど漢方薬で治している。なかなか日本にはなじみのないホメオパシーに手を出すよりも、まずは漢方の活用を考えるべきだなと考える最近である。
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いろいろ出ているが、どれ買っても同じですよ。
このあいだ知り合いのヒーラーさんのところで耳にしたCDが、波動感じまくりで、速攻入手した。
ジェームズ・マキオンの「クリスタル・ヒーリング」
なんか、太古の記憶を呼び起こすエネルギーで、こういう波動は、数年前までは表現されることがありえなかったんじゃないの、と思ったり。
ジェムストーンの波動が入っているそうであるが、どのようにして入れるのであろうか(笑) 繊細な波動の音楽に、ヴォイスが入っているが、これがまたすごい。
特に2番の「レムリアの記憶」ですよ~
この曲にそのエネルギーが入っているというジェムストーン三種を使ってブレスレットを作り、「レムリアンブレス」にしようという計画が頭にひらめく。
マキオンさんはエオラのジェムオラクルカードでも有名らしい。このCDはアマゾンでは売っていない。
追記
こっち見たら?
まあ、これを見てくださいよ。
大学教授がヒーリングをやっているなんて、その程度でたまげている人もいるらしいけど、もう時代はここまで来てるんです。
チャクラやエネルギーフィールドの講義から、ヒーリング実習を一年生に、ですよ。
かなり昔に大学を卒業した人の大学というもののイメージに比べ、今は、急速に変わっています。
「授業に出なくても単位が取れる」なんて、いまどきはありえないですし(笑)
もっと総合的なヒーリングを専門とする学科・コースができて、そこの専任教授に就任する、なんてのが私の理想です(笑) たとえば高野山大学とか、そういう波動のいい場所にあればなお良し。案外、10年以内くらいに実現するかも・・ と、とりあえず宣言をしてエネルギーを送っておかないと、実現しませんからね。その意味でも「ヒーリング哲学」の業績をもっと出していかねばなりません。
急に症状が出て、エッセンスのミックスボトルを作るのもめんどうなときは・・コップの水に、エッセンスを2滴ずつたらして、何回かに分けてすする、という手があった。
眼の奥が痛くなり、首筋が張ってくる頭痛は、葛根湯の適応症状だが、エネルギー的には、光を受けすぎて一時的に目がくらんでいる状態である。物理的な光で目がくらむのと同じだが、それがエネルギーレベルで起こっている。このようなときは、FESのラベンダーとセントジョンズワートを基本にして、あと症状に応じて何かつけ加える。バッチのレスキューレメディーでも当座としてはいいと思う。
サードアイ酷使しすぎ・・チャクラバランスもとらなければ。そこでドリーンの「大天使カード」を引くと「チャクラ・クリアリング」と出たよ。なんかできすぎ・・でもせっかくそう言っているのでチャクラ・クリアリングのCDやってみるか。
そうそう、変容にともなうものとみられる頭痛にはどうしたら、という質問を送ってきた人がいたけど、そのことについてはこれでもかと何回も書いているはずなんですが・・、あんまり読んでないのかなあ。
とにかく葛根湯ですよ。それから首ホットン。フラワーエッセンスはバッチよりもFESが適している。過去の記事をよく読んでね。
かくいう私は、現在も首ホットン中・・(笑)
きょうは、スピ系の弟子筋?にあたる若い人二人とひさびさにお茶&ディナーであった。
そのうち一人の子が、どうも元気がない。どうもみぞおち、第三チャクラあたりがかなりつまっており、エネルギーが停滞している。さらにそこに、いろいろなネガティブなエネルギーも浮上しているように見える。
話を聞いてみると、スピ系のプロセスのある時期によくみられる症状であることがわかった。バランスが崩れているが、それにはどうも「受け」というか、周囲のネガティブなエネルギーを吸着することも入っているようである。
自分がかつて通った道だと、よく見えるもので、とりあえず思いつく対処法をいろいろ教えた。
まず簡単な方法として、エネルギー的な防御と調整のために、ポマンダーの使用をすすめた。ポマンダーにもいろいろあるが、わからないときはとりあえずホワイトでいい。それから受け体質に効果のある、FESフラワーエッセンスの「ヤロウ環境フォーミュラ」も紹介した。エネルギーワークができる人には、もっと進んだ方法もあるが、とりあえず誰でも効果が出やすいものとして、こういうグッズを使うのが早道である。
また、エネルギーバランスの乱れから身体的にも不調をきたしているので、そういう症状には、肉体レベルにも作用しやすい漢方の使用をすすめる。で、症状を聞いて処方してくれる漢方薬局を紹介する。
あと、気功やヨガなど、ストレッチと共に気を整えていく技法も効果があるだろう。
上下のエネルギーが分離して、気が上がっている傾向があれば、ポマンダーのディープレッドも効果がある。
まあそんなことで、かばんにホワイトポマンダーとクイントエッセンスが入っていたので、それをちょっと試してみる。
ポマンダーを使って気持ちよくなり、そのあとにサナトクマラを三人で使ってみると・・「あっ変わった」とはっきりした変化が感じられた。
照明は変わっていないのに前よりも明るくなった感じが、あきらかにするのである。イメージ的には、微少な光の粒子がきらきらと飛びまわっているような感じだ。
そうなんです、この光は、いくぶんとも「あっち」の世界の感覚に近いんですよね・・とは、はっきり言わなかったが。
改めて、オーラソーマおそるべし、という印象を強くした一瞬だった。
気がつくと、調子の悪かった子が、いつのまにかみぞおちの停滞がなくなり、スムーズに流れており、リラックスした笑顔が浮かんできた。
まさにこれがヒーリングというもの・・という感じであろうか。
ホワイトポマンダーのエアコンディショナーがなくなってきたので、今度はふつうのボトルを購入。
やはり、ホワイトは基本ですね。その後何色のクイントエッセンスを使っても合うから・・ ホワイトとはレインボーライトなのだ。
ポマンダー+クイントエッセンスのコーディネートって、15×15あるわけだろうが、いろいろ実験してみるのもおもしろいかも。
きょうは忙しいのでこのへんで。
最近はアロマではなくて、そのかわりにオーラソーマのポマンダー、クイントエッセンスを使うことが多くなっている。
アロマは、気分的なものやいろいろな肉体的症状に効果はあるのだが、エーテル体やアストラル体への効果というか、本格的な「スピリチュアル・アロマセラピー」ができるかという点になると、生活の木クラスのアロマでは、それほどものすごく効くというわけにはいかないのだ(ある程度の効果はあるが)。そのためには「セラピークラス」といわれる、もっとお高い高級バージョンを使わなくてはいけないらしい。
私はエクイブリアムボトルを使わず、ポマンダー・クイントエッセンスから入るという変則だが、これらはふつうのアロマよりも一段上の次元のヒーリングだという感じがする。お安くないが、少しずつ買いそろえてもっと多くの種類を手元に置きたいと思う。
いま、アラスカエッセンスがセールなので、大量に個人輸入しようと、いろいろ選定に悩んでいる。
このところ定期的にとっているのは、アラスカのリャードホットスプリングスだ。これはカナダのブリティッシュコロンビアにある温泉のエッセンスである。大自然の中の温泉のエネルギー。実際の温泉は近くにたくさんあるがさすがに「大自然の中」とまではいかない・・北海道ではないからね。これは温泉エネルギーによって「本来の自分を取り戻す」という効果が期待できる。
もう一つはFESのイリューミンというコンビネーションボトルだが、これは光が欠乏する状態に対処するもので、冬場の日本海側人にはありがたいものだ。アラスカにもライトン・アップというのがあって、似たようなものだ。
ヒーリングには、類型的にいえば、自分の中に貯えたエネルギーを出していく方法と、宇宙からのエネルギーをそのまま媒介する方法とがある。『黎明』という、一部では有名な本では、前者をサイキック・ヒーリング、後者をスピリチュアル・ヒーリングと呼んでいる。
代表的には、前者は気功、後者はレイキ等である。ただ気功の中にも、後者のやり方をしている人は一部ある、という感じだろうか。
気功について、人には『気功革命』をすすめているくせに、自分ではそれはやらず、自分でやるのは禅密気功である。これは中心軸の浄化ができ、霊的なワークとの相性がいいというのが理由だ。ただ、禅密気功の先生も外気功によるヒーリングをするが、それはやはり気功では標準的なサイキック・ヒーリング型、つまりいったん自分の中に蓄えたエネルギーを出していくやり方だ。
それはちょっと、私のめざすところではない。私はあくまでも、宇宙からの「無限供給」の世界を追求しているので、気功をディープにやって、外気功をできるようになろう、とは思っていない。禅密気功は、功法体系としては宇宙からの気を受けるような方法があるのに、なぜ無限供給型のヒーリングにつなげていかないのか、その点が私にはちょっとひっかかるところではある。
この区別は、いわばエネルギーを出す際の「回路」の設計の違いというようなことである。
それでは気功とスピリチュアル・ヒーリングとのエネルギーの違いはあるのか? といえば、それはたしかにある。
ただし、気功といってもその中にもいろいろあるということだ。それは功法によっても、またやる人によっても、どのレベルのエネルギーにアクセスするものであるのか、それはいろいろと違いが出てくる。
一般的には、気功で動かすエネルギーは、比較的体表に近いところにある、つまり肉体次元に隣接しているレベルのエネルギーが多いのである。ただそれは、「意念」の持ち方によっていかようにもなり、かなり次元の高いエネルギーを摂取するということもまた不可能ではない。禅密気功でもかなり「光」に近い次元の気にアクセスできる。八段錦のようなシンプルな功法でも、意念を宇宙の高い次元の気においてやれば、その次元の気を入れることは可能だと思う。ただ功法によって、そういうことがやりやすいものとそうでもないものとの違いはあるようだ。
スピリチュアル・ヒーリングのエネルギーは基本的にコーザル次元以上のものがその源となっていると思う。そうでなければスピリチュアルなどとは呼べない。またこうした次元のヒーリングでは基本的に「そちらの側」からのサポートがあり、ある程度自動調整がなされる。一方サイキックヒーリングでは自分で判断しなければならない。また当然自分や相手のアストラル次元のエネルギーにも影響を受けやすい。従ってサイキック・ヒーリングではかなり熟達した人しか、他者のヒーリングをすることはできない。ふつうは、自己ヒーリングにとどめておくのが無難であろう。他者ヒーリングをしたければ、素直に、スピリチュアルヒーリングを学び、そのメソードによって「契約」されている高次存在の力に頼ることである。従って私は、外気功などの方法はもう「時代遅れ」だと思っている。簡便に宇宙エネルギーを流す方法が出現しているからである。気功はあくまで、自己鍛錬として、スピリチュアルなワークをエーテルレベルにおいてサポートするものとして、学ぶ意味があるものだと思う。
ただ、スピリチュアル・ヒーリングにはどうしても、サポートする高次元存在というコンセプトが一体のものとしてあるので、現在の社会ではまだ抵抗感が強い部分があるだろう。現在の知的な世界で、受け入れられるものと駄目なものとの分離境界線となっているのは、「宇宙には人間よりも高次な存在があり、人間をサポートしている」というコンセプトを受け入れられるか、というラインなのである。そこを踏み越えるとどうしても「宗教」の世界と見なされてしまい、知的な世界から排除されてしまう。したがってそこをはっきり言ってしまうのは、私のように、「覚悟を決めて」、その世界での栄達などを完全にあきらめた人間にしか可能ではないのである。今のところ、気功あたりがその限界線なのである。私が「普遍神学」と言い、あえて「神学」を名乗っているのは、私は意識的に、承知の上でそこを踏み越えますよ、という宣言という意味がある。
「普遍神学」ではない「キリスト教神学」も、人類を救済する霊的存在(つまりキリスト)のことをはっきり言うわけだが、他の学問からはまったく相手にされていない。歴史的には、大学とは神学部を中心に発生したもので、総合大学で神学部を持たない大学というのは、明治の日本にできた東京帝国大学が世界初であったと言われている。また工学部を正規の学部としたのも東大が世界初であったそうだが、この辺からも、日本の大学というものが最初から、宇宙の根源について思索することが学問の基盤だ、という発想を無視したところから出発していることは明らかである。・・・と、話がそれてきた(笑)
他者へのサイキック・ヒーリングを興味半分にやるのは危ないということは肝に銘じる必要がある。それをやって、相手の邪気がどばっと来てしまってひっくり返り、大変なことになったという事例も、身近に見聞きしている。他者ヒーリングは「自分でやろう」と決して思わず、宇宙の高次の意思に委ねるというのが基本だろう。
ヒーリングの時は、「治そう」という思いさえも捨て、「高次元の宇宙の名において、最善のことが起こりますように」という祈りで始めること――と、アチューンメントなどでは指導しようと考えている。その病気などが、重要な学びの意味を持っている場合もあることを忘れてはいけない。
禅密気功。本は二冊出ている。
![]() | 気功生活のすすめ―禅密気功でストレスよ、さようなら 朱 剛 清流出版 2004-10 |
こちらの本があるが、もう一冊。
![]() | 背骨ゆらゆら健康法―自分でできるお手軽気功術 朱 剛 春風社 2007-10 |
こっちの方が築基功のやり方が詳しい。
ただ、少なくとも築基功は実際に習った方がよいということはいえる。その次の、陰陽合気法天地部、吐納気法は、わりあいと他の気功と似ているから、気功経験者にはDVDだけでもできると思うが、築基功は独自で、ちょっとコツがいる感じである。集中コースもあるので。
「禅密気功」で検索すれば禅密気功研究所というHPがあって、そこで本もDVDも買える。
もう少しいうと、ふつうの気功は督脈・任脈を通すのだが、禅密気功は中脈、つまりヨーガでいう「スシュムナ」という中心軸を通すのである。この、中脈をエネルギー的に通すということが、霊的なワークとしては重要な意味を持つのだ。築基功はその基礎という意味がある。それは、禅密気功が「密教系」、つまりヨーガの影響を受けた仏教の修行法をルーツとしているという理由に基づく。ただ、功法でも陰陽合気法天地部や吐納気法はふつうの督脈・任脈型、つまり道教系の気功であって、これは道教系からも取り入れたということである。こちらは気の身体、つまりエーテル体の活性化に強みを持っている。
中心軸を通すことがいかに重要かは、やればやるほどわかっているものである。禅密気功でも上級功法になると、完全に「光」の世界に行って、そのエネルギーを浴びるという世界になってくるのだ。
つまり肉体・エーテルレベルのバランスをとりながら、霊的なワークまでの射程を持っている体系だということである。
これに行こうという人は、このブログで見たと言ってもらうとありがたい。かなり宣伝してしまった(笑)
なお、スシュムナを通すトレーニングは、ヨーガにもある。内藤景代さんのにもあったと思う。また、『ハトホルの書』にもエクササイズがでている。それから、高岡英夫の言っている「センター」とか、いろいろと中心軸についての情報はある。
大事なことは、次元間を結ぶ「宇宙軸」は、自分の体内に存在している、と気がつくことである。
そうすると、高次元とを結ぶ「光のライン」が通ってくるのである。
※ただ・・私はどうもエネルギーワーク的に理解してしまっているかもしれない。禅密気功のめざすところとエネルギーワークの世界は、微妙な違いがあるようにも感じてきた。どういうことかはまた書くのも微妙なので、きょうはやめておこう。
しかし・・このところ、ちょっと書きようがむずかしい。このブログは匿名とはいっても、実名を知っている人が多数あるという事情は頭に入れておかねばならず・・最近、体験のプロセスがあまりにも急速に進むので、適切な表現を見出すに至らないまま、次に行ってしまっている。したがって、現段階では、ここに書けることはとても限られたものになる。つまり、アウトプットモードではないということだ。一言だけ言っておけば、それは、「魂の根源への旅」である。
差し支えない範囲でいうと、このところ禅密気功をやっている。その中でも築基功という背骨と全身を揺らす功法は、効果をあげている。その前までは、エネルギーの影響もあって、猛然たる首や肩のこりに悩まされていて、「せんねん灸」をいつも手元に置いて灸を毎日しているような状態だった。しかし、築基功を始めて以来、エネルギー酔いに伴う頭痛はやはりあるものの、こりに悩むことはまったくなくなった。
高次のエネルギーを受け取るにはそれなりに肉体やエーテル体のケアも高いレベルに維持していなくてはならない、との実感がある。ヨーガと気功はその両者のバランスをとれるので、少なくともそのどちらかはやるべきであろう。また、エーテル体~アストラル体レベルでのサポートとしては、アロマ、フラワーエッセンス、オーラソーマ(ポマンダー、クイントエッセンスを含む)である。
フラワーエッセンスは、霊的問題に対処するには、特にFESが向いている。『フラワーエッセンスレパートリー』という本で「精神の急激な目覚め」という項を見ればよいのだ。また、大規模な変容のサポートには、アラスカンエッセンスがよい。私が使っているのはバッチ含めその三種だが、その他エッセンスのブランドによっていろいろ得意分野があるので、研究されたい。よくわからなければ、とりあえずバッチのレスキューだけでも手元に置いてはいかがであろうか。
また、好転反応・浄化反応に関しては、ホメオパシーという手もあるが、最近の経験だと、漢方もばかにしたものではない。ホメオパシーなど地方では処方してくれる人など見つけにくいが、漢方はだいたいどこでもある。浄化反応による頭痛には「葛根湯」が効くということを発見した。ホメオパシーは、素人にはレメディを選ぶのが難しいので、なかなか効かないという経験も多かった。
アロマだが、あるヒーラーさんのところで、「セラピーグレード」なる高純度のアロマがあることを知る。それはふつうのアロマと違って、直接に塗ったり、飲んだりすることもできるらしい。それは確かにエネルギー的にふつうのものとは違っているように感じられた。「ヤングリビング」というブランドだったと思うが、これを自分も買ってみるか、という気分にかなり傾いている状態である。
エネルギーヒーリング技法が次々と出てきている。
名前を知っているものだけでも、セラピューティック・タッチ、クォンタム・ヒーリング、ヒーリング・タッチ、プラニックヒーリング・・・
レイキは「上」との契約がされており、それによってヒーリングが起こるものだが、上記の技法はそこまで密教的なものではないらしい。たぶん、リコネクティブ・ヒーリングは、レイキ型だと思うが・・(アチューンメントによって伝授される方式)。
こうしたヒーリング技法にはどういう違いがあるのか、もう少し調べてみる必要がある。
この前書いた、ドリーン・バーチューの「チャクラ・クリアリング」・・最近はこれをよくかけている。イメージワークをしなくても、流してるだけで気分がよい。かなりのものだ。
しかし、Liquid Mind の波動もすごいので、これはなんといってもイルカやクジラのエネルギーととても合うのだ。
こっちの方も多くの人に聞いてほしいものである。
宇宙から高次のエネルギーが流れてくるとき、肉体的反応として、身体が勝手に動き出すということがある。それがいつのまにかヨーガのポーズの形になったりすることもある。これはインドでは「クリヤ」として知られているもので、そういうことがあるということは千年以上も前からインドでは知られていたわけだ。最近では、ムクタナンダやゴーピ・クリシュナの自伝にもあったし、クンダリニー的SEを扱った英語の本にもそういう記載があった。これは、肉体のエネルギー的なゆがみが調整されるということを意味している。自動調整である。ヨーガのポーズのようになるのは、それがエネルギー調整に最も適した体勢だからである。つまりもしかするとポーズというのはそういうふうに発見されたものかもしれない。
こんなことを書くのは、何を隠そう、私自身も最近のエネルギー受け取りの過程で、このクリヤを何回か体験したからである。
そこで考えたのは、たしかにこうしたクリヤの運動によってエネルギーが調整されるのだが、それがヨーガと近いものであるならば、そもそも日常的にヨーガをやっていれば、こうしたクリヤは最小限ですむことになるだろう、ということである。ゆがみがあるからクリヤが激しくなるので、ゆがみがなければもっとスムーズに違いないのである。
クリヤが起こるということはある程度エネルギーが流れるようになっていることなので、もしあまりにもエネルギーが通らない身体になっていると、そもそもクリヤくらいではエネルギー調整を行うことができないので、最初からそういう次元のエネルギーは流れない。クリヤが起こるということはある程度まで来たということではある。しかしさらなる身体調整が不可欠になっているということだ。
このように考えて、ヨーガを少しやることにした。もちろん以前に習ったことはあるので、復習である。いままでは、気功をやっていて、それにもある程度ストレッチ的要素は含まれているが、やはりその部分はヨーガが専門だし、優れている。
いろいろヨーガのDVDなどはあるが、今回は、龍村修氏によるものを買った。龍村氏は沖ヨガ出身の人だが、それ独特の「修正法」などがあり、いきなりポーズに行くのではなく少しずつゆがみを直していくというアプローチである。パワーヨーガのようにエクササイズ的要素を追求するのではなく、かなり純粋なヨーガになっているという感じがする。モデルの女性もかわいいので(それも重要な要素だが)、かなりおすすめできると思う。10分、15分、30分、60分のプログラムがあり、もちろんポーズ等の単体での練習もできる。特に本当の初心者はこちらがよい。もっとも、ヨーガを始めるには、最初は教室でその要領を覚えた方がよいと思うが・・
片鼻呼吸法は前から知っていたが、左右で陰陽を意識するというのはなるほどと思った。気功でもそういう技法があるので、共通している。
![]() | 70分DVD付き 体の中からキレイになる 龍村修のヨガ教室 日経ヘルス 龍村 修 日経BP社 2005-11-30 |
多次元的セルフヒーリングというのは・・最近感じることは、高次元エネルギーを浴びることは絶対に必要であるものの、それだけに偏っていてもまた駄目だ、ということである。
肉体・エーテル体のケアをしっかりするということである。つまり、自分とは多次元的存在である以上、セルフケアも必然的に、多次元的でなければいけないと感じるのである。
グラウンディングもまた、多次元的である。肉体次元のみにフォーカスすることだけがグラウンディングではない。多次元的グラウンディングも要請されるような時代になっている。
肉体・エーテル体のケアには、体操・運動や、ヨーガ・気功などが適しているだろう。
健康もまた、多次元的なものである。
これからは「多次元同時進行」ということができなければいけなくなってくるのではなかろうか。
オラクルカードでおなじみのドリーン・バーチューによる『チャクラ・クリアリング』のCD・・って有名ですよね。どんなものかと思っていたが、安くなっていたので注文してみた。すると・・いいエネルギーじゃん!とびっくりした。聞いているだけですーっと透明になっていくような浄化のエネルギーが入っているようである。思わず何回もリピートして、部屋の浄化をしてしまった。
もちろん日本語版もあるが、そっちは当然バーチューさんの声ではないので、そちらの浄化効果については何ともわからないが・・
やはり、彼女自体のエネルギーがなかなかいいんですね。それが支持されている最大の理由だろう。エネルギーの質というのが一番大事な問題なのだ。
![]() | Chakra Clearing: A Morning and Evening Meditation to Awaken Your Spiritual Power Doreen Virtue Hay House Audio 2003-02 by G-Tools |
最近、もう少しパワーを・・という感じがして、「クジラペンダント」を始めた。きのうは、つけたまま寝てしまったが、はたして・・
このあいだセカンドのアチューンメントをした。この人はファーストを受けてから長くやっていたこともあって、エネルギーの入りは良好だった。
アチューンメントのあと、実際にそれを使ってエネルギーを流してもらうのだが、不思議なことに、はたから見ていても、そのエネルギーが来ているのがはっきりわかるのである。私が受けたばかりの時はこんなに強くなかったな、というほどはっきり流れている。やはり、臼井はエネルギーが弱いなどというのは、人によるばらつきの問題であって、これほどまで強くなりうるということもわかる。しかし、はたから見てわかるというのは、物体のように見えるわけではなく、むしろ、それと同質のエネルギーが私の方にも共鳴作用で感じられてくるのである。それが、私にとってはなじみの第一、第二・・のエネルギーであるということがわかるので、「ちゃんと来ているな」ということがわかるわけである。そのくらいのことがわからなければ、そもそも伝授を行う資格などないだろう。しかし、人のエネルギーを「見る」(エネルギー的な意味で)というのはあまりふだんはないので、おもしろい体験であった。
印象的だったのは「第三のエネルギーは強いな」ということ。私は自分では、第三をちょっと感じにくく、少し時間がかかったのだが、この場合は初めから第三が強力だった。第四ほどではないが、まばゆい黄金の円光という感じであり、たしかに太陽のような力強いエネルギーである。
ともあれ、第一・第二・第三のエネルギーの違いがひじょうにはっきりわかったのは面白かった。やはり伝授をすると自分の勉強にもなるものである。
いままで知人にしか伝授していないが、そろそろネットで募集してみるか??
またまた楽園シリーズです・・モルディブのDVDを買ってしまった。これ、前のモルディヴ写真集からのかと思ったらそうではなく、新たな撮り下ろしらしい。本はなくそのままDVDになったもの。動画ではなくスティール写真のスライドショー形式である。
しかし癒されます・・ライトな音楽がついているが、私はそれはオフにしてもっぱら Liquid Mind をかけてこの映像を流している。そこでエネルギーワークなどをすると気分はさらによい(ただモニターからは電磁波が出るので、モニターの正中線には立たないようにする)。
このモルディブ編は安かった。しかもアマゾンでは二割引・・もう一枚のハワイものは高かったけれど、あの恐るべき『ハワイアン・スピリッツ』と関係しているのなら、買いであろう・・(しかしアマゾンは分割発送が有料になってしまい、使いにくくなった。アマゾンばかりヨイショしているわけにはいかない)
![]() | 南国の楽園 ON THE BEACH モルディブ 三好和義 岡田徹 Sony Music Direct 2006-05-24 |
追記
おっと! よく見たら楽天ブックスの方が安かったじゃん・・でもこっちは取り寄せだから、納期とどちらをとるかですね~
アマゾンのサービス低下で、これからは楽天で買う機会が増えそうである。
Divinerさんのページにこういう記事が出ていたが、私もおおむね賛成である。
本格的な霊的ヒーリングと一般的なレイキとは、たぶん、処方箋が必要な薬と、薬局で買える薬との違いのようなものだ。薬局で売っているものは、簡便で手に入りやすい反面、わざと効果は弱くしてある。
伝統的な「直傳靈気」なんかは、一般的に言えば西洋系レイキよりエネルギーが強いと言われている。逆に言えば西洋系のものは爆発的に普及させる反面、少し弱くするという設定がなされたのかもしれない。誰がその設定を? と言われると、ここでは「上の方」としか答えられないが。
ただ西洋系レイキであったとしても「やりよう」であって、上の方とつながりつつトレーニングを積めば、十分にそれで専業ヒーリングができるようになる、という可能性もあるとは思う。しかし、カルナレイキなど発展系のものを併用したり、セラピューティック・タッチやクォンタム・ヒーリングを学んだり、という人が数として多いようである。
一方、外気功というのがあるが、これはいまでも、自分の内気を高めてそれを出していく、というやり方をする人が多い。
正直言うと、このやり方はもう古いというか・・気功によって内気を高めたり、宇宙の気と交流したりする気功の効果は疑いないところで、私も実践しているが、外気功に関しては、もうレイキその他のメソードに席を譲ったのではないかと思っている。ものすごい修練を積んで気を出せるようになっても、それが「宇宙からの気の無限供給」ではなく、少し気を出すと疲れてしまうようなものでは、トレーニングの甲斐がないというか・・そう書いてしまうとぶっちゃけという感じだが、やはりもうこれからは「無限供給」のメソードでなければいけないと思うのだ。しかも、そんなに厳しいトレーニングなしで「あたりまえのもの」として受け取ればよいと思う。「無限供給があたりまえなんだ」というのは、つまり「意識設定」の問題である。気功の世界ではそういう意識設定がないからそれができないだけである。意識設定というのはなかなか深い問題であり、もしかすると「すべては意識設定」なのかもしれない、と思うことがある。
とはいっても気功の価値がそれで減るわけではない。むしろヒーリングを学ぶ人は気功の基礎をあわせて学ぶとたいへん役に立つだろう。しかしエネルギーやメソードの基本的な違いというのは意識していないといけない。レイキは「おまかせ」なのであって、「自分がやる」わけではない。癒そうという心さえ邪魔であって、ただ「最善のことが起こりますように」という意識設定で行うものだと思う。
しかし最近Divinerさんは、一種の「静けさ」が出てきて、よいエネルギーになっているような気がする。
イルカペンダントとはどういうものか見たい人がいるようなので、お見せする。
![]() | イルカ(デルフ)エッセンス入りペンダント ネイチャーワールド 2004-05-31 |
写真を見せるのに便利なだけで、アマゾンで買いなさいという意味ではないですよ。
ともかく「心が安定する」というのが第一に感じられる効果である。何かゆったりと波に漂うような気分だ。
こういう感覚に慣れてきたら、今度は、イルカペンダントをつけないときも、それを思い出して同じような状態に入れるように訓練したい。こういうのはあくまでそのための補助用具だと思うのだ。
こういうので意識がある意味拡大するとしても、私にとってはそれはべつに「ぶっ飛び」ではない。日常の一部である。天界から清い光を浴びるということだって、それが習慣となれば日常である。本当は何もぶっ飛びはない。すべては連続しており、すべてが生活である。
こんな文章を発見!
平素は弊社クナイプ製品を御愛用いただき、誠にありがとうございます。
現在、一部クナイプ製品の天然物由来の原料が極めて入手困難な状況で、今後の目途が立っておらず、この度一部クナイプバスソルト製品(オレンジ・リンデンバウムの香り、ラベンダーの香り、ワコルダーの香り、トライアルセット)を販売停止することにいたしました。製品の入荷を長らくお待ちいただいておりましたお客様には、このような結果となりましたことを心より深くお詫び申し上げます。
なお、その他6種のハーブのバスソルトはこれまで通り販売を継続してまいります。販売停止となった製品を御愛用いただいておりましたお客様には大変ご迷惑をかけ、誠に申し訳ございません。
何卒御理解賜り、また引き続きクナイプ製品に御愛顧賜りますよう心よりお願い申し上げます。
http://www.kneipp.jp/product/list.html
ラベンダーが二度と手に入らないとはちょっとショックですね・・
ラベンダーの香料がなぜ入手できないのか理解できませんが・・
オレンジ・リンデンバウムも試したかったが、あとメリッサだけが頼り。
ハイの状態は少しおさまってきた。しかしこのエネルギーはある程度恒久的なものだろう。じょじょになじませていく、という感じである。
イルカくん一流のジョークはお楽しみいただけたであろうか?
さて、レイキの話だが、レイキといっても私は専業ヒーラーのようなレベルのものは提供できない。その分値段も安く設定される。
講習ではなぜか、望月さんの『癒しの手』が事実上のスタンダードとなっていて、レイキ講習のテキストといってもほとんどこの本と同じ内容のものも多いのである。
そこで私は、似たような内容のテキストを作るよりは、この『癒しの手』をあらかじめ購入して読んでもらい、自分ではポイントだけの解説をすることにしたい。
ただこの本は、ちょっといいことばかり書きすぎているきらいがある。たとえば「一回習えば能力が落ちない」というのは言いすぎであって、これは運転免許と同じようなもので、まったく使っていなくても、ゼロにはならないが、毎日やっているとくらべれば雲泥の差ができることは事実である。邪気を受けにくいといっても、まったく防御が必要ないというわけではない。ヒーラーとして成長するためにはそれなりに「鍛錬」も必要だということがあまり強調されていないので、その点には注意を要する。しかし全般的には、入門書としてこれを超えるものはなかなか出ないということも事実である。とりあえず一度は読むべきだろう。
そもそもレイキはそれだけでプロのヒーラーになるためのものではないと思う。これはアマチュアヒーラーを多数養成し、ある程度のヒーリング能力と、高次元の光とつながるというきっかけを、多くの人に与えるためのものである。レイキヒーリングで商売として成り立たせるためには、その他の技法と併用したり、また私の師匠のように、カルナレイキを使ってパワーアップしたりすることが必要であるらしい。レイキのエネルギーだけではなかなかプロのレベルにはならないらしい(養成のシステムがきちっとしていれば別だが・・そういうところもないわけではないでしょうね)。だからアチューンメントといっても本格的なヒーラー養成とは違う。ちょっと上達した人が初心者を教えるという程度のことである。しかし臼井レイキからスタートして、いろいろ「深める」ことはできる。
深めるということで発展系レイキというものがあるわけだが、これはまず、カルナレイキとセイキムレイキが定番である。まずここから始め、十分直観がとぎすまされてきたところで、その他「ご縁のあるもの」に進んでいくのがよろしかろう、と思う。しかし中には、エネルギー関係の資格を30以上も書き並べている人がいたりするが、それはさすがにどうか? まあそこは、各自の内的直観でご判断されたい。
さて、もう一冊、レイキのテキストとして土居裕『癒しの現代霊気法』をあげたい。こちらはレイキの「光とつながる」面が強調されており、瞑想法などもある。『癒しの手』とあわせてこの本を必読に指定したい。つまり講習代は安いが、このテキスト代がべつにかかる。しかし、ほとんどの人は『癒しの手』くらいは読んでからアチューンメントを受けようとするのだし、それで講習のテキストがほとんど同じ内容だったらどうかと思うだろう。その意味で、初めからこれを買っておいてもらって、テキスト代分を安くする方がよいのだ。
![]() | 癒しの手 望月 俊孝 ゴマブックス 2007-01-18 |
![]() | 癒しの現代霊気法―伝統技法と西洋式レイキの神髄 土居 裕 元就出版社 1998-05 |
それにしても・・私がこういうことを平気で書けるというのも、石川勇一さんの「スピリチュアル・ヒーリングをやります」の宣言に衝撃をうけたせいでもある。相模女子大学准教授(だったっけか?)というお人ですからね・・ 言うだけでなくて現実にやっているわけですから・・「そこまで言っていいのか」と、パワーを与えられたのは事実で・・。閑な人は検索してみんさい(ここでも以前に書いた――こちら)。それと、興味があれば石川さんの本も読んでみれば? ・・と、これは、ささやかな「お返し」である。
最近の気に入りは、クナイプのバスソルトの「メリッサ」である。これは、気分がリラックスするのと体が冷めにくくよく暖まるのとでたいへんよろしい。同じバスソルトのラベンダーもいいが、暖まり効果はメリッサが上回る。
このシリーズ、ソルトとアロマのパワーが合体しているというなかなか強力なものだが、人によっては、着色料が使われているのが気になるかもしれない。しかし、このグリーン蛍光色のお湯というのも癒し効果があることは否定できず、一長一短だが、私としてはメリットの方が大きいと判断している。
このように、心身(魂と肉体)のバランスを維持するためには「細かいノウハウの積み重ね」が必要になる。とかく意識拡大のぶっ飛びばかりが注目されるが、同時に、このようなノウハウを積み上げていくことも大事なのである。そういうことの大切さを知らない人は、ペーパー神秘主義者であろう。宇宙旅行は、可能な限り万端の準備を整えて取り組むべき行為である。
しかしメリッサの香りは万人が好むというものでもなさそうなので、まずはお試しセットから始めるのがよろしいだろう。
![]() | クナイプ バスソルト メリッサの香り 6包入 クナイプ 2002-10-28 |
アチューンメントは準備中だが、とりあえずは自宅二階で始めることになる予定である。人数がまとまれば東京でスペースを借りて・・ということも不可能ではなかろうが。
レイキの料金は一般に高すぎるのではないかという声がある。レイキで生計を立てようと思えばある程度の値段になるのはしかたがない。そのかわり、専業ティーチャーは一般(兼業)ティーチャーではできないサービス(アフターサービスを含め)を提供して、差別化するしかない。よく探せば安くやってくれる個人ティーチャーもWEBでたくさん見つかるのだから、選ぶ人次第である。ただし、ファーストからサードを一気にやってしまうのは避けること。好転反応が出すぎて大変になることがありうるからだ。
しかし本来、レイキというのは、プロの人にお金を払ってヒーリングを受けるというよりは、誰でもヒーリングの能力を身につけて、自分や家族などをヒーリングする、そのような人を世の中に増やしていくためにあるのではなかろうか。だからやはりアチューンメントを中心に考えるべきだと思うのだ。ヒーリングを受けるのは、そのエネルギーとはどういうものであるのかを実際に体験して、アチューンメントを受けるかどうかを決めるというためという意味になる。もちろんセルフヒーリングができたとしても、人にやってもらうのはまた違うので、たまにはそういうのもいい。プロもいていいのだが、アマの裾野を広げるということが大事なことだ。
私が疑問に思っていることは、ファーストからセカンド、サードとなるたびに料金が高くなるということである。これはどういう理由があるのか? 私は、料金を取るのは、物質次元でのヒーラーの肉体と時間の使用料、場所などのセッティングのための費用ということだと思う。エネルギー自体は誰かのものではないのでお金を取ることはできない。あくまで物質次元でいろいろやることについてのコストに対するものである。
それでいくと、ファーストとサードで、べつにやることがそれほど変わるわけではない。むしろファーストの方がたいへんともいえる。物質的なコストという点ではあまり変わらないのであるから、サードの方を高くする理由はないように思える。サードを高くすると、それだけ付加価値がつくわけだろうが、そもそもレイキとは根本的にはサードのエネルギーを受けるためのステップだという私のとらえ方からすれば、サードはファーストと同じ料金にして受ける人を多くするべきではないかと思う。従って私は、ファースト、セカンド、サードを同料金にするつもりだ。なおティーチャーコースについては当面は考えていない。世のティーチャーコースはちょっと安易に行われすぎている面もあるようだ。
まあ、いろいろ師匠とも相談しながら・・である。それに先だって、遠隔レイキのモニター募集をしようかという計画もある。
きょうはあんまりぶっ飛びじゃなくて期待はずれでしたかね?(^^;
私の知っている人の話だが、自己流?で遠隔ヒーリングをしていると(少なくとも専門のヒーラーの指導は受けなかったらしい)、クライアントからものすごい邪気がどーんと来てしまって、それを処理するのに大変だったという話である。
どうなのだろうか・・少なくとも、エネルギー的にオープンになり始めた時期は、そのように「邪気スポンジ」状態になるということも一時的にあるというのは、誰しもあることなのだろうか? そういう時期を通過すると次第に「受け」は少なくなっていくが、皆ある過程で「受け体質」になるのを経過するのはあたりまえで、それを七転八倒して乗り越えねばならない、という考え方がある。
たしかにヒーリングについて少しばかり習うと、すぐに「受け体質」になってしまうということはある。中には生まれた時からそういう体質で、それはどうしようもないと思っている人もあるだろう。
しかしレイキでは「相手の邪気はほとんど受けない」あるいは「受けにくい」と言われている。まったく受けないというのは言いすぎで、邪気に対する配慮を怠ってはならないが、それでも全然受けにくいということは事実である。相手の巨大な邪気がどーんと来てひっくりかえるなどということは、レイキではまず考えられないことである。なぜこのようなことが起こるのか? たぶんそれは、そのヒーリングにおける「場の設定」に問題があったのではないか、とも考えることができる。やはりその設定のどこかに、癒しを高次元の意志に委ねるという要素が不足していたのではなかろうか? つまり、神の光を受けようという思いよりも、サイキックヒーリングが面白くてしようがないという心の方が強くて、それが邪念となってしまったのではないか。
だからレイキでも、委ねる意志が弱くて、自分がやってやろうという気が強くなると、それだけ危険になるということは考えられよう。
私はレイキについて、本質的には、癒しが起こるかどうかということもさることながら、「高次元の意志(光)に委ねる」ということを学ぶツールとしてあると考えている。外気功のような力が簡単につくというのはあくまで多くの人を引き寄せるための方便・・と言ってはいいすぎではあろうが、それは入口であって、最も重要なことは「サード」にあると思う。そこまで行って初めてレイキの本質が少し見えてくる(同じことは土居裕氏も言っている)。サードにおいて知ることができる巨大な光の世界こそ、臼井先生が本当に開示したかった世界ではないのだろうか。それほどまでにその光の世界は偉大なのである。そのような巨大な光が根本的にそのヒーリングの場を支えている。そのようにレイキヒーリングは「場の設定」が行われているのである。そのヒーリングは高次元の意志が介入し、癒されるべきものはそこで癒されるし、そうでなければ、高次元から見て最善のことが起こるということなのである。
つまりは、「巨大な光の世界とのエネルギー的な回路を形成する」ということである。これは密教の現代版・大衆版である。真言密教というものも、その本質は、仏尊の世界とのエネルギー的回路を開くということであったに違いない。たとえば真言や印というのは、その高次元エネルギーを呼び出すための暗号なのである。こういう基本的な密教の原理をレイキも使っている。ただしそれはあえて、大衆化され、万人に開かれたものとなった。そこで残念ながらそれを商業主義に用いる者も出てきてしまっているが、それは大衆化の避けられない一面である。そのことも見透した上で封印が解かれたのであろうと私は思っている。レイキの彼方に光の世界があることに気づいた人だけがそこに入ればいいことだろう。
私も内的なメッセージに従って、そろそろヒーリングやアチューンメントを開始しようかと計画している。その際は、上のようにレイキを理解することに賛同する人のみを対象にしたい。レイキは、誰に受けても同じということは決してない。マスターのエネルギー状態は確実にそこに伝達される。安いとか近いとかいうことではなく、確実に自分の求めるレイキを提供してくれるティーチャーを探す必要がある。
私は自分のトレーニングとして行うので、ほとんどモニター価格のようなものであり、かなり営業妨害的な安値になるかもしれない?(笑)
多次元的に拡大するエネルギー・・いろいろやっていると、エネルギーレベルの展開に肉体次元がついていかないことがある。このところ、そういうことも危惧される状況になってきたので、早めに対策を講じる。前にもある程度の効果をあげた、FESフラワーエッセンスである。こういう状況に効きそうな4種類のエッセンスを選び、ミネラルウォーターとブランデーを混ぜたものに入れる。専用ビンをはじめ、必要な品はすべてそろっていた。去年買いそろえた時のままだから、当然であるが。
フラワーエッセンスやオーラソーマなど、微細次元に働きかけるエネルギーグッズをあたりまえのように使う生活というのは、何となく意識も変化してくる。自分が多次元的存在であることが自明のように思え、それが日常生活の一部となってくるような感覚になってくる。これはルネサンスの用語でいえば「気息魔術」ということになり、イタリア・ルネサンスの哲学者フィチーノがやっていたことは、現代でいえばフラワーエッセンス、オーラソーマ、風水、パワーストーンなどと原理的にほとんど同じことである。
地球のコアにクリスタル的なものがあるという話も、聞いてなるほどと思ったが、考えてみれば、ある次元では私は前からそのことを知っていたかもしれない。非物質次元の地球のコアにエネルギー的に接続することは、気功では「地の気」とつながるという言い方で広く行われていることであり、そこで感じるエネルギーの質は、「クリスタル」という言い方がぴんと来るものではあるのだ。そういう意味である。
かなりのぶっ飛びぶりを発揮した坂本さんの新刊だったが・・(これをぶっ飛びと思わなかったら、あなた自身が相当なるぶっ飛びであることを意味するだろう)
そこに、地球のコアはクリスタル、つまり結晶状になっているという話が出ていた。ある程度科学的根拠、つまり物質次元で対応する状況もあるようだが、基本的には地球の非物質次元の話である。
で、私にはこの、地球の非物質次元にクリスタル的なものがあるというイメージは、とてもしっくりきた。というのは、やっている気功法で、天根、地根へと気をつなげていくのだが、地球のコアにクリスタルがあるというイメージを抱くと、ひじょうにうまく地の気とつながることができるのである。そして、地球のコアにあるクリスタルと、天界(あるいは銀河のコアか?)にあるクリスタルをエネルギー的に結ぶというイメージ(気功では「意念」というが)でおこなうと、かなりパワーアップするのである。物好きな人はお試しあれ??
安保徹の本に従って、39度のお湯で長時間入るという入浴法を始める。そのついでに、風呂でヒーリングミュージックをかけようと思いつき、防水CDプレーヤーを購入。
![]() | TOSHIBA 防水CDクロックラジオ TY-CDB3(W) ホワイト 東芝 2005-02-16 |
小さいわりには音はまあまあである。
この写真ではブルーっぽく写っているが、実際は落ち着いたグリーンという感じである。
この手の製品がいくつか出てて、需要があるんですね。
それから安保本では、石けんを使うのは週に一回でいいなどと書いてあるが、それをやってみると、さすがに体がかゆい気がする(笑) 洗わないというわけにはいかない。ただしボディソープはよろしくないというのは私も前から感じていたところで、どうも食器を洗う中性洗剤のような感覚がするのである(もちろん同じではないが)。で、自然素材の固形石けんを使うという、石けんの選択の問題に落ち着きそうだ。
最近どうも、心身の調子がいまひとつだと思ったら、どうやらその原因は、夏の間にクーラーにあたりすぎた「体の冷え」にあるらしいということがわかった。
気を活性化することもいいが、もっと直接的に、長い時間入浴するなどで、体を温めることに気をつけないといけない。
あんまり冷えすぎて、「冷気ティーチャー」になっては、シャレにならないところである(笑) エネルギーワークをしている人は、肉体次元へ直接働きかける方法の重要性も忘れてはならないという教訓である。
「冷え」の重要性は、東洋医学では昔から指摘されているが、例の安保徹も、低体温は免疫力を低下させると言っている。最近、岩盤浴がブームになっているのも、「体を温めること」の気持ちよさが知られてきたからであろう。岩盤浴は残念ながら女性専用のところが多いのだが、近所に「陶板浴」があるので、そちらにもトライしてみようと思う。
さっそく図書館で次の本をみつけて読んでみた。
安保徹は、西洋医学も否定せず、東洋医学的な考え方を統合しようという方向なので、「統合医療」のヴィジョンとしては優れたものであると思う。もっとも最近、ものすごい数の本を出しているが、これは全部自分で書いているはずがなく(教授というのはそこまで暇ではない)、ライターが書いたものを監修・修正して出しているのだと思うがなあ。まあ、それは本の評価とは関係ない。
![]() | 体温免疫力―安保徹の新理論! 安保 徹 ナツメ社 2004-05 |
アマゾンからのDMで、ジョアン・バニングさんの「ラーニング・ザ・タロット」の日本語版が出たことを知った。
前から書いているが、日本語ではタロットについてはろくな本がなく、霊的な深みをもつようなタロット解説書はもっぱら英語本に頼っていた。その中でもいちばんスタンダードでわかりやすく、私がもっとも参考にしている本がこのバニングさんの本である。これが訳されると、ようやく日本のタロット本も洋書と同じレベルに少しだけ近づいたことになる。はっきり言って鏡リュウジのタロット本なんか買う必要ない。迷わずこのバニングさんの本にすべきである。
なお、私は日本語版を実際に見ているわけではないので、英語版とまったく同じなのか、翻訳は読みやすいのかということにはコメントできない。英語版は同じ内容のものがすべてWEBにアップされているので、Learning, Tarotで検索すればすぐわかる。それと、この本は基本的にケルト十字法にしぼって解説されている。私はケルト十字法を使わないのだが、カードの解説だけでも十分役立つ。使われているカードは標準的なライダー=ウェイトである。
またまた、「えっ、あなたはタロットを『信じて』いるんですか?」などという質問に答えるのは面倒なので、過去ログをあたっていただきたい。基本的に私は占いについて「宇宙との戯れ+カウンセリング」であるという理解に立っている。この記事のカテゴリーを「ヒーリング」にしたのもその意味だ。ユング派分析家が易やタロットを使うのとちょっと似ている。あたる・あたらないではなくて、効くか効かないか、という評価基準である。なお、占星術については評価を保留していることも書き添えておく。それは、私には「使い方」がよくわからないということかもしれないが。
![]() | ラーニング・ザ・タロット―タロット・マスターになるための18のレッスン ジョアン・バニング 伊泉 龍一 駒草出版 2007-08 |
それと、こういうのも出ているみたいなんだが、見たことがない。どうなんでしょう? 値段的に、私が買うのはちょっとありえないのだけど・・ 伊泉さんの『タロット大全』はいまいちだったんだが・・ ただ、上のバニング本が属している、「現代英語圏での精神世界系タロット解釈」の成立については、『タロット大全』を読むと理解できるだろう。
![]() | 完全マスタータロット占術大全 伊泉 龍一 説話社 2007-04 |
またまた平井センセの新しい論文がアップされていた。今後も雑誌に掲載され次第PDFがアップされるようなので、まったくそのサービス精神には恐れ入ります。最近この名前ばかり出てくるようだが、特にこの「種子の理論」というテーマは、ものが存在するということについての「イデア」と「世界霊魂」そして「スピリトゥス(つまり「気」)というコンセプトがすべて統合された形で現れてくる世界モデルなので、私の関心にドンピシャなのである。このような世界モデルの可能性が近代初期にあったということは大変面白いことなのである。
もっとも、いろいろ勉強するからといって、私の思想の骨格そのものがいまさら変わるというわけでもなく、たぶん、説明の方法とか過去の思想との連関とかがさらに明確になるという程度のことだろうと思う。
ただ神認識のみを追求する修道士の霊的哲学も大変好きなのだが、それだけでは、自然をどう説明するかとか、そういう方面が弱くなる。代替・相補医療はその多くが微細エネルギー技術を使うものであるし、そういうことを含みこむ知的世界観ということを考えているので、ルネサンス思想が重要な媒介となる。
微細エネルギー、気というものの根源を考えると、生命の根源という問題につながるし、宇宙の根源とは神的なものではないのか、という話まで行くことになる。スピリチュアル・ヒーリングというものは結局、宇宙の霊的根源という次元を考えなければ成り立たないものなのだ。また、宇宙に霊的な次元におけるヒエラルキアがあるということも言い表さないと、「善いエネルギー」と「悪いエネルギー」を区別する根拠がなくなってしまう。ヒーリングの問題を単に「ローカルな宇宙観とノンローカルな宇宙観」の問題と考えたり、自分と他者との結びつきという次元だけで考えていくのは、いずれも神的次元とヒーリングとの関連を取り逃がしている議論になってしまう。宇宙の根源が神的であると言い表さないヒーリング論は駄目ということである。
宇宙の性質はニュートン的な時空ではなく、量子論的なノンローカルな性質であり、従って遠隔的な作用があるのだ、というところで話が終わっているものが多いが、それでは駄目なのである。結局これは、天使と魔を区別できない議論である。神気と邪気を区別できないのだ。気・微細エネルギーの「質」という問題を考えないといけない。そのためには新プラトン主義的な霊的ヒエラルキアという宇宙モデルが不可欠となる。「ノンローカル論」は、ルネサンス的世界観のうち「万物照応」の要素だけは入れているが、宇宙の神的根源と霊的ヒエラルキアというテーマを入れようとしない。そのへんは、まだ近代人的発想から離陸できていないのかもしれないし、あまりにいかがわしそうで言えないのかもしれない。しかし、ヘルメス主義思想がかつてヨーロッパ思想では主流だった時代があったことを知るなら、その「いかがわしさ」の感覚はだいぶ減殺されるだろう。量子論と結びつけてノンローカル性だけを言っていれば何となく「科学的」っぽくて安全な感じがするのだろう。しかし結局は、宗教の領域に足を踏み入れなくてはヒーリングの本質を語れないのである。
いろいろインターネットを見ていたら石川勇一さんのページに行ってしまった。そこを見ると、石川さんは臨床で「スピリチュアル・ヒーリング」をやっていると書いてある。セッションの半分くらいがヒーリングになることもあるという。それに、退行催眠もやってますという(ただし、前世退行については、「それが前世であるという客観的な証明はできません」と断ってあるが)。あとはTFTも使うようである。
大学の先生もしている人が堂々と「スピリチュアル・ヒーリングをしてます」とネットに書いているというのは、ずいぶん時代も変わったものだと思う。
石川さんはどのようにしてヒーリングができるようになったか記してはいないが、はっきり言って、ヒーリングは誰でもできます(断言)。クォンタムタッチであれセラピューティック・タッチであれ、またレイキであれ、トレーニングすれば誰でもできるものである。レイキだと、トレーニング期間が短縮されると思うが、西洋系レイキはティーチャーによってばらつきが大きいので、質が高くないものもあるというデメリットもある(よく見分けなければならない、という意味で)。
これにはまた時代精神も関係していると思う。時代精神ということを学問的に説明するというのはなかなかむずかしいのだが、世界全体のエネルギー的な質が変化しており、以前よりもはるかに「やりやすくなっている」というのは間違いがないであろう。これはヒーリングだけではなく、一般に霊的ヴィジョン、霊的感覚についてもそうで、以前だとかなり修行しないとわからなかった世界が、かなり近づきやすくなっているということはたしかにあると思う。
この時代のエネルギーということをどう把捉するのか・・私の「普遍神学」ではその答えも用意しておくつもりだが・・
石川さんの写真がホームページにはいっぱい出てくるが、なんだかすごく安藤治さんに似てきているような気がしてならない。ほとんど兄弟??
そういえば石川さんから『スピリチュアル臨床心理学』を贈ってもらったのに、ついお礼状を出しそびれたことを思い出した。その節はありがとうございました(遅いか)。一応このブログで紹介して、たぶん7~8冊は売れたと思いますので・・
またリンクしておこう(笑)
![]() | こころがよくわかるスピリチュアル臨床心理学 石川 勇一 メディアート出版 2005-10 |
ここでいろいろな本とか紹介することがあるが、読む人が圧倒的に興味を示すのは「ハウツー」なんですね。つまり、具体的なスキルが書いてある本。そういうのを求めているみたい。
そういうのはセラピストなんかにもっと広まってほしいもんだが、実際にはほとんどスポンジ状態で、クライアントの邪気を吸い取ることが商売になっちゃってる人も現実にはいる。これって体を売ることに等しいので、あんまり感心しない。
「パーソナル・パワー」をこの前紹介したが、これはカーラさんの本のかわりとはならない。カーラさんの本に出ているスキルが出ているわけではないから。それと「パーソナル・パワー」はもう現実にかなりセンシティブになっている段階の人を対象にした本なので、初心者ではできないことが多いと思う。
エネルギー的保護をしたければ、いちばん簡単なのはオーラソーマのポマンダー、もしくはフラワーエッセンス系から出ているオーラ防御のスプレーである。それをまず使うことをおすすめしたい。これなら別にスキルはいらないのである。そこでまずベーシックな保護を確保して、ゆっくりとエネルギースキルを磨けばよいのではなかろうか。
スピリチュアルなワークをする場合も、自分のまわりに聖なる空間を作るということは重要なので、そういう目的にも効果的である。
最近、水もアラスカにしてしまった。「アラスカ・グレイシャー・キャップ」という氷河湖の水というのを試している。通販でしか買えないし、他のものより少しばかりお高いが・・ まあアラスカ波動ですからね。
さらにアラスカのスペースクリアリングのスプレー、それとオーラソーマのホワイトポマンダーエアコンディショナーを浄化や波動調整に使っている。ただ、アラスカのピュリフィケーションとホワイトポマンダーはだいたい効果は同じみたいなので両方はなくてもいいかも。
クイントエッセンスのサンプルセットがあるが、クイントエッセンスをちょっと変えるとかなり波動を変えられるのでおもしろい。ポマンダーのセットもそろえるともっと遊べそうだが。
「癒し」というものの根源にあるのは、聖なる次元と接続したいという欲求である、ということはますます明確になってきた。
この前の、マクラレンさんの本で出ていたバラの花を置くというテクニックは、どうもミステリーサークル、つまり西洋神秘学系のところから来ている技法らしいことがわかった。これについてももう少し調べてみたい。
カーラさんの「オーラとチャクラ」で、応用したいと思うのは、エネルギー防御の手法である。人との間や、ドア、窓、電話などに、エネルギー的なクッションとなる「ギフト」を置く、というのがある。ギフトというのは、花みたいなイメージにポジティブなエネルギーを注入したものを、そういうボーダーに置いておくというのである。
自分のエネルギースペースの境界を明確にする、その境界にエネルギー的な防護を施しておく、というのは、一定以上にエネルギーに敏感になった人には必須のスキルではないかと思う。
世の中には、そういうスキルがあることを知らず、「受けまくり」状態になって七転八倒している人が想像以上に多いのである。
電話にも必要というなら当然、ネット接続もそうだろう。
最近はブロードバンドで常時接続になっている。これは、エネルギー的には要注意だ。
私のパソコンは、無線LAN機能をスイッチでオフにできるようになっている。これは、バッテリー節約のためにあるのだろうが、不必要な時はネット接続を切っておく、というのはエネルギー的にも有効なことだろう。そして、接続するときには「ギフト」を置いて、備えをしておくのだ。
検索するときはしようがないが、漫然としたネットサーフィンは、エネルギー的には悪いということも自覚すべきだろう。コーヒーの飲み過ぎみたいな神経過敏になりやすい。
ネットの、微細エネルギーレベルへの影響は想像以上に大きいのではなかろうか。
前回紹介した「オーラとチャクラ」、唯一どうかと思うのは表紙だ。この人体は、なんでくねっているんだろう? 趣旨からすれば、当然、中心軸をまっすぐにして、チャクラもきれいにならんでいるのがよろしいのじゃないかと思うが。アメリカの本のデザインって時々変なものもあって、シュムスキーさんの本もほかに買おうと思ったがあまりに表紙デザインがアレなのでためらってるのもあったりするのだ。
日本語の本でこれと同種のものを探すとこれじゃないかな。
![]() | パーソナル・パワー―光の存在オリン、人間関係とテレパシーを語る サネヤ・ロウマン マホロバアート 1992-06 |
情報源がチャネリング系というのに抵抗がある人もいるかもしれないが、書いてある内容はいい。
普通に読んでもおもしろいが、エネルギーやオーラの感覚がわかってきてからまた読んでもいろいろ発見があるはず。
品切れのようなので、中古を見つけたら速攻ゲットをすすめる。
ただ、翻訳は私は見てないので、翻訳の良否についてはコメントできない。
私がここで言いたいのは、スピリチュアルな自覚を生活と統合していくための鍵は、エネルギースキルにある、ということだ。
それは、自分のエネルギー、「気」をイメージで動かすこともだが、フラワーレメディのようなものをうまく使うということも、アロマも、オーラソーマも、「ゆる体操」だって含まれるだろう。むろんレイキもそうだ。浄化の基本テクニックも知るべきだ。
そうしたものによって、生活全体に、スピリチュアルな美を浸透させてゆく。
それが、「スピリチュアル・ロハス」なのだ。
そういうテクニックを知らないと、かならず「フワフワ星人」になってしまうだろう。
というのも、カーラさんも言っているが、肉体は物質界に生きているので、限定のない世界に生きている魂やスピリットとは、リズムが違うし、動く法則が違う。「フワフワ」というのは、その二つの領域のバランス、統合に失敗している状態だ。
それから、「オーラとチャクラ」と「パーソナル・パワー」では、人がネガティブな態度で向かってくる時のエネルギー的な対処法について、詳しく書いてある。
心の安定が乱される要因の多くは、他人からのネガティブなエネルギーだろう。
この、対人的なエネルギースキルも、スピリチュアル・ロハスを目指す人の必須項目といえる。
自分の心が、つねにスピリチュアルな次元の幸福と離れないようにしていくのは、自分の責任である。
スピリチュアル本がいろいろ出ているが、「人間の本質はスピリットですよ!」ということを一生懸命いうような本もまだ必要ではあろうが、時代は次のステージに動いているような気がする。
具体的に、今この生活でどのようにスピリットを具現するのか、という関心に向かっているようなのだ。
江原さんがブレイクしたきっかけも、そういう具体的なヒントを提示したところにある。
スピリチュアル本といっても、最近はいろいろあって、中にはあまりグラウンディングしてない人が書いているものもある。中には明らかに違う方向へ導こうとしているのもある。出版社はそこまで見分けができるわけではなく、売れそうだと思えば何でも出すので、読む方はじゅうぶん注意が必要だ。これもサニワだが、一つの見方として、そこにどのような具体的なスキルが紹介されているか、それを自分の生活に取り入れていくとどうか、というイメージが見えるか、ということも参考にはなろう。(でも、自分は一回も使ったことがないのに「フラワーエッセンスやオーラソーマはいいよ」なんてことを書くような責任感のない著者もいるので注意。よく読めば、著者がどの程度それを使いこなしているかは、わかるであろう)
それと「自分を浄化すること」を言ってなくて、ただいいことばかり書いてあるのもちょっと警戒だ。
カーラ・マクラレンさんの「オーラとチャクラ:オーナーズマニュアル」ていう本を読み始めたが・・ オーラに関するエネルギースキルの解説書だが、この種のものでは、私が読んだ中ではピカイチではなかろうか? まだ前半だけど、半分はみなグラウンディングの話。それと、よくないエネルギーを受けない法、「契約」を破棄する法、車や部屋をグラウンディングする法など、いろいろ書いてある。
シュムスキー本もわかりやすいと思ったけど、このマクラレン本もかなりのもの。後半はチャクラの話だが、これもかなり具体的に、リーディングやヒーリングの方法が書いてあるようだ。
何よりプラクティカルですね~ でも私はこのタイミングで読んだからよくわかるのかもしれず、まったくエネルギースキルというものを知らない人には最初むずかしく感じるのかな、とも思わないでもない。今の私からすれば、なるほど! こんなやり方があるのか、という感じで、今すぐにでも始められそうなほどプラクティカルなんだが。
自分のオーラに関するエネルギースキルというのは、スピリチュアルな領域と肉体の物質生活とをつなぐ重要な要素だというのはますますはっきりしている。エネルギーとはまさにその中間であり、架け橋なのだ。
ところで、よく、「人は、自分が逃れたばかりの悪徳に対しては、もっとも苛酷である」という名言がある。ゲーテだろうか?(よくわからない名言があるとみなゲーテにしてしまうが)。これは真実で、私は、「グラウンディングできてない人」がきらいである。フワフワ生きていて、肉体の中にいることが苦痛だというタイプの人を見ると、なんでもっとエネルギースキルを学ばないんだろうとイライラしてくることもある。その状態がスピリチュアルだと思っていて、それ以上に自分は何も求めるものはないんだ、などと思っている場合もあって、当人がそう思っている限り、もっと先のステージには進めない。それは、はたから何を言っても自分で気づくしかないわけで・・
光の世界を見るということはそれほどむずかしいわけではなく、それはスタートなので、現実生活と統合できるようになるまでの道のりが長いのだ。その過程で役立つのはこのマクラレンやシュムスキーの本にあるような具体的なスキルの反復練習であって、お題目ではない。実際にどうやればいいのかという情報である。
「これでいいんだ」なんて言っている人は本物じゃありませんよ。道は無限に続くんです。これでいいというのは、この場所が絶対に通じているという意味ではそういう言い方もありだけど、しょせんは人間である限り大きな限界があるわけで・・ 「これ以上何も私は求めない」というのは単にその転生でのプログラムが完了したような気がするだけのわけで、時間が余ったら次の計画立てりゃいいじゃない?
つまりは、無限の道の彼方にある「圧倒的なるもの」への予感があるのかどうか? ということになってこないだろうか・・
なお、この本の邦訳はない。ぜひ翻訳されるべきだと思うが(出版関係者はここ読んでるんですかねえ)。
![]() | Your Aura & Your Chakras: The Owner's Manual Karla McLaren Red Wheel Weiser 1998-10 |
追記
そうそう、そういえば・・
私の経験だと、こういうことを勉強していると、「さあ練習問題ですよ~」てな感じで、扱いにくいエネルギーをもった人に出くわしたりするのだが(^^;
その時「おっ来ましたね練習問題~」ってすぐに気がつくかどうか、が重要。
バーバラブレナン・ヒーリングスクールも、いよいよ9月から日本校開校ですか・・ ひかれたが、授業料が年に100万・・(^^;
すでに王由衣さんのはあるけど、いよいよ大御所登場・・ だんだん、ヒーリング能力ってものがあって、だれでもトレーニングすればできるようになるものだ、ってのがあたりまえになってくるかもしれない。
時代の変化は急速だ。もうすぐだ。
かくいう私は、また変容中・・
ホワイトポマンダーだが、これは、クリスタルの浄化にすごい効く! ということを発見。
クリスタルといえば、基本的にアメジストとクリアクオーツがよく使うものなのだが、ここのところなぜか、ルチルクオーツというキーワードが浮上!! というのは、なぜかそういうイメージが浮かぶのだ。
ルチルを買えということでしょうか? しかしお高いものだ・・ まあ、一生モノだと思えば買えるけど。
年明けからエネルギーの変化が加速し始めた。
最近、アラスカに意識がチューニングしているので、アラスカ・エッセンスのコンサルテーションを受けてきた。さらに! ちょうどそこには、オーラソーマのボトルも置いてあったので、ゆっくり現物を見て、4本を選ぶことができた。まあそれはおまけということで、ボトルは買ってないが・・ しかしそこで出たボトルと、エッセンスを見てみると、そこには共通したテーマが・・ どうもそれは「コミュニケーション」ということのようだ。それが今年のキーワードみたいである。さてそれはどういう意味なのか?
オーラソーマといえば、前からほしいと思っていた、ホワイトポマンダーのエアコンディショナーを買ってしまったのである。いろいろこれに類する浄化スプレーはあるが、これは100mlも入っていてなかなか頼もしそう。香りもたしかに浄化系である(^^;
「冬至近し」と書いたと思ったらもうこれである・・
最近本屋へ行っていないが、この本はどうなんでしょうねえ。
![]() | レイキとREIKI―西洋と東洋の視点から見る“レイキの現在” 宮沢 邦夫 望月 俊孝 BABジャパン出版局 2006-12 |
なんか、望月氏への反感を持っている人のいけすかないレビューが出ているが(ネガティブな投票をしておきましたよ)・・ただ、望月氏のようにあんまりレイキがいいことばっかりという宣伝方法に疑問を持つというのもまったくわからないではない。たしかにそのレビューにあるように、レイキでは絶対に邪気を受けないというのは間違いである。正確に言えば「ほかの方法とくらべてかなり邪気を受けにくい」とするべきである。やはり、最低限の、相手の邪気を受けないためのプロテクションの方法は知る必要があるし、グラウンディングの技術も必要だ。またレイキマスターによってかなりレベルの差があるということも厳然たる事実。そしてアチューンメント後のトレーニングによってエネルギーのレベルはいかようにも向上するということも。逆に言えばアチューンメントを受けただけというのはあんまりレベル的にはたいしたことはないのである。(なお、伝統霊気のほうが西洋系レイキよりエネルギーが強いという意見もあるのだが、それは、伝統系ではレベルが維持されているのに対して、西洋系ではマスターのばらつきが大きいということではないかと思う。西洋系の平均をとれば伝統系よりはエネルギーのレベルが強くないということかも)
それから、「一回アチューンメントを受ければ一生レベルが落ちない」というのは望月氏の10大原則のうちでもいちばん不正確なものだ。たしかにゼロにはならないが、使っていなければそれなりに落ちる。何年も使っていなければ再アチューンメントも必要だ。つまり運転免許のようなもので、取ってから10年乗ってなかった人と、毎日運転していた人では大きな違いがあるということ。10年ペーパードライバーでもまったく教習を受けてない人と同じではなく、やろうとすればやれないことはないだろうが、そのレベルはいかに? というのとだいたい同じことだと思えばいいだろう。
また、望月氏が広めて日本でのスタンダードになっている「12ポジション」とかは、海外の本を見るととくに標準というわけでもないようで、本によって少しずつ違っている。望月氏が念を入れて強調している「第二シンボルのあとには必ず第一シンボルで固定させろ」なんてことも海外の本では見たことがない。どうも「望月バージョン」があまりにデファクト・スタンダードになっているという現状は少し再考したほうがいいようだ。
また同時に、もはや臼井レイキだけではなく、発展系レイキや伝統霊気を含め、さらにレイキ以外の、アチューンメント方式で伝達されているエネルギーワークなどを含めて総合的に考えていく立場も必要とされ始めているような気がする。レイキはスタートしてはよいが、そこから本格的なヒーリングの世界に進む道筋のようなものがもっと示される必要はないだろうか。
私ももし余力があれば、そんなことを含め、レイキの現在を知的にも概観するサイトのようなものを立ち上げることができれば面白いかな、と思ったりする。
それからこんな本も出たみたいである。
![]() | レイキ サンディ リア=シャフリー Sandi Leir‐Shuffrey 鈴木 宏子 産調出版 2006-10 |
これはイギリスの Live Better のシリーズの翻訳である。
上記二冊は本屋で見てみないと、買うべきかどうかわからない。
それからこんな本も出てた。
![]() | ヘミシンク入門―未知領域への扉を開く夢の技術 坂本 政道 植田 睦子 ハート出版 2006-11 |
これは買ってしまったが、ゲートウェイのCDセットを使っていく上でのガイドブックみたいに使える。逆に言うとゲートウェイとはどういうものかがよくわかるので購入を検討している人にもいいかも。ゲートウェイはちょっと構成がわかりにくところもあるので、何が本線かということを解説しているこのガイドブックはあっても損はない。
ゲートウェイCDの日本語版にはいろいろ問題があるらしい。それができた当時は坂本氏がブレイクする前で、彼が監修しているものではなく、ヘミシンクに詳しくない日本人が担当してしまったらしい。英語が得意ならば英語版のほうがおすすめである。
結局、最近何をしているかというと・・要するに「微細エネルギー」をめぐるいろいろなことを研究中だということになる。ただ、これはある種の「感覚」を前提とするので、文献だけでどうにかなるものでもない。感覚を含めた総合的なものとなる。正直、感覚のない人が何を書いたとしてもほとんど意味はない。
感覚の共有 → その感覚をことばで表現し、互いの感覚を確認
というステップで進んでいくことになる。
ことばの意味というものには、その基盤として「あるリアリティの共有」がある。
感覚がない場合は、まずその感覚を持ってもらうことから出発せねばならない。そこで、まずどのようにその感覚へ到達できるかというノウハウを含めた話でないと意味がない。
本は読むが、自分の感覚・経験が乏しいという人がいくら集まってみても結局は「感覚がなくて本だけ読んでいる人の意見」が出てくるだけであろう。
ただそれは本を読むことは無意味であるということではない。
良質の本は、そういう感覚を呼び覚ます準備ともなるうるだろう。そういう、読む人の中に何かを「共鳴」させるエネルギーを持っているかどうかというのが大事なところだ。本の価値というのは決して論理性や合理性だけで決まるものではなく、もっと奥深い次元のこともある。
というような奥深い本は、とうぶん書けそうもないし、また今のところ書く気もない。
ただ、前から懸案となっている、初心者向けスピリチュアル哲学の入門書みたいなものを、いよいよこの春休みには書こうと思っている。
けっこう型破り、ノンアカデミックスタイルの、昔なつかしい「珍太郎」のノリか?(これ知ってる人も少なくなってきたかもね♪)
クイントエッセンスのサンプルセットだが・・けっこう入ってますね。分量としてはそんなに多くないが、一回に使う量も少ないのでかなり使えそうではある。クイントエッセンスははじめからこのセットにして単品は買わなくてもいいかもしれない。単品は相当な量になる。たぶん一年以上はありそうな感じ。
それにしても、みんなパステルカラーの透明ぽい色なのに、「キリスト」のクイントエッセンスだけが赤ワインのように真紅で異彩を放っている。これはどうみても「キリストの血」のイメージだ。だからミサで赤ワインを使うのだが。
こうなるとポマンダーのサンプルセットもほしいかもな~(笑)
ところでスーザン・シュムスキーさんの訳が出てたんですね。私はこれ、訳書がでるほんの一ヶ月まえに原著の Exploring Auras を買ったところだったんだが・・
シュムスキーさんはなかなか本格的。TMのマハリシを師匠にして何十年もインドのアシュラムで修行してきている。さすがに「わかっているな~」と感心するところが多い。やはり、このように教える立場になったのも天命という感じで・・ 本の内容も濃い。特に微細体レベルでの浄化の技法に詳しいが、こういうことの重要性がわかっている人が本物というべきだ。大きくいえばヒーリングの本である。
ただ訳書はどうなのか・・? 私は見ていないのでなんともいえない。この本で特にいいのは、いろいろな微細次元の浄化や解除、光の次元とつなげるための祈りのことば(アファメーション)にある。これは実際にやってみたが、かなり強力。ただ、それは言語のかなり微妙な使い方であるので、そのエネルギーがどれほど翻訳で伝達されているのかは、実際に見てみないとわからない。こういうものは、訳者も実際にそういう微細エネルギーレベルの感性がある人で、自分の翻訳したものを自分で唱えてみて、これはたしかにエネルギーが来てる、あるいは来ない、こうすればもっと来る、というようなことがわかる人でないと意味がない。字面だけ訳せばいいというのではない。世の中にはそういう配慮で訳されている本もあるが、やはり少数である。そんなわけで訳書のほうをどの程度オススメできるのかはなんともいえない。
![]() | 魂の保護バリア オーラ・ヒーリング―自分のエネルギー・フィールドを清め、強化しよう スーザン シュムスキー Susan G. Shumsky 小林 淳子 徳間書店 2006-10 |
Liquid Mind というのはヒーリングミュージックのアルバムシリーズである。これに最近はまっていまして・・
以前からこれ持っていたんだが、その時は「よく眠れるCD」と思っていた。それは間違いではないんだが、その当時のオーディオと今のものではグレードが違う。数年ぶりに聴いてみたら、前はわからなかった、微少な音の粒子がキラキラと漂っているのがすごくクリアに聞こえてきて、この曲の真のディープさに耳を開かれた? ということ。
虹色の音の粒子が泡立つ「光の海」に漂う。私に浮かんできたイメージはなぜか「イルカ」だった。
もしかして、イルカっていつもこういう意識の状態で生きているのかもしれない(ほんとは知らない。これは想像である)。限りない意識の大海。至福。愛・・ その巨大な空間をただ自由に遊び戯れているイルカである。私はそれを水中から、イルカと同じ視線で見ている。いや自分もイルカになっているのだ。・・これは私にとって完全に「宇宙旅行」のモードであった。最初は、あまりに意識拡張しすぎて、聴き終わった時に「スペースアウト」状態になり、しばしグラウンディングできなかった。しかし、何回か聴くうちに慣れてきてそういうことはなくなった。
大傑作! これはひさびさの衝撃的な音楽体験だった。私がこれから Liquid Mind シリーズを買い込むであろうことはいうまでもない。
![]() | Liquid Mind III: Balance Liquid Mind Chuck Wild 1999-03-02 |
もう一つお気に入りはモーツァルト。というか、クラシックは最近モーツァルトしか聴いてませんね・・
モーツァルトセラピーという音楽療法があり、それによるとモーツァルトには倍音による高周波の音が豊富に含まれており、それがヒーリング効果をもたらすとされている。しかしいくら高周波といっても、ヴァイオリン協奏曲など聴くと、日本人の耳にはあまりにキンキンしすぎているように聞こえる。弦楽四重奏曲も日本人(正確には日本語の周波数帯域に慣れている人間)には生理的な違和感がわずかに感じられるような気がする。そこで、私としていちばん好ましいのは、管楽器と弦楽の組み合わせではないかと思う。それがひじょうにバランスのいい波動になるのだ。
というわけで、クラリネット協奏曲、フルート協奏曲、フルートとハープのための協奏曲、クラリネット五重奏曲、オーボエ四重奏曲、フルート四重奏曲、管楽器とピアノのための五重奏曲・・あたりだ。交響曲やピアノ協奏曲なども、オーケストラには管楽器が必ず入るから大丈夫。
前置きが長いが最近のマイブームは「クラリネット協奏曲」である。
この曲について、昔はよく人生論的な感傷的文章をよく見かけた。人生の哀愁だとか、諦観の境地だとか・・
もちろんそんな「意味づけ」は無用。私にとってこれは「天界の波動」。天使的音楽ということだ。
ただ、第二楽章など、このような波動の世界は、この地球の物質次元にはまったく存在しないため、こういう世界に接するとそれが「死の向こう側の世界」であるかのように感じる人がいるのも、無理からぬところかもしれない。そのへんが、「死を前にした境地」だという解釈を生むことになったのではなかろうか。
しかしべつに、死ななければそういう世界に行けないわけではない。そのためにこの音楽が存在する。
向こうにあるものは今ここにもあるはずだ。
演奏については、モーツァルト全般にマリナーを好んでいる。
それは、天使的音楽にふさわしい「無垢の遊戯性」をもっとも表現しているモーツァルトであるように感じるからである。イルカがぴちぴち海面ではねているような感じのモーツァルトなのだ。(レクイエム、ハ短調ミサなど「合唱もの」はヘレヴェッヘの演奏もよい)
マリナーとライスターのコンビでいうことなしですね。三回続けて聴いてもあきません。
![]() | Mozart: Clarinet Concerto in A; Sonata in B flat; Bassoon Concerto in B flat Klaus Thunemann Stephen Orton Karl Leister Philips 1989-10-19 |
※注:この文章は個人的好みを述べたものにすぎず、それが万人にお勧めするものだということは言っておりません。
オーラソーマのクイントエッセンスにつづいて・・ポマンダーにも興味があって使ってみた。するとこれも驚いた。あっという間にエーテル体(気の身体)が変容する。いうなれば、30分一生懸命に気功をやった時の状態に、1分以内で到達してしまうのだ。ポマンダー恐るべし。エーテル体が整っているというのはこんなにも気持ちいいものか~ と、すでにその感覚を忘れかけていることに気づいたり(^^;
もちろんこういうのは「最初の出会い」がいちばんその衝撃が大きくて、2回目以降はまあ、そのエネルギーに慣れてくるのと、いちおう自分のエーテル体も整ってきているわけで、そこまでのショック、強い感覚は来ない。
ポマンダーも15色もある。どれを選んでいいかさっぱりわからないが、数日前、なぜか夢で、目が覚める直前に、ある色のボトルが宙に浮かんでいるのを見たのだった。ポマンダーがクイントエッセンスかわからなかったので両方買ったのだが、クイントエッセンスのほうもいい感じ。
オーラソーマ本流のボトルの方をやらずにポマンダー、クイントエッセンスの方をやるのは・・と思わないでもないが、オーラソーマは自分の直感で自由にやればよいという原則らしいので、まあいいだろう。それと、ことボトルに関しては、たぶん本やWEBの写真で選ぶというのは邪道のような気がする。これはどうしても、現物のボトル100何本を前にして選ぶべきだという気がする。そうなるとコンサルテーションということになるが、そっちはまた「その気になったとき」でいいだろう。
ポマンダー、クイントエッセンスのエネルギー的な効果は、フラワーエッセンスの数倍というような感覚だ。フラワーエッセンスも「ツボにはまれば」効くという実感は得られるが、ここまで劇的ではない。とはいってもこれはあくまで私の経験、体感の話。単に私がオーラソーマのエネルギーに合っているということなのかもしれない。私はべつに普遍的、一般的な話はしていないのでそのつもりで。
ついに清水の舞台から飛び降り? の気分で、カミンスキさんの『フラワーエッセンス・レパートリー』を買ってしまいました。まあ、アマゾンなら5000円でキャッシュバックがあるから実質500円引きだし(と、アマゾンの宣伝をしてどうする)。
これはFESとバッチのエッセンスの詳しい解説で、中でも第二部の「魂のテーマ」のセクションが有用。すごく霊的変容ということを理解しているという感じで、そういうテーマごとにいろいろなエッセンスがコメントとともに紹介されており、第三部で各エッセンスの詳しい解説を見る、というぐあいになっている。簡易版の『フラワーエッセンスハンドブック』では気がつかなかったエッセンスを考慮の対象にすることができます。口絵のカラー写真も波動高し。FESについてはやはり決定版とはいえますね。
改めて、FESはバッチに比べてさらに一歩踏み込んで「成長」というテーマをとらえていると感じた。バッチは日常的なケアというふうにも使えるが、FESは魂の成長にフォーカスしたエッセンスシリーズなのだということがわかる。その際、人間が多次元的エネルギー体であるという視点が基本となっている。
自己変容のワークに取り組む人は、このようなサポートシステムがあるということを知識として知っておくべきだと思う。
あまり欠点は見あたらないがあえていえば「魂のテーマ」を五十音順に並べているのに、なぜか「鈍さ」が「サ行」に入っていること。これは原書のアルファベット順を五十音順に直すときのチェックミスだろう。あと、欠点ではないが、訳者は自分の考えを押し通す人で、「バッチ」はあえて「バック」と表記し、また spiritual は「霊的」ではなくて「精神的」と必ず訳しているようである。
しかし気になるエッセンスがいっぱい。迷うんですよね・・ 選ぶということも重要なプロセスではある。
でもアラスカも気になって仕方がないし・・
通販の波動がいい店はすでにチェック済みです(^^;
![]() | フラワーエッセンスレパートリー―心と魂を癒す、花療法の総合ガイド パトリシア カミンスキ リチャード キャッツ 王 由衣 BABジャパン出版局 2001-01 by G-Tools |
発展系フラワーエッセンスのことを書いたけど・・基本であるバッチについてはどういうのがいいのか? バッチの本は最近ずいぶん出ているから私も全部そろえているわけではない。私がフラワーエッセンスについて最初に買った本は中沢あつ子の『フラワーエッセンスハンドブック』だったが、これはなかなかよいと私は思う。イギリス系のバッチ解説書にくらべるともうちょっとスピリチュアル志向が強くなっているようだが、そのへんが私のニーズに合っていた。今でもよく見る。ただ、もう一冊標準的なのを持って比較するとさらによいかも。
![]() | バッチ博士のフラワーエッセンスガイドブック 中沢 あつ子 フレグランスジャーナル社 2000-06 |
なかなか更新できませんねえ(おっと「交信」と書きそうになった。私が言うとなんか思わせぶりかもしれぬが・・)
『世界のフラワーエッセンス』て本がなかなか面白くてねえ。
バッチのフラワーレメディーはすでに実践しているが、ここにはそれ以外のいろんなフラワーエッセンスが紹介されている。マスターズ、ヒマラヤ、コルテ、アラスカ、オーストラリアンブッシュ、パシフィック、フィンドホーン・・などと。それぞれその土地のもつ「気」をヒーリングに活用している。FESはのってないが、それは『フラワーエッセンスハンドブック』やカミンスキさんの大著が別にあるからいいでしょう。この本は著者の精神遍歴の記録とも読めるようになっているのがまたよい。しばらく品切れだったがもうすぐ再版されるらしい。類書はほとんどないので見つけたら即、買いです。
コルテのイルカペンダントは前から気になる存在だったが、いますでに私の胸にかかっている(笑)
いろいろな写真を見ているだけでもその「気」が伝わるのでなかなかいい気分である。
ここで一つ知ったのは、ジェムエッセンスという、鉱物のエッセンスがけっこうあること。特にコルテとアラスカだ。最近クリスタルヒーリングが気になっていて、石も多少買っているのだが、エッセンスという方法もあった。クリスタルヒーリングの本にはだいたい、エッセンスの作り方も書いてあるのだが、このように既製品もあるわけだった。これだとその都度浄化するという必要もないし、数万円もする大きな石のレベルの波動が2,3千円で入手できると思えば選択肢として悪くないだろう。使い方はクリスタルヒーリングの本を参考にできるし。
こういったバッチ以降の「発展系エッセンス」は、時代の変化に対応してか、より「スピリチュアルな発達」をサポートするという意図が強くなっているように感じる。つまりスピリチュアルな発達ということに興味を持つ人が増えてきて、そのプロセスにまつわる、ネガティブなエネルギーの防御だの、幼児期や過去生からのトラウマの解放、高次エネルギーの受け取りとグラウンディングのバランス、など、そういうもろもろの問題に対処できるようになっている、と思えた。逆に言えば、トランスパーソナルをも含めて、アカデミックな心理療法がどこまでこういったサポートを提供してくれるのか。そのへんのお寒い状況を考えてみれば、こうしたエッセンスの価値もわかってくるだろう。
私が一つ言いたいことは、霊的成長のプロセスには「微細エネルギーの取り扱いについての技術体系」が必須だということである。つまりエネルギー医療(バイブレーショナル・メディシン)的な視点と統合されていないといけない。たとえば霊的に感受性が強くなれば必ず「受けやすい」という状況が生じる。そういうときにどういうサポートがあるのか。そういう具体的なことを知らないような人がいくら「あなたの中に必要なものはすべてある」などと言ってもそれは単なるキレイゴトの世界でしかない。んなこたぁわかってんだよ、ということだ。サポートシステムは具体的かつ現実的でなければならない。試行錯誤の上いろいろな経験知を身につけた人の意見を聞くべきなのだ。
自己変容に取り組んでいる人は必ず持っているといいなあ、とこの前思ったのは、何か、浄化のためのエネルギーエッセンスである。早い話、変容するということは「受けやすくなる」ことと「エネルギーの受け取りとグラウンディングのバランスを取る」ということの連続であると思う。
オーラソーマというのは話だけでしか知らなかったが、この間クイントエッセンスを使ってみたら、その速効性には驚いた。使ってみた瞬間から、あっこれは何? というくらいの変化で、自分のオーラ(エネルギー領域)がバランスがとれて光ってくるのが感じられる。これはスプレータイプもあるので部屋の浄化にいいかもしれない。ともあれこれはほんとに効きます。私の経験はそれだけだが全体としてオーラソーマというのはかなり霊的レベルが高いなという印象を受けた。色のエネルギーによるヒーリングでもある。これもまた現代に出るべくして出たシステムだろう。言っていることの中にはちょっと信じがたいようなこともあるが、私は「正しいか正しくないか」という視点ではあまりものを見ないので、神話だと受け止めればなんでもありで差し支えないのである。
それからバッチのレスキュークリームというのもおすすめである。これをバランスの取れていないチャクラの上にぬるとこれも速効で効くのである。あっという間にラクになるのでぜひ試してみてほしい。
オーラソーマのポマンダー、クイントエッセンス、バッチのレスキュークリーム(レスキューのエッセンスも)――そのほかには、越智啓子もおすすめのFESのヤロウ環境フォーミュラ、そのほか、各フラワーエッセンスに浄化のためのスプレーみたいなものがいろいろ出ているので、そういうのを一つは持っているというのが私としてはひじょうなおすすめなのである。またありがたいことに今は、インターネットで検索すればそんなレアなものを売ってるお店がすぐに見つかってしまう。
というわけで、発展系フラワーエッセンスの探求は楽しそう・・ちょっとお金はかかりますが(^^;
個人的には、アラスカと、コルテのオーキッドエッセンス(アマゾンの蘭)はかなり波動が高いなと思った。写真からの印象だが。
アラスカのオーロラや氷河の波動がエッセンスになってる・・なんて考えただけで浄化されそう。私はほしいものはあまり我慢しないので、近日中に手元に来るかもしれない(笑)
それから玉井宏『はじめてのフラワーエッセンス』もなかなかである。初心者向けであるが、バッチだけでなくFES、オーストラリア、コルテ、パシフィックなどもあがっており、浄化スプレーの紹介もある。ただ情報量にくらべて1600円という値段はいかにも高いなあ・・とは思う。図書館にあればなあ、という感じだ(そういう私は図書館で借りたのであった)。あるいは古本探しか?
![]() | 心と体を癒す 世界のフラワーエッセンス 小川 政信 廣済堂出版 1999-04 by G-Tools |
レスキュークリームがアマゾンで取り扱われるようになったのは驚いた。・・バッチは全点ある。
![]() | バッチフラワーレメディー レスキュークリーム バッチ 2001-04-09 |
<追伸>
それにしても Bach はなぜ「バッチ」なんだろう。王由衣さんは「バック」と言っていて、たしかに英語では作曲家のJohann Sebastian Bach も、作家の Richard Bach(かもめのジョナサンの作者)も「バック」と発音する。またドイツ語では「バッハ」なのは言うまでもない(ドイツ語で「小川」の意味)。私も英語ではふつうバックと読むことは知っていたが、みんながバッチと言っているし、たぶんそれはBach博士がウェールズ出身で、その現地の読みではバッチなんじゃあないの、とか想像しているのだがどうなのだろう? ・・と思うだけで調べようとしないのは、もはや研究者としての習慣を失っているのかもしれないが(^^;
このところ、各種ヒーリング技法への興味が再燃しており、いろいろ買いたい本が多くてこまる。夏の間はあんなに読んでなかったのに。まあ時期ということだろうか。
それにしても、アロマ、フラワーエッセンス、クリスタル、エネルギーヒーリング、それに占星術も微妙にからんだりして、この世界はなんでもありのような様相を呈している。しかし共通しているのは人間をエネルギー体として見る見方だろう。これが大きくいって波動医学ということになる。
これらは観念的理解ではなく、実際に実践をともなって、微細エネルギーの世界に親しんでいることが必要だ。まあ必要とかいう前に、こういうことをやっているとなかなか楽しくてやめられないというのが本音のところである。
最近ではTFT療法など、心理学への微細エネルギー的技術の応用も試みられているようである。フラワーエッセンスの導入などすぐにでもできることであるが、どうも心理学者というのもわりと保守的である。というか自分の領分以外のことを知らない。
波動医学については、次の本はもうお読みですかねえ??
![]() | バイブレーショナル・メディスン―いのちを癒す「エネルギー医学」の全体像 リチャード ガーバー Richard Gerber 上野 圭一 日本教文社 2000-10 by G-Tools |
前にも書いたがこういう一連のエネルギー医学、波動医学というものはパラケルススの系譜である。決してニューエイジとともに出てきた新興の考え方ではない。むしろニューエイジとは、近代には抑圧されてきたパラケルスス、あるいは神智学的な伝統の大衆レベルでの復活なのだという歴史的文脈でとらえることが妥当である。
そういうことを一つマジメに勉強してみるかという人には次の本をおすすめしたい。
![]() | エゾテリスム思想―西洋隠秘学の系譜 アントワーヌ フェーヴル Antoine Faivre 田中 義広 白水社 1995-02 by G-Tools |
文庫クセジュなので日本でいえば岩波新書であり、学問をふまえて書かれた本である。
すでに、右のガイドブックのリンクに出てるんだけどね。もちろん著者は「実践」している人ではない。
今出てる問題は、もうルネサンス期にはみんな出ているということもわかる。実際ここに書かれている世界観がいまの「精神世界」とあまりに近いのにはびっくりする。新プラトン主義哲学+マギア(微細エネルギーテクノロジー)という文化の復興ということなのだ。
このまえ紹介した Subtle Aromatherapyは、むかし邦訳が出てたんですねえ。いまは古本か。法外な値をつけてるマーケットプレイス出品者もいるようだが・・
![]() | 聖なる香り サトル・アロマセラピー―香りの波動があなたの心と体をヒーリング パトリシア デービス Patricia Davis 古賀 むつ美 ノーベル書房 1997-04 by G-Tools |
マダム・マーシの『パワーストーンBOOK』は図書館で借りた。こちらは、入門書としてはまあまあかな。石ごとに浄化法やアロマとの組み合わせが紹介してあるというのはいいかも。石の活用の仕方はもう少し書いてあってもいいが、経絡のことも書いてあるのはなかなかまともだと思った。女性向き現世利益とスピリチュアルなことが適度にバランスされている。あんまりコアではない人にはこの一冊でも足りるかもしれない。
逆に言うとカトリーナ・ラファエルの本なんかは普通の人にはあんまりおすすめできない感じだ。
![]() | パワーストーンBOOK―幸運と癒しをもたらす神秘の石 マダムマーシ 主婦の友社 2004-09 by G-Tools |
あと、リズ・シンプソンの『クリスタル・ヒーリング』も図書館にあった。こっちはどっちかといえばそれほどおすすめでない。彼女のチャクラに関する本と同じようなセンスとデザインなので、あれがいいと思った人には選択肢としてあるかもしれないが、クリスタル・ヒーリングの情報としては十分ではない感じ。
この本で私が知った有益なことは、石の浄化にはバッチフラワーレメディのクラブアップルを使える、ということだった。ただ訳では、「バーク療法の野生リンゴ」という意味不明のことばになっていた。
石をいろいろ買う前に、とりあえずクリスタル・ヒーリングの全体像を知っておこうと思って本を読んでいる。
カトリーナ・ラファエルの『クリスタル・エンライトンメント』と『クリスタル・ヒーリング』の二冊を古本で入手。
最近はできるだけアマゾン・マーケットプレイスか「日本の古本屋」サイトを利用して古本で買っている。これだけ買う量が多いと、数百円ずつでも違っているとけっこうばかにならない違いとなる。
ただ古本にはリスクもある。マーケットプレイスの場合たまにけっこう汚れている本がある。そういうときはクレームのメールを送って、値引きしてもらう。これは古本に限らず通販全般にいえるが、ちゃんとクレームしたり返品したりするエネルギーがなく「まあいいや」ですませようとする人は通販には向いていない。きちんと権利は行使しないと。日本人には「まあいいや」が多いが、これが習慣になると人生全体にあまりろくなことにはならない。
それと前のオーナーのエネルギーが残っているときには浄化することになるが、そういうことはめったにない。
今度の二冊はちょっと使用感があり、普通の本ではなくエネルギー関係の本であるため、念のため浄化しておこうかと思ってエネルギーを送ってみた。すると・・おや、これは何? なんだかすごい強烈なエネルギーを感じる。しかしどうも前のオーナーのエネルギーが残っているものではないようである。邪気ではない。むしろポジティブなエネルギーである。どうもこれはこの本そのものがもっている波動であるらしかった。こういうことを感じるのはあまりない。もっとも本にエネルギーを送ることはめったにないので、今までに感じなかったのかもしれない。送るということは同時に感じやすい状態になるということでもある。
ともあれすごく強かったので、自分のもっている最高のものを使ってみるとかなりなじんできたみたいので、そこでおもむろに読み始める。・・しかしどうもやっぱり少し感じる・・特に眉間のあたりに。気持ち悪いというのではなく少し緊張感のような感じで来ている。
少なくとも著者のカタリーナさんってかなりのものじゃない? という感覚はあるのだった。そういえば出版社も「和尚エンタープライズジャパン」というのはコアですね(^^; 内容は和尚と関係ありません。
だけど、裏表紙にはなぜか、上半身はだかの男性が横たわり、その上にいろとりどりのクリスタルが並べられた写真が・・これを見るだけでかなりの人は引きますね(笑) ディープな人のみ読みなさい、というメッセージみたいである。
![]() | クリスタル・エンライトンメント カトリーナ・ラファエル 和尚エンタープライズジャパン 1992-01 by G-Tools |
まだ読んでなかったことを思い出し、越智啓子の三冊目の著書『人生のしくみ』を読んでみた。
こちらは最近のエンパワメント本に比べるとある程度「内容」もある(最近のは内容よりただ「エネルギー」だけみたいな本が多いが)。特に注目なのは「光の仕事人」という章。これは統合失調症とかそういう病気の人は、実は「向こう」の人々に光を送るという仕事をしているというケースもあるんだ、ということが書いてある。この世的に見れば何の役にも立ってないように見えて、実は霊的には重要な仕事をしているということがあるということ。
実際に病気持ちの人はぜひ一度そこだけでも読んでみることをおすすめしたい。
それからアロマやクリスタルのレシピもちょっとだけ載っている。
![]() | 人生のしくみ 越智 啓子 徳間書店 2003-06-26 by G-Tools |
『不思議クリニック』の流れから、クリスタル・ヒーリングについて知りたいと思うようになった。
まずはジュディ・ホールの『クリスタル・バイブル』ってのを買ってみた。これはなかなか詳しいし、スピリチュアル情報もかなりのっている。
日本で出ているこういう実用書というのはヴィジュアル中心で情報量が少ないのが多いので、どうせすぐにそういうのでは満足しなくなるだろうと思って、最初から詳しそうなのにした。英語圏では、実用書というと厚ければ厚いほどオトクという価値観があるみたい。日本人はヴィジュアル型民族ということなんですねえ。ということなので翻訳ものというのはだいたい向こうで定評のあるものが多いし、あたりが多い(翻訳がまずいこともあるが、これについては大丈夫)。
そうはいっても結局これ一冊ではなく、ほかに数冊注文することになってしまった。
というのも大学院の時に受けた訓練から、何かについて知りたいと思ったら、ともあれその分野の主要な文献は何かというのを調べ、それをみな読んだ上で、一致点や不一致点を整理し・・というようなことをやるのが習性になっているためなのであった。院で勉強した具体的なことはほとんど役に立ってないかもしれないが、そういうことはしっかり定着している。みなさんはいいと思ったらその一冊だけでいいんですよ。
私はもう理屈、理論的なことは今のところ勉強する必要がない、というか時期でないと思っているので、もっぱら「ハウツー」の世界に興味がある最近である。「そこ」へ行くのにどういうやり方がいいのか、ということだ。
![]() | クリスタルバイブル ジュディ ホール Judy Hall 越智 由香 産調出版 2004-03 by G-Tools |
『不思議クリニック』に触発されて、クリスタルの本を注文してしまった。アロマについても改めて研究してみようと思っている。ヴォイスヒーリングは、『ハトホルの書』にも出ていた。
ジャスミンとか、ローズ、ネロリなんかも出ていたが、ああいうお高い精油って、みなさんお持ちなんですかね? なかなか、自分へのプレゼントと思わないと買えないですね~ ある意味ですごいゼイタクな行為ですよね。グルメ的というか。
精油はもっぱら「生活の木」を使っている。理由は、なんといっても3mlの小瓶があるからで、アロマの種類をいろいろそろえたいというとき、そんなに頻繁に使わないのも多いわけで、そういうとき小瓶はありがたいのです。質的にもわりといいと思うし。多用するのは、ラベンダー、クラリセージ、マージョラム、スイートオレンジ、サンダルウッド、ベルガモットあたりだ。
で、『スピリットとアロマテラピー』って本いいですよね。各精油のもっているエネルギーの本質に入りこんでいくような叙述にはひきつけられる。東洋医学とも関連させてるなんてなかなかいけてます。これをじっくり研究するとえるものが多いと思う。
![]() | スピリットとアロマテラピー―東洋医学の視点から、感情と精神のバランスをとり戻す ガブリエル モージェイ Gabriel Mojay 前田 久仁子 フレグランスジャーナル社 2000-12 by G-Tools |
あとはまあ、パトリシア・デーヴィスさんの『サトル・アロマセラピー』も定番で、有名ですね。いろいろ、使えます。私は最近あんまりやってないけど。
![]() | Subtle Aromatherapy Patricia Davis Random House UK Ltd 1991-11-08 by G-Tools |
あとはこれ? 私は、パトリシアの本のほうが好きだけど・・
![]() | The Fragrant Heavens Valerie Ann Worwood Bantam 1999-11-01 by G-Tools |
まあこのへんが、アロマのスピリチュアルな応用ってことで参考になる。
あとはふつーに
医者の書いたアロマ本ということで、参考にしてる。ほんとは同じ著者の別の本なんだけど、品切れなので、だいたい似たようなもんだろうというのをあげる。
![]() | 医師がすすめるアロマセラピー―花粉症、ぜんそく、肥満、自律神経失調症、皮膚病、月経痛に効く 川端 一永 日本アロマセラピー学会 マキノ出版 1999-02 by G-Tools |
あと最後に入門書になったが、これも馬鹿にすべからずだ。なかなかまとまっていて、最初の一冊には最適。
![]() | はじめてのアロマテラピー 佐々木 薫 池田書店 1998-06 by G-Tools |
というわけで私のアロマ生活の一端をご紹介した次第。
面白いのでひきつづき『不思議クリニック』を二回目で読んでいる。
それで『生命の子守歌』も読み返してみようと思ったら、いくら本棚を探してもみつからない。こういうことがあるんですよね、本が多いと。
最近の越智啓子の本は人生エンパワメント本が主流になっているので、具体的なヒーリングの過程を詳しく書いているような部分が少ない。その意味で『不思議クリニック』と『生命の子守歌』は貴重。ある意味でこういう有名になるちょっと前というのが、患者側にとっては「旬」だったのかもしれない。
私としては具体的なヒーリング手法、たとえばクリスタル、アロマ、ヴォイスヒーリング、エネルギーの透視などに興味をひかれてしまう。特にクリスタルは今後やってみたい分野だ。いちおうパワーストーンのブレスレットもしていて、石の波動効果というのはわかるつもりだが。
しかしやっぱり、人生こうやりなさいというより具体的な症例のほうが感動するものが多いんですよね。たとえばヒーラー自身が厳しい浄化を経て、終わったときに天使たちの祝福を受けたとか・・それと類似したことは私も経験してるし(えっそうなの? といまさら驚かないでもらいたいが・・もちろん詳細はヒミツである。もしかするとハッタリかもしれませんよ)。ネガティブなエネルギーが「光へあがっていく」てのも実際に見たことはある(同じ注釈)。マンガでもそういう光を患者さんが見たというケースが出てるし、そういう見る能力なんて潜在的にだれでもある。しかし私にとっては過去のヒーリング修行で経験したことがいろいろ出てきてちょっと懐かしさもあり。こう書くといかにも現在の商売が「世を忍ぶ仮の姿」であることがバクロされてしまうが・・いやべつに、たいしたことはないのよ。今はそんなに見えません。そういう状況の時だけね。
(なおマンガでは天使というと必ず羽根がついているが、いつもそういうふうに見えるわけじゃない。羽根なんてついてなくてただ光のように見えることのほうが多いと思う。もっとも羽根らしきものがついてるように見えたこともあるかな)
なんてことをここで書いてしまえるようになったのも私自身がだいぶ解放されてきたからかもしれませんな。
私自身としてはやっぱり坊さんの過去生が多いようだ。一説によると宗教指導者だったこともあり(どの宗教かわからないが)、そこでは少し真理とは関係ないこともまざっていて、信者を迷わせたのだとか。これは自分自身で見たものではないので全面的に信じているものではないが、ただ現在の私は、霊的なことがらで不十分なことを書くことは大きなカルマを作ることになりかねないので、そうお気楽に書き飛ばすことができないという思いが強いというのはある。本当にそういう過去生があったかはわからないが、そういう霊的なリーダーシップの誤用ということは過去に学んだ経験があると思われる。そういうことなのかどうか、私はマスコミで売れて支持者が何十万人も、なんてことになるのはごめんだという感覚がある。まったく知られないでもこまるが、「知る人ぞ知る」というくらいが居心地いいというのはあるかもしれない。とはいっても、私も新しいステージに移りつつあるようなので、今後は今の十倍くらいの規模は受け止められそうである。そのように自分に対して制限を緩めれば、そうなっていくだろう。
――もっとも私は根本的に「広報係」を第一の使命とはしていないと思う。それよりも坊さん的エネルギーが強いので、やはり求道モードというか、自分自身がどこまで達せられるかということに主要な関心があるといえるかもしれない。人に伝えるというのは副次的なものであるように思われる。
いや~ 今さらという感じだが、『サイキックドクター越智啓子の不思議クリニック』ていうマンガを読んだ。これ、超・超・超面白!!でした。
もちろん内容自体は『生命の子守歌』とかで、知ってる内容ではあるが・・絵も少女漫画系であるがかなり良く描けている。ここで注目されるのは啓子センセイのヒーリング手法がかなり具体的に描かれていること(最近では違って来ているのかもしれないので、当時のものだが)。ハンドヒーリングにアロマ、クリスタル、フラワーエッセンスなので、霊的ヴィジョンは必要に応じて出てくるという感じだ。クリスタルの種類やアロマのレシピなども具体的なので、参考にしてしまえる。それと、自分でできるヒーリング手法もいろいろ教えてくれるので、なかなか実用的でもある。
やはり中心的には過去生の体験と今生でのテーマとの関連がよくわかるような事例の紹介。
こういうのは日本で紹介されたのはエドガー・ケイシー本とかがたぶん最初の方で、もう数十年前からあるはずだが、マンガで、ここまでディープにわかりやすく描いているというのはないな~
私が思うに、スピリチュアルというのはまず「自分の根源と宇宙の根源は『光』である」という認識が第一のものとしてあると思うが、その次の段階として「人間は転生を通じて学びを深めていくものである」という理解があると思う。そしてまたそこから「人類・地球全体もまたそのように徐々に光に向かっていくものである」という理解がある。それはつまり「すべてはある神的な計画の中にある」という理解にもなる。そこまでで一つの霊的世界観として完成すると思う。これが、シュタイナーも予想したような、東西霊性の統合による統一的ヴィジョンなのだろう。キリスト教と仏教との高度の統合だと思う。
世の中には、第一の「根源は光である」というヴィジョンはわかるが、第二の「転生を通じての学び」というヴィジョンには抵抗があって入っていけないという人もあるので、啓子センセイやこのマンガのようなものが存在するのは重要な意味がある。シュタイナーも「人智学のもっとも重要な意味は、現代人に転生ということを理解させることである」と言っている。
ところで、このマンガ、むかし「神澤美香」版で出ていたらしいが、その時のと同じなんでしょうか? なんだか、割愛された話があるかもな・・という気がする。
でもこのマンガのセンセイは、著書から受けるのとはちょっとエネルギーが違うような気もする。そのへんはやはり、創作物には違いないということなのか・・コトダマということか、やっぱり「越智啓子」というよりは「神澤美香」って感じがするのは面白い。
![]() | サイキック・ドクター越智啓子の不思議クリニック (1) 越智 啓子 森村 真琴 堆木 庸 朝日ソノラマ 2005-11 by G-Tools |
エネルギーも安定してきたので、そろそろ伝授を始めてもいいかなと思うが、報酬の設定というのは悩むところである。
スピリチュアルなことでお金を取ってはいけない、という考え方もあるが、一方、エネルギーそのものは天から来るものであっても、肉体をそこで媒介とする以上「肉体使用料」というべきものを適正な価格払うということには、双方に負担を残さないことにもなる。
私の知人がこんな文章を書いているが
http://www.bekkoame.ne.jp/ha/ruciel/money.html
いちおう、妥当な見解だと思うのでこういう問題を考える人には一読をすすめている。
ヒーリングは無料にやるに決まっている、金を取るやつはだめだという考えは、物質界に生きるということを少しアマク考えている可能性があると思う。無料でやりたければやればいいのであって、人のことをあれこれ言う必要があるのかどうか。
ただ、「適切な肉体使用料」というのはいいとしても、何をもって「適切」とするのかというのがまた、むずかしい。
つまりそれは、そのヒーラーより高度の霊的な理解力を持っていない限り、的確な判断はできないはずなのである。
スピリチュアルな仕事でなければ、講演一回が100万円以上なんて人はたくさんいるわけなので、これは要するに単に市場原理である。その値段で買いたければ買えばいい、それだけだという話だ。
無料でやることになったらどういう結果になるかということも現実的に考えつつ、もっともそのエネルギーがピュアに保てるシステムはどのようなものか、という原則で考えていくのがもっとも妥当だと思う。いくら、という問題はいちばん重要なことではない。レベルを保つにはどうしたらいいかという問題なのだ。それが最優先されるべきなのである。そのためのコスト計算である。それが100万円必要ならそれが妥当なのである。金額の問題ではない。安ければいいというのも物質主義だ。金額の高低だけを基準にする考え方がおかしい。
ただ現実には「これはいくらなら売れるか」という市場原理的な発想をする団体などがあることも事実ではある。
とりあえず私自身の結論だと、本業以外としてやろうという場合は、その本業での時給と拘束時間、それによる肉体の消耗度などから算出するのが妥当ではないかと思われる。こうしてみると私の場合は「相場」の半分以下になることはたしかである。ただしこれは私の考えであって、みなそうすべきだということを言っているのではない。適正な価格を考えることも修行の一つであり、自分で決めることだ。
つづいてヨガのDVD。『LOHASスタイル ダイエットヨガ』なんだけど、正確には私が買ったのはその英語版である Yoga Conditioning for Weight Loss で、こっちは日本語が入ってないだけで値段がずっと安いのでそっちに走ったわけだが、一般的には日本語版でしょうね。さてダイエットとなっていて減量に効くというふれこみになっているが、もちろんヨガであるから速攻で効くわけではない。このDVD自体も、食事の見直しを含め生活習慣全体の改善から徐々に減量していくものだ、と言っている。
このDVDは定評あるガイアム社(旧リビング・アーツ社)の作品である。英語版でもリージョン指定はないので問題ない。アマゾンではリージョンが1だから見られないなどと書いてあるかもしれないが、それはウソで、あれは米国のDVDに全部一律で書いてあるだけ。
やってみたが、同じ会社の『AM PM Yoga』と同じような感じで、かなりソフトである。ただプログラムは40分くらいなので、少し長い。そしてこちらは、四人のインストラクターがいて、それぞれ体が硬い人向けのバリエーションを3レベルにわたって同時に見せてくれる。つまり合計4レベル。これはアングルボタンでも切り替えられるし、メニューから一つを選ぶことも可能。
つまりこのガイアム社のDVDは、「マジでほんとに太っている人」ができるように、という配慮で作られているヨガプログラムなのである。ご承知の通り、アメリカ人というのはほんとに減量しないと危険なくらい太っている人がものすごくたくさんいるわけである。そういう人でも危険なくできる、というコンセプトなのだ。そういう人こそヨガの恩恵が大きいし、始めれば減量もするわけである。
ところが日本でヨガをする人というと、あなたどこが太っているんですか? というような、すでにスタイルがそんなに悪くない女性がほとんどなのだ。少し体重が多いといってもたいしたものではない。そういう人はたぶん、このDVDではもの足りず、もっと激しい要素を含むワークアウト的なものを好むだろう。なので、日本人が作ったヨガDVDというのは、綿本さんのを含め、だいたいが少し「きつめ」である。そのくらいにしないと、顧客満足度が上がらないらしい(綿本さんの『シンプルヨーガレッスン』なんかも、たいへんよいプログラムなんだけど「きつさ」はガイアム社版をかなり上回る)。たぶん、いまも太っているというほどではないがさらなるシェイプアップをねらう、なんて人は、ガイアム社のこのプログラムは向いてなくて、むしろパワーヨガとか、あるいはピラティスをやるほうが減量効果は高いはずだ。特にピラティスは、まじめにやれば相当効く。これは私、体験から申し上げられます。2週間ピラティスをつづけて3キロやせたことがある。
そんなわけで、このDVDをおすすめするのは
私はどれに該当するのか??・・いちおう2番かな・・??
![]() | LOHASスタイル ダイエットヨガ ヨガ ポニーキャニオン 2005-06-15 by G-Tools |
なお、体がマジに硬い人、ヨガがまったく初めての人には、もっとやさしいバージョンもガイアム社から出ている。
こっちは見てないけど、ガイアム社だから大丈夫でしょう。
![]() | LOHASスタイル はじめてのヨガ ヨガ ポニーキャニオン 2005-06-15 by G-Tools |
タンマヤ・ホナヴォクトの新刊、『感情を癒すレイキ』は、かなりよい。ここでは単に、ネガティブな感情に対する対症療法で終わっていない。深い意味で「自分を愛する」という方向に持って行こうとするものがあり、その点かなりスピリチュアルな要素がある。その他、すぐに使えるテクニックなどもいろいろのっており、とにかくスピリチュアルであり同時にたいへん実用的な本。
初級編の『レイキを活かす』につづいてかなりおすすめとなる。もちろん、すでにアチューンメントを受けた人向き。こういう本がどんどん出るほどレイキもメジャーになってきたということか。
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最近のことといえば・・
太極拳「総合コーチ」の資格取得!
ってのがある。教えられる種目は、簡化24式、48式、32式剣の三種目である。それはまあいいとして、次に、
ついに「レイキティーチャー」を取得!
ってのもある。まだ早いとは思っていたが、割引価格だったのでこの機会ということで取ってしまった。
アチューンメントの実地練習もしたが、なかなかおもしろい経験。
というのはやっぱり「聖なる次元」とつながって儀式を行っている、という強い感覚があるからで、そこに聖なる時空が開かれるということが経験できる。
過去の多くの宗教儀式というのも本質はそういうものだったのだ・・いまそれが宗教という枠を外して体験できるようになっている・・ということかも。
アチューンメントも、せっかく習ったものなので使うつもりである。具体的には、少し慣れてきたら、週一日か二日のペースで、アチューンメントを提供していこうと思っている。HPなども作ったりして。
ただ私の習ったティーチャーは、「伝授だけでなくヒーリングも平行してやっていったほうがいい」と言う。そのほうがヒーラーとしてバランスがとれるという。
たしかに、アロマやオーラソーマなんかのサロンに、伝授だけがメニューとして入っているなんていう例は多いが、ヒーリングをメインメニューとしているところは伝授をやるところ全体の3割くらいらしい。
ヒーリングも本格的に行うとなると、多くのところでは、臼井式レイキだけではなく「カルナレイキ」を併用している。実際、臼井式レイキだけでは対応できないこともできるようになるそうである。カルナをやると臼井式も強くなるので、ヒーリングを本格的にやりたい人はカルナまで進んだほうがいいらしい。
また、セラピューティックタッチやクォンタムタッチなどとの併用も効果的ではなかろうか。そのあたりも研究してみたいところだ。
しかし、病気の人がいろいろやって来るというのも正直言ってかなりたいへんそうなんで、考えるところではありますね。あまり安易に考えないほうがいいということはまちがいない。
ヒーリングについては遠隔という形もあるので、こちらの「美しさの中を歩め」でも、遠隔ヒーリングのモニター募集なんてことをやるかもしれない。乞うご期待!
先日、レイキの老舗であるヒューマン&トラスト研究所(川崎市)の方々とお会いする機会があったが、話によるとこのブログを見てレイキの受講に来た人が数人いるとか・・
単にヒーリングだけではなく、スピリチュアルな質的向上の道としてレイキをとらえる考え方に共鳴する人もいるようだ。それは土居裕『癒しの現代霊気法』にもはっきり打ち出されている視点である。もちろん、「ヒーリングだけではなく」というより、ヒーリングそのものがスピリチュアルであるということだ。というのもヒーリングというのはつきつめれば、根源にある光=愛のエネルギーを媒介することだからだ。それは優れたスピリチュアル・ヒーラーの人々が口をそろえて言っていることである。実際、深い次元でヒーリングを体験すると、そこにある巨大な光=愛の空間が開かれていることに気づくものである。
私は、スピリチュアルといっても根本はシンプルだと思うので、それは結局、その光=愛につながるかどうか、どういうつながりかたをするか、ということに集約されるのではないか。あとはすべてそのための方法論の問題でしかない。だからエネルギーヒーリングというのは、それが本物のエネルギーである限り必ずスピリチュアルであるし、そのエネルギーを媒介できるようになることが霊的向上につながるのはしごく当然のことだと思う。
結局、宇宙というのはエネルギー的な存在である。存在するものは「もの」ではなくエネルギーである。だから何がどうあるか、ということは、どういうエネルギーであるか、ということと同じである。したがって、その存在のしかたによるエネルギーには質的な差があることになる。だから、宇宙において、よりコアの近くにある「高次元」の世界領域は、人間が住む世界領域とは異なるエネルギーを持っているわけで、そのような高次元のエネルギーと人間的エネルギーの世界とがいかに媒介されるのか、という話は、実はヒーリングでもあり同時に広義の宗教の問題でもある。そういう媒介についての基礎知識は、バーバラ・ブレナンの本などに書いてある(このブログを読むほどの人はほとんど読んでるかも)。
そのようにより高次元のエネルギーを実際に「体感」しうるようになること、これが重要なことだ。体感できなければ単なる頭の知識にとどまる。つまりある種の「感受能力」を発達させること、というのが霊的発達でもある、と言えるかもしれない。そのためには浄化が不可欠である。これは、いろいろなヒーラーやサイキックたちが、そういう能力の発達にとっていかに自己浄化が大事なのか、強調しているとおりである。
霊的な力を持ったマスターならば、こうした「感受能力」を開かせることができる。それが伝統的な密教では「灌頂」と言われている儀式である。もちろんこれは弟子の浄化が進み準備が整ったのを見きわめて行うことである。マスターというものは他の人に「力をつけてあげる」ことができるわけで、そういうエネルギーを受けると、受けた人の霊的知覚力が開いてくるのである。(正直言うとこういうふうに説明するのは「初心者向きモード」である。ある程度この道でやっている人ならだれでも知っていることなのだ。学者の書いたものを読んでも書いてはいないが) このマスターというのは肉体を持っている存在でなくてもいい。「人」でなくてもいいわけで、高次元存在、つまり神仏のようなエネルギーでもよい。そういう高次元存在からエネルギーが伝達される、ということが密教の中には含まれている。こんなことは普通の学者の本はもちろんウィルバーを見たって書いてはいないが、それが事実である。キリスト教の聖書によれば、イエスの受難後しばらくして、弟子たちに聖霊が下りてきて、弟子たちは霊的能力を持つようになったと言われている。これはまったく事実そのものだと思う。イエスとして現れた高次元存在がその本来の領域に帰って、その次元から弟子たちにエネルギーを送ったということである。このようなことは宗教、霊性の世界ではあたりまえであり、真言密教行者に対してはいまも弘法大師がエネルギーを送り続けているはずである。役行者だっていまも大活躍中である。(ちなみにペンテコステ派という新しいキリスト教では、そのように聖霊を受けることは誰にでも可能だと考え、実際にそういう聖霊体験を重視している)。
つまり、こうした密教的なコンセプトを理解するためには、現代社会の世界観には存在しない、次のようなコンセプトが前提として理解されねばならない。
1.存在とはすべてエネルギー的現象である。
2.存在世界はエネルギーの質に応じて多次元に展開されており、それぞれの次元において存在者がある。
3.異なる次元間においてもエネルギー的な交流がありうる。
4.人間の世界領域とより高次の世界領域(場合においては「低次」もありうるのだが)にはエネルギー的な回路が作られている。
5.その回路はしばしば、ある言葉(真言・マントラ)、象徴、所作のパターン(儀式)などによって活性化するように設計されている。
6.そのような回路を管理する高次元存在がある。
これは密教やヒーリングだけの話ではなく、およそ本物の宗教現象には必ずある要素ではないかと思う。こういう話は、禅とかヴィパッサナなどにくらべるととても「宗教っぽい」もので、抵抗感のある人も多いと思うが、ここまで見ていかないと、本当にスピリチュアルなことがらはわからないのである。いつまでたってもそこに踏み込めない学者などに業を煮やして、あえてここで書いてしまう次第である。なかなか知識人になるほど入っていけない世界ではある(私がなぜウィルバーには物足りないのか、ここまで言えばおわかりでしょう。ウィルバーは合理的だし、「知識人受け」がよい。だが、知識人が too much! と叫ぶようなことにこそ、むしろスピリチュアルの中核があるのだが・・)。
たとえば真言密教などは上の要素をすべてふくんでいるもので、6の管理者とは、大日如来をはじめ弘法大師までグループであるだろう。
何のためにそうした回路ができているのか、と言えば、それはやはり人間がじょじょに光=愛の領域に近づいていくことが「宇宙的な基本計画」としてあるからだ、ということになるだろう。こういう「宇宙計画」のことは、実はあまり東洋的霊性には出てきていなくて、その点では西洋的霊性に学ぶものがある、というのが私の考えだ。そういう宇宙計画について語るというのがキリスト教のよい部分である。それをシュタイナーにならって「キリスト衝動」と呼ぶこともできるかもしれない。(ま、これが今さら「ぶっ飛び」と言うほどのことはない。こういうことはすでに本にはっきり書いてしまっているわけで・・ ともかく私としてはそれがオカルトではないことを言っておく。これは人類の霊的思想の伝統として存在することの一つである)
さて、レイキをはじめとして、最近やたらに増えてきたエネルギーワークというのは、こうした密教的な原理を、宗教・宗派という枠を完全にはずしたところで成立させようというものだ、ということになる。スピリチュアルが宗派という枠内で成立するという時代は終わったのであるから、それは当然のプロセスだった。そういう大きな流れの中で、臼井レイキというものが一つの重要な役割を果たすことになった、というのが私の理解である。それも大きくいえば「宇宙計画」の一部としてあったに違いない。
レイキについては、それがあまりに自由な広まりかたをしており、密教の場合のような、修行者に求められる「前行」をパスしてどんどん伝授がされている、という問題がある。そういうシステムになったことも意図があるのであろうが、現状を見ると結局「自分が受け取れる分しか受け取れない」ということになっているのかもしれない。
私の周囲でも、レイキを伝授されたことがある、でもよくわからないとか、ほとんど使っていないという人がものすごく多いのである。なかにはシンボルさえ全部忘れている人もある。
形だけ伝授されても、まだその時期になっていない場合にはそのエネルギー自体への知覚力が開発されないのであろうか?
そういう要素もあろうが、そのほかに、伝授を受けるティーチャー、スクールに問題がある場合や、あるいは伝授後のフォローや自己ワークが十分にされていない、という問題などが見受けられる。
安いところには安いなりの理由があるので、ほとんどレイキを使わずシンボルさえ忘れてしまうようでは、「安物買いの銭失い」そのものである。それなりに力のあるよいティーチャーやスクールを選べば、エネルギーはわかるようになるし、わかるようになれば続けていけるものである。
だから、レイキを受けたけどさっぱり、という人は、もう一度よいスクールを選んで再受講をすることを検討してもよいのではないだろうか。その際に予算とかにこだわるとろくなことはない。質だけを見て選ぶことだ。
スクールについてだが、一日でサードまでやってしまうとか、そういうところはまず、やめた方がいい。そういうやり方はあまりいいことがない。好転反応が出すぎて入院したりすることもあるし、エネルギーがよくわかるようになるかは疑問なので、各ディグリーの間は必ずある程度あけて受けた方がいい。ファーストとセカンドを続けてやることもあるが、これもできればあけた方がいい。
(例の、シンボルをHPで公開してしまっているあるスクールは、一日でティーチャーまでやってしまうそうだ。私は人の選択に干渉したくはないが、ここだけはやめた方がいい。不穏なエネルギーが漂っていて、危険さえ感じるのであえて書いておく)
それから、そこではヒーリング(施療)をやっているか、もポイントだ。施療をやらず伝授だけメニューにしているところよりは、日常的に施療もやっているところの方が絶対にいいのである。そして、伝授を受ける前にまずヒーリングを受けるという体験をすることである。ヒーリングである程度浄化反応を出してしまってから伝授に進むのがベストかもしれない。
それから、伝授後のアフターフォロー体制もポイントだ。そこで交流会とか勉強会などが定期的に行われているかどうか。後で気軽に質問できるかどうかということ。だから、なるべく自分に近いところの方がよい。なお遠隔アチューンメントというのも技術的には可能なことだが、よほどエネルギーワークに慣れている人でなければ、避けた方が無難である。
そして最後だが、根本的問題として、そのヒーラー自身の霊性というか、ヒーリングに取り組む根本姿勢である。これはけっきょくHPなどを見て、エネルギー的に共鳴できるかどうかで読み取っていくしかないだろう。いいと思ったけどハズした、という場合は、けっきょく自分のエネルギーがそういうレベルだったからそうなったので仕方がない。それも学びのプロセスなので決して失敗ではないと考える(いまでさえ、オウム<アレフ>に入会する人がいるというのだから、エネルギー共鳴というのは実に強烈なものである)。
ちゃんと学べば、4つのシンボルのエネルギーの違いなども明確にわかるようになる。さらに発展系のカルナレイキには8つのシンボルがあるが、それも全部違いがわかる。
そこまで行くと、臼井マスターシンボル(第四シンボル)といわれるもののエネルギーがいかに高いものであるか、ということがわかってくる。端的に言ってそれは巨大な光である。こういうエネルギーを短時間で呼び出せるようになるというのは驚くべきことなので、昔では、長い修行の末に灌頂を受けた人々だけに許されていたことかもしれないなあ・・などと思ったりもするかもしれない。
しかし上に書いたような理由で、他のワークに比べてレイキは「宗教っぽい」というか、理解するにはある種の世界観的転換が要求されるという意味では、一般に受け入れられるのがむずかしい側面を持っている。もっとも、「オーラの泉」がこれだけはやっていて、レイキも大都市圏ではかなり伸びてきている。そこで、質の見きわめはさらに重要になってくる。レイキの他にもいろいろなエネルギーワークがある。それらも、何らかのエネルギーはたしかにあり、ないものをあると言っている詐欺ではない。ただそのエネルギーはどういうものか? の吟味が必要になってくるのである。
結局、なぜ私がレイキに着目しているかというと、それが世界的に広まっているということはもちろん、「密教型」のスピリチュアリティーという構造を持ちつつ、いままでの封印を解いたかのような大衆化、簡略化となっていることがとても興味深いのである。よく、地球の霊的進歩が加速されているという話が言われているが、本当にそういうことかもしれない。以前はごく限られた人しか持てなかった「高次元エネルギー感受能力」がこれほど簡便に発達されるようになるというのは驚きでしかない。なお、こういう高次元性はサードになってわかることなので、どうせならそこまで進むのがよいと思う。
少し前だが、ちょっと出かけてきて、エネルギーワーク的なヒーリングを人にやってみる機会があった。それから、その翌日にはまた別種のエネルギーワークを習う、というような日程だった。
ヒーリングというのも、なぜ効くのか、その理由はわかっているつもりだが、実際によく効いてみると不思議ではある。気功と違って、邪気を抜くとか、よい気を入れるとか、そういうことは特に意識しないのである。そのあたりは自動調整である。それがまた既成概念を超えるところで、だから気功をやっている人ほどこれには懐疑的になることもあるだろうと思う。しかしながら、もしかするとそういう自動調整型の方が未来的な形態なのかもしれない、という可能性は頭に入れておいてもいいはずだ。
ヒーリングをやっている間、またその後しばらく、不思議な感覚があった。それは、「自分がもう一人いるように思える」という感覚だった。そのもう一人というのは身体の中にいるものではなく、エネルギー的な形で、その広がりはずっと大きく、上空の方まで拡大している感じである。そこには人間レベルを超えた「愛」が含まれているようにも感じる。それが「魂」といわれているものかもしれないが、それはよくわからない。この感覚は初めてではなく、ずいぶん前から時々感じるものだが、実は私が「意識エネルギー場」というコンセプトについて書いているのはそういう背景があるわけである。それが「もう一人の自分」だというのは確たる証明があるわけではないが、どうしてもそのように思えてしまう、というようなものである。理論的にはそういうことを知っていても、実際に経験すると実に不思議なものなのである。
さてその翌日のワークでは、さらに自分をとりまくエネルギー場の感覚が強まったような感じである。その場(人によっては「オーラフィールド」などと呼ぶかもしれないが)がずっと拡大し、光を増したような感覚がある。そのエネルギー場と、究極的な「光」の領域とのつながりが太くなったという感じがする。だがこれについては、この場では詳細を書くことを差し控えたい。
最近何をしているかって? 春休みに読もうという本はたっぷりと仕入れてあるんだが、そのほうは二の次で、エネルギーワークに力を入れている。
やはり、どんな知も、最初に経験・感覚から出発するわけで、そこのところで何か決定的なものを持たないと、創造的なことなんてできません、というのがこのところの実感かも。というわけで自己ヒーリングのようなことをやっている。私には、「修行」というより「セルフヒーリング」という入り方の方がしっくりくる。伝統的な「修行」のスタイルは、得てして、かえってエゴが強くなりがちなところがあって、「修行している自分はこんなに偉いんだ」というような正反対の方向へ行ってしまう人がよくいる。それもまた「こっちの世界で偉くなってやろう」という我欲であるわけで。どうしても「行者」の世界というのはそういうのが多いんだ。そういう、自分のもっているある種の欠損感を埋め合わせるために「精神世界」を求めるのも、そのうちに否応なくそういう自分をわからさせられる時が来る。そういう自己浄化を拒否すると、最悪の場合サイキックな力だけはついて「黒魔術師」の道へ転落することさえある。いまの世でもホントにそういうことはあるんですよ。
「癒しなんて、何を生っちょろいことを言っておるかーー!!」なんて言う人もいるけど、そこでの一つのポイントは、そのように言っている人の「身体状況」はどのようなものであるかということ。どこかで体を硬くして、ブロックを作っていることはないか。早い話、その「ものの言い方」をちょっと聞けば、その人がどのくらい体がゆるんでいるか、どういうブロックを抱え込んでいるのか、見る人が見れば一発でわかってしまうものだ。言葉では何とでも言えるが、エネルギーレベルというのは隠してはおけないのである。言葉というのは辞書的意味よりも「言いよう」が重要だというのはそういうことだ。言葉の背後にある身体とそのエネルギーのありようが問題なのだ。
というわけで、修行ではなくてセルフヒーリング、その目安は「ゆるむ」ことだ、というような意識を持ってやれば、エゴを増幅する方向へは行かないだろう、という気がする。「荒行」の場合は、佐藤美知子師のように、エゴの増幅をすぐに叩きつぶしてくれる厳しい師匠が必須かもしれない。師匠なしでは絶対に邪道にそれる。だから「これは」という師と出会わない限りは荒行などやってはいけない、と思う。あくまで「修行」というのはそういう機縁のある少数者の道で、ほとんどの場合は、セルフヒーリング、「ワーク」という概念でとらえていく方が今日的ではないかと思うのである。
以上はべつに理屈のつもりではなく「つれづれなる思い」に過ぎない。というわけでエネルギーワークだが、BGMはフランク・ローレンツェンの「ハンズ」や「センタリング」。ややマニアックだろうか?
やっぱりいまの世の中、自分の身体やエネルギーレベルで何かをつかんでいるわけではなく、ただ概念をいろいろ組み合わせて一見面白そうなことを書いてるだけの本って、残念ながら多い。最近、そういう本を読むのが苦痛でかなわない。世間でいいと言われていても、いやなものはいやなので、これではなかなか学者なんて商売はできませんね。といってもそれほど悩んではいないのだが・・ま、いいようになるでしょう。そんな本を読むくらいならば、DVDでいい映画でも見てたほうが精神上好ましい。
神秘体験みたいなものも、そのためにエゴが増幅してしまって、「あの人、前の方がよっぽどいい人だったよなあ」というふうになることも経験としてある。ホントにこの道はトリッキーで、落とし穴がいっぱいだ。
大事なのはやはり「まかせる」ということかもしれない。宇宙にまかせる。
エネルギーワークの場合は、ヒーリング能力もついてくるが、その場合も「自分」で癒すのではなく、自分は媒体にすぎないのであり、宇宙が癒すのだということ。その点レイキなんかは、最初からぜんぶ「あっちにおまかせ」の世界だから、エゴ増幅のしようもない、というところが一つの長所だ。媒体は透明であればあるほどいいわけで、いかにエゴの介入を少なくするか、という発想になる。
それからもう一冊、鈴木秀子の『心の対話者』(文春新書)。
これは前著の『愛と癒しのコミュニオン』の続編で、「アクティブ・リスニング」について深く理解できる。読んだ日から実践できるプラクティカルな本であり、お薦めの一冊である。簡単そうに見えて実はなかなかむずかしいということがわかってくる。これを実践するためには自分自身の心がよく見えて、感情に巻き込まれないだけの強さが必要になってくる。しかし、ふだんの会話というものがいかに「ちゃんと聞けていない」ものであるかということもわかる。
これも大きな意味では「ヒーリング」の本だ。
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レイキのシンボル・マントラ公開ということなら、こないだ書いたDVDの人だけでなくて、英語ではほかにも本も出るし、また日本語の本でも今年ついに公開本が出てしまったことは知っている人もいるだろう。私はその本自体は見ていないが、その著者のやっているヒーリングセンターのHPをのぞいたら、ここにもしっかり載ってしまっている。さらにその本の表紙にはしっかり三つのシンボルが印刷してあったりする。
こういうことはセミナーを受けるまで全く知らないほうが幸福かもしれないので、うっかり目にしたくない人は検索などしないようにしたほうがいいだろう。
アメリカの人は波動自体は悪くなさそうと書いたが、この日本語のシンボル公開本の著者はどうなのか? 正直言うと私にはちょっと疑問を感じる部分があった。
たしかにレイキの本質である宇宙エネルギーが伝わっている部分もあるので、それに初めて接した人は感激したりもするのだろうけど、それとは異質なものも混在しているような感覚があった。このヒーリングセンターではクンダリニー覚醒などを特に売りにしているらしいが・・どうも今ひとつ波動に粗いものが感じられ、微妙繊細な感覚に欠けているのだった。正直に言えば少し自我的なエネルギーが混入している気がした。その人自体はある程度の霊的体験を経ていることは間違いないが、極端にいえば、多少、教祖的なエネルギーになってしまっている部分があった。
彼らはアチューンメントは必要不可欠ではないという。エネルギーの高い人にヒーリングしてもらえば、同等のエネルギーは入ってくるのだという。そのこと自体は間違いとは言えないが・・ しかしアチューンメントの形式自体にエネルギーが封印されていることも事実であり、だからこそ型をふめば誰でも伝授ができるようになるはずなので、その型の伝承を全部否定してしまうのは、レイキそのものの自己否定になるだろう。
著者たちはレイキに興味を持つ人をターゲットに、レイキではなく自分たちのクンダリニー覚醒セミナーなどのほうへ誘導しようとしているのだろう、という意図を感じる。そのセンターでは、レイキは初心者からティーチャーコースまでを一日でやってしまう。しかしレイキよりもほかの霊的、超能力開発的なプログラムのほうがメインであるらしかった。
というわけでレイキ初心者はこの本やセンターに近づくのは危険であると思う。HPも見ないほうがいいので、検索しないことをすすめる。
考えてみれば、エネルギー伝授を受け継いでいくというのはきわめて危ういことである。密教でもそうだが、そのエネルギーのソースと系統が重要になるのは当然のことだろう。
最近では、インドのある聖者をソースとするエネルギー伝授によって、意識の構造を変え、高次意識が達せられるというシステムもある。これはヒーリングというより、完全に宗教だろう。宗教が悪いというのではない。問題はそのエネルギーがよいものかどうかという一点なのだ。いわゆる「悟り」ということを、意識の転換によって高次意識とのコンタクトが可能になることだと定義すれば、それがエネルギー的な伝授によって可能になるという可能性を私は否定しない。そのようなことは実際に過去の宗教や秘密結社などであり得たことである。もちろんそういう準備のできた人が、「本物」のエネルギーを受け取る機会を得たわけだろうが。
こういうのを受ける人は、それが「セミナー」という名で呼ばれていても、実質的には宗教的な行為であり、一つの宗教を自己の責任で選び取っているのだ、という自覚を持つべきではないかと思う。つまり、あるエネルギーを高次のものとして受け入れ、自分の中に入れることを許容する、という選択は、そう安易になされるべきではないということである。
そういう意味で、ヒーリングという核心を保ち、宗派的な方向に流れずにエネルギーの純粋さをある程度保ち続けている臼井レイキの伝統は、きわめて貴重なものであるといえる。伝統の形式そのままでなくても、それは敬意を持って扱われねばならない。
いや驚いた・・アメリカでは、レイキのアチューンメントをDVDでやってしまおうというのが出ているんですね。米国アマゾンのレビューを読む限り、たしかにエネルギーは伝わっているようで、あれだけの数の絶賛のレビューが出ているのは、全部がサクラとは思えない。しかしそのレイキマスターは本も書いていて、そこには秘伝のはずのシンボルを公開しているばかりでなく、ティーチャーコースでのみ教えるはずのアチューンメントのやり方まで書いてしまっているらしい。もちろん一部では強い批判を浴びていることは想像に難くないが、本人は強い信念に燃えてやっているようである。
そのDVDは30ドル弱。たしかに普通のレイキセミナーに比べて格段に安い。
これについて英語のレイキ関係掲示板でも話題になっていて、賛否両論がある。一つの意見として、「たしかに実際にやってもらうのがいいには違いないが、近くにマスターがいなかったり、お金がない人もあるのだから、これはこれであってもいいんじゃないか」というのがあった。私の意見もそれに少し近いかもしれない。たしかにアフターフォローが心配なところではあるが、値段が違うのだからその差はしかたがない。ただそのマスターは、自分のwebサイトにコンタクト先を載せていて、メールを出せば72時間以内に返事を出すと言っている。その掲示板には、実際にサイキックアタックで困っているのをメールで相談したら、遠隔で助けてもらったという投稿もあった。本当だとすれば、たしかにかなり善意でやっている人に間違いはないだろう。対面でセミナーをやる人だって、出張でセミナーをやってあとはそれきりという人だっているのだから、対人ならば絶対にいいとも言い切れないのである。
そのDVDのジャケット写真はかなり強烈である。私が見るにたしかに相当強いエネルギーを持っている。ただそれがふつうの臼井レイキと同じエネルギーなのかということまではそれだけではわからない。しかし邪念のあるものではなさそうだ。
DVDというのは珍しいが、最近では遠隔アチューンメントはそれほど珍しいものではない。宇宙エネルギーが時空を超えるものである以上、それが技術的に可能なことであるのは当然である。ただ臼井レイキの伝統はあくまで対面伝授であるので、遠隔はふつうのスクールでは受講済みとはみなされない。資格とはならないわけだが、自分でヒーリングすればそれでいいという人には関係ないだろう。
土居裕氏の新著『レイキ・宇宙に満ちるエネルギー』でも遠隔アチューンメントのことがとりあげられており、そこでは、「臼井レイキの伝統は対面伝授であり、遠隔伝授はハンドヒーリング能力の伝授ではあり得ても、臼井レイキの伝授ではない」という伝統的立場をあくまで主張している。ただ、将来的に条件が整備されてくれば、遠隔アチューンメントがシステムとして成り立つかもしれないという可能性は認めている、といった書き方だ。
ただレイキにしても臼井師の時代とは相当な変動をしてきており、今後も変わってはいけないということもない。世の中の多くのものについて通信教育というものが存在するのだから、レイキにもそれがあっていけないということもない。問題はその質にあるだろう。土居氏が懸念するのも、現状のままで遠隔伝授がさかんになるとレイキ全体の質が低下するのではないか、ということにあるようだ。
だから最終的な判断は、やはりそのDVDを見て、実際のそのエネルギーを感じてみることなしには不可能であるだろう。そういう理由で、ここではそのマスターの名前やDVDのタイトルはあえて書かないことにした次第である。
なお付け加えて言えば、私はレイキのセミナー料金は決して高いとは思わない。それだけの価値はあるものである。ちなみに現在の相場はだいたい、これくらい↓
ファーストディグリー 2~3万
セカンドディグリー 3~4万
サードディグリー 5~9万
ティーチャーディグリー 10~15万
最近、エネルギーヒーリングへの関心が再燃。気功からレイキの方に関心が移ってきた。クォンタムタッチも気になるところだが・・・
望月さんの本。
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前半がマンガによるレイキ紹介になっていて、これはなかなかよくできている。後半は望月さんがレイキのよさを一生懸命訴える文章になっているわけだが、この文章の部分に関しては漫画版ではない『癒しの手』のほうがよいだろう。だからこの漫画版は、全くのレイキ初心者向け、またレイキをやっている人が、全く知らない人にどういうものか説明するためにはよい、という感じ。これで『癒しの手』が不要になるわけではない。実際、今でも多くのレイキマスターが『癒しの手』をベースとしてテキストを作っているのは周知の事実である。
![]() | 癒しの手―宇宙エネルギー「レイキ」活用法 望月 俊孝 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
私は本屋にあまり行かないから知らないが、去年はこの『癒しの手』がベストセラー入りしたそうだ。この前東京に行ったら、電車の窓にレイキスクールの広告は貼ってあったのにはびっくりした。東京ではレイキの認知度が相当に上がってきているらしい。
レイキスクールがむちゃくちゃ多くなってきて選ぶのに苦労するようになったが(といっても東京・関西圏くらいだろうが)、HPでいろいろ見た私の独断では、波動的によいのは、東京圏ではヒューマン&トラスト研究所(川崎)、関西ではY&Yヒーリングセンター(京都)だろう(ほかにはない、ということではない)。現代霊気、直傳靈気はまた少し違っているが注目できる。それから発展系レイキといわれているものの中では、カルナレイキ、セイキムレイキが知られている。ほかにもなんとかレイキというのがあるがこの二つ以外の発展系レイキは様子を見たほうが無難だろう。それから講習を受けるなら、講習だけをやるところではなく、施療も日常的にやっているところのほうがいいような気がする。
思えば、密教には伝統的に「灌頂」という神秘的伝授の儀式があったが、要するにはこれはアチューンメントのことで、ある次元のエネルギーが流れる回路を開くということである。きわめて少数の人にしか許されていなかったこの種のことを、封印を解いて誰でも受けられるようにしてしまったのがレイキの歴史的意義だろう。
土居裕の『癒しの現代霊気法』はレイキ関連本としては必読である。続いて近著の『レイキ・宇宙に満ちるエネルギー』も読んだが、これもよかった。臼井甕男のレイキについてはいろいろな神話が広まっているが、この二冊でレイキの歴史はかなり正確に記述されている。西洋レイキだけなくて日本に伝わっていた伝統霊気についての情報も多い。土居氏の言う現代霊気とは西洋レイキと伝統霊気の良い部分をミックスさせたものだという。
レイキはもしかすると、気功やセラピューティック・タッチよりもさらに「先」の人類意識を先取りしているのかもしれない。特徴的なのは気功のような努力がいらないということである。いや、もちろんレイキにしたって訓練していけばどんどん強くはなるのだが、初めからある段階までポーンと運ばれてしまい、ある程度できるというところからスタートできるということだろう。「エネルギーを出すなんてよっぽど努力しなきゃできないのが当たり前でしょ」と気功などの常識では考えるかもしれないが、そのように「それを獲得するにはものすごい努力をしなければいけないものだ」という意識そのものが障害になる時期が、人類史のどこかの時点で来るのではないかと思う。レイキはその段階の先取りなのかもしれないのだ。
土居裕の本は、レイキが単なる身体的不調のヒーリングというだけではなく、宇宙意識と常につながっている高次の生き方を教えるものとしてとらえている。つまりレイキとは「光を降ろす」ことでもある。
レイキはもちろん宗教ではない。しかし伝統的に宗教、特に密教で伝えられていることとかなり似ていることに気づく。たとえばシンボルやマントラによってある意識波動と共振するということ。これは密教で、手印や真言を使うことに相当する。密教の流れをくむ禅密気功では、手印や真言によって「光」とつながり、その光と自分とを一体化させていく瞑想を行うらしい。禅密気功は宗教ではないが、密教のエッセンスを非宗派的な形で取り出したものだろう。このように特定のシンボルやマントラによって高次意識を呼び出すのは伝統的に宗教で使われていた技法だが、そういうことが成立するに当たっては、宗教的な言い方になるがある高次元の存在の意志がそこにかかわり、そこから「降ろされたもの」として人類が受け取っている、という以外に考えようがないだろう。
禅密気功の上級功法の内容について次のページで知ることができるが、
http://www.geocities.jp/taguchiys/
これを見ると、土居氏の本に載っている、レイキの光エネルギーを用いた瞑想法とひじょうによく似ているという印象を受ける。しかし禅密気功では「光」を感じるまでに相当の訓練が必要のようだが、レイキではかなり短時間でそれが感じられるのではないか(特にサードディグリーでマスターシンボルを受けると、相当強烈な光がかなり自由に呼び出せるようになる)。ふつうの気功では、ある程度わかるまでに時間がかかってめげてしまうことがあるのだが、レイキは、ロープウェイで五合目以上の高さに連れて行ってくれて、そこから歩き出せばいいという感じだろう(世の中には、山に登るにもロープウェイがあるのにわざわざ乗らず、「全部歩いてこそやりがいがあるのだ」と言う人があるが、人の行く道はそれぞれなのでやむをえない)。「そんないいものをなぜみんながやらないのか」という疑問が浮かぶが、「そんな虫のいい話があるわけない」というのが現時点での常識であるので、「そんな話はうそくさい」ということになるのだろう。つまり、縁がなければ呼ばれないということなのかもしれない。
私も昔、不意に圧倒的な光を浴びたときには驚愕したものだが、今では、光はもう少し身近なものになり、いつでもそこに存在することが自覚できるような段階に、少しずつではあるが近づいている気がする。「光」とのコンタクトを「ブロードバンド化」することが重要であろう。
![]() | 癒しの現代霊気法―伝統技法と西洋式レイキの神髄 土居 裕 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
なおここで禅密気功を取り上げたのは、数ある気功法のうちでも、最も「高次元の意識波動と同調する」ことにフォーカスした気功法だからである。病気にも効くが、むしろ霊性開発向きの功法である。情報については次のHPと本を紹介しておく。
![]() | 気功生活のすすめ―禅密気功でストレスよ、さようなら 朱 剛 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
この本で基本的な考え方はわかるが、この本だけで功法ができるようにはなっていない。中級までの功法は紹介されているが、実際にやるには習いに行かなければならない。なお、私も「築基功」だけは習っている。
それから、実際に気功とレイキの両方を体験してみた人の体験談として次のが興味深い。レイキの「常識破り」がよくわかる文章である。
http://honesty-net.com/zikosyoukai.html
本棚にあった本を取り出して、読み返してみた。
栗田博士の頭と体をよくするSRS気功法―心身の健康を高める47の訓練法
栗田 昌裕 
栗田氏は速読法や能力開発で有名である。すごくいろいろなことを知っている。一種の天才である。
栗田氏の気功法はイメージ法を重視するのが特徴である。というより、イメージ法の応用として気功法もあるという感じだろう。この本にのっている訓練法をほとんど全部試してみた。結果は、「たしかに、かなりのパワーありますなー」という感覚だった。最後のほうでは宇宙レベルにイメージが拡大する。気を動かすについてのイメージの重要性というのを確認することができた。自分のレベルを上げるのも、自分を変えるのも、結局はイメージ力だ。自分をどれだけ無限のものと思い描けるか、ということが、その人間の限界を決定するのかもしれない。
ただ、初心者がこの本だけでこの訓練法をうまくできるかというとそれはまず無理。面白そうだが、どうもうまくできない → 教室で習ってみるか、という流れになりそう。本だけで出来る人はすでに中級以上である。しかし私からすると、これは初めてやったが、やるとなかなかいいな、というトレーニング法がいろいろあるので、役に立つ本であった。いま出ているのは『超気功法』というタイトルのようで、内容的にはだいたい同じようだが、章立てなどは違うので同じ本ではない。中級者以上の一つの参考としてはおすすめだ。
こんな本が送られてきた。
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石川さんは相模女子大学で臨床心理学を教えているが、日本では数少ない「トランスパーソナル心理療法」を手がけている人である。そういえば私の訳した『忘れられた真理』を送ったことがあったので、ありがたくも新著を頂戴してしまったが、見るとこれは大変良い本に仕上がっている。まず基本的に臨床心理学の流れがよくわかるようにできていて、その上でスピリチュアリティーを心理療法ではどう受け止めるのか、ということが書いてある。江原啓之とか前世療法のことまで出ているのだが、それがなかなか、危ういテーマをうまくバランスよくまとめている感じである。これは、今まで当然あるべきでありながらなかった、「スピリチュアル心理学入門」の好著が誕生したと言えよう。「スピリチュアルということを心理学ではどう受け止めているのか」ということの現時点での到達点を理解することができる。
石川さんはセラピストであるので、基本的に、クライアントの中から出現してくる霊性をどう受け止めるのかという視点であり、クライアントが自らの世界観を探求することをサポートする、という立場である。これに対して私は思想の立場であるので、むしろ自分の世界理解を尖鋭に押し出していく、という行き方である。そういう違いはあるが、この心理学からの霊性へのアプローチは貴重な貢献であろう。心理学はあまりに一つの世界観のみに特化せず、個々人の霊性探求における「サポート役」を担えばよいと思う。ムキになって、心理学で人間の心、霊性をすべて理解してやろう、などと気張るとろくなことはない。石川さんはその点、心理学の限界もわきまえているし、心理学に対する過剰な思い込みが入っていないことには好感がもてる。
ともあれ、臨床心理学と霊性というテーマにおいてはこれからの議論の出発点たり得るものではないだろうか? という感想である。臨床心理学は霊性の代わりとなるものではない。ただ霊性探求をする人の「味方」をすることはできる、ということであろう。
盛鶴延老師の『気功革命』だが、その良い点は秘伝(重要なコツ)を公開しているというだけではない。私が思うに、「気功が上達するというのはどういうことか」が実に明快にわかるということがそれ以上によいところではないだろうか。まず下丹田に気をためるところから始まり、最終的には精・気・神の神、つまりスピリチュアルといわれる領域まで深まっていく道筋というものが実によくわかるのである。つまり、「深さ」の点もまた並ならぬものがあるのだ。だから初級からかなりの上級までレファレンスとして役立つのである。
まず原理編、それからスワイショウ(日本語読みで「セイシュ」と言っているが)とタントウ、動功、自発動功、静功を基礎として述べ、それから樹林・自然環境気功や部位別の治療的功法(これはある姿勢を保つタントウ的なものが中心)もある。それと男女双修つまりセックスを気功にする方法が述べられているのも特徴だろう。こういう気功の本はあまりない(チア老師の翻訳版はあるが)。しかしこれも中国気功(少なくとも道教系)の重要な部分であろう。
というのも人間が「精」のエネルギーを浪費する最大の原因はセックスであるからだ。もしスピリチュアルな領域まで深まっていこうとすれば精のエネルギーを自分の中にためていかねばならない。だからこそインドのヨーガでは禁欲が基本となっているのだが、道教では在家の人がふつうの夫婦生活を続けながら修行を可能にする方法として房中術が発達した。下手にすれば精を浪費するものを逆に気功法に変えてしまおうというものだ。もっとも、インドにもそういうタントラというのがあるが、それはもう少し秘儀的なもので、ふつうの人が行うようなものではない。
伝統的な道教では少し男性中心主義的なところもあるのだが、それを現代風にアレンジしたものがアメリカなどではかなり出ている。チア老師のものもその一つであるが、ほかにもたくさんある。人がセックスで精を浪費せず、むしろそれを通して気のレベルを高めるようになればたぶんそれは平和な社会につながるであろう。そういう意味で盛老師が男女双修法を書いているのはたいへんよいことであろう。内容的にはほかのモダン・タントラ系の本に書いてあることとだいたい同じだが、この本にしか出てない(私に見る限り)こともいろいろある。
もっともそれをするには男女とも心身健康でなければならず、ストレスなどがあると相手にそれを転写してしまうという。つまり二人とも各自気功をやり、ある程度のレベルに達していないといけないわけだ。となるとセックスを気功に変えるというのも決して容易ではない。性というのは肉体だけではなく気レベルの交流であるので、相手の気が自分に入ってくることを受け入れるということでもあるわけだ。だから、よい条件のないところで無理にしようとしないということも大切だ。欲望に負けて無理をしてしまうと大変に気のレベルが下がるわけだ。
陰陽の気の交流というのは絶対にセックスが必要だというわけではなく、自分の中に陰陽の気はすでにあるので、それを自分の中で交流させることも出来るということで、「大周天」が紹介されている。だから大周天ができればセックスする必要はないと書かれている。
また面白いのは「神交不形交」だ。これは、実際には体を触れあわず、男性が女性の中に入っていくとイメージして(逆でもよい)気を一体化させるという方法である。私はあるものの本で読んだことがあるが、霊的世界においてセックスに当たるものはそういうものであるらしい。その合一の感覚は肉体的な合一よりもはるかに圧倒的であるといわれている。もしかするとそれは「愛」ということの本質に近いかもしれない。そこでは肉体的なセックスにまつわる禁忌とか独占とかいう要素はなるなるのかもしれない。「神交不形交」は、たとえば、配偶者以外の異性と「合一」を体験したいという場合なんかにも使えそうな気がする。気・神レベルの「合一」が肉体的な結合を通してしか得られないというのは、あくまでこの肉体世界の制約に過ぎないのかもしれない。肉体的な快感というのも「かの世界」における美と愛の「遠いこだま」ではなかろうかと思うことがよくある。肉体が大切なのは、肉体を最終的に離脱するためである、というのがこの物質界の逆説というものだ。
そういえばブックス・エソテリカで『性愛術の本』が出るという。どんなものだろうか。こういう話題を扱うについては、それを語る人の霊的レベルが重要になってくるような気がする。レベルが低い人が語ると、どうしても「話が落ちて」しまうのだ。世間には興味本位でしか見ない人が多いので、注意せねばならぬ。語る人の波動をよく見極めることが必要だ。高○○一郎みたいな本には絶対に手を出さないことだ。
と、思わず男女双修についてのコメントが長くなったが、ともあれ『気功革命』は大変なものである。
なんか最近、読書メモのページと化してきた。
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学研ブックスエソテリカの一冊で、このシリーズの基本的なフォーマットの通りに作られている。有名な武術家の列伝、各武術解説、最後には実践編、それにいろいろインタビューなども織り交ぜ・・という感じだが、私は「拳児」を読んだ後だったのでかなり楽しめた。というのはこのマンガの登場人物のモデル、実物や各拳法などがたくさん登場してくるからだ。台湾の劉老師とか写真を見るとマンガにそっくりだし・・ 蘇老師も実在の人物でしたか。まあこれも、「拳児」の原作者である松田氏が監修しているのだから当然と言えば当然か。巻頭の松田氏へのロングインタビューは、「拳児」の背景をうかがわせて興味深い。「武術には精神性はない。武術の道を行き着いたところに精神の世界がある」という意味のことを言っていたが、なかなか意味深長だ。ほかならぬ松田氏が「武術とは戦いのための技術に過ぎず、それ自体には精神性はない」と断言しているのは重い意味がありそうだ。
この本によると楊式太極拳の楊露禅も、実戦としては陳式太極拳を教えており、楊式は文人に教えるためのものだった、ということだが・・ 私は楊式をやっているが、これがどこまで実践的な拳法たりうるのか、正直言うとまだよくわからない。たしかに、内部の勁力を強めればそれなりのパワーは持ちうるであろうが、私がやっているものはあくまで「武術のマネをすることによって気の力を強める」という段階のものであろう。
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『気功法の本』の巻末に出ていた盛老師の気功法にかなりのパワーを感じたので買ってみたが、これは期待以上である。私もずいぶん気功関係の本をたくさん見てきているが、明らかに、気功法の本としては他を圧してダントツに優れたものである、と断言することをためらわない。そのくらいよかった。どこがいいのかといえば、ほかの本はだいたい気功の原則と、あとはやり方の説明が出ているくらいのものが多いのだが、この本では具体的なイメージの持ち方と、そこで出てくる「気感」をどう広げていくかということの説明が詳しいのである。こういうことはふつうは本には書かず、弟子にだけ教えてくれるものであるらしいが・・ 「秘伝を惜しげもなく公開している」というのは決してウソではない。というのも、上の『中国武術の本』にも出てきたが、実際に、秘伝といわれているものは何か特別に難しい秘法のようなものではなく、ちょっとしたイメージの持ち方のようなことを教えてくれるものであるらしいのである。それは言われてみればどうということもないものだが、しかし言われなければ決して気づかない種類のもので、それを意識してやると練功の質がぐーんとアップしていくというようなものであるようだ。例えばその『中国武術の本』では、「馬歩で立つときにある臓器の位置を意識する」ということが秘伝だったという話が載っている(何の臓器かは本で公開するはずがないが)。『気功革命』ではたしかにそういう感じのコツのような情報がいろいろと載っている。その価値はたぶん、多少気功をやってきた人のほうがよくわかるのかもしれない。ともあれここから気功に入門するのも理想的だし、またこれまで多少気功に親しんできているが、どうも今ひとつよくつかめないという人にも最適かなと思う。(気功師として優秀な人は盛老師のほかにもいろいろいると思う。ここでいうのは「気功法の本」としては最高レベルだということである)
さいきんまた気功づいている。そこで「四大気功入門」につづいて買ってみたのが、学研のブックス・エソテリカシリーズの一冊、『気功法の本』。それほど期待してなかったが、意外といい。特に、出口衆太郎による静功のセクションと、巻末にある盛鶴延による実践編がよかった。出口氏の実力についてはすでに知っているが、盛鶴延の実践編もかなりのもの。スワイショウのバリエーションによって、気の「瀉」と「補」を使い分けられるというようなことも初めて知った。文字を通してだけだが、相当いい「気」の持ち主のように感じた。静功と巻末の実践編だけでも買う価値アリ、だ。
「四大気功入門」からは、とりあえず坐式六字訣のやり方を自分のレパートリーに加えようと思う。もう少し立つだけのタントウ功をやるべきであろうが・・ 静功としては『気功法の本』にものっている「臥式静功」を時々やっていた(最近はあまりないが)。少し静功(つまり瞑想であるが)の比率を高めようと思う。
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このところ身体技法としてはもっぱら太極拳で、伝統楊式を一通り通すとかなり気を感じるようになったので、これを継続してやろうと思う。楊式についてはいろいろ中国のVCDやDVDでも研究しているが、細かい動作についてはけっこう師匠の系統による違いも多く、絶対はないというカンジ。まあ、あまりその辺は気にしなくていいのだろう。それよりも気感的なものを追求してみよう。
気功といえば、昔買ったきりしばらく見ていなかった、沈再文「気功外気練習法」というビデオを引っぱり出して見た。基礎・応用と二巻ある。今はもう発売していないと思うが・・ それを見ていると、見ているだけで気がどんどん入ってくる。やはり本物の気功師というのは、ビデオを通しても気が伝わってくるもののようだ。前に紹介した『クォンタム・タッチ』の本もそういう感じだったが・・ この「気の共鳴」というのはかなり大事なことかもしれない。しかし気功・ヨーガのビデオなどはけっこうたくさん見ているが、ここまで気がびんびんと響いてきたのは珍しい。沈再文老師は要マークかもしれない。この外気練習法も簡単なようだが奥が深そうである。私はこのところ太極拳をやっているせいか、かなり簡単に気が流せるようになるが・・
それと、『四大気功入門』というDVDつきの本を買った。これはあの『実践 伝統四大功法のすべて』のダイジェスト版であるらしい。津村喬の書き下ろし編集らしいが、これもかなりいいかもしれない。楊名時版八段錦や坐式六字訣なんかが入っていて、私にもいろいろ参考になる。ここには『実践四大功法のすべて』の詳しい紹介も出ているが、それを見るとそれも買いたくなってきた(7980円もするが)。私はこれは中国で編纂された「健身気功」バージョンかと思っていたがそうではなく、伝統バージョンが四つの功法についてそれぞれ複数のっているというのだ。津村喬書き下ろしによる気功概説編にもちょっと注目。
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やはり、「微細エネルギーパラダイム」がこれからの文明変革のキーワードになるだろうという感覚はもともとあったが、私もそろそろこれについての本格的な論述を試みてみたい、と思うようになった。このところ、哲学の方面からちょっとシフトして、また気・微細エネルギーパラダイムの研究に戻りつつある。らせんを描いたような感じもあるが。
前に書いたことがあるが、リチャード・ゴードンの『クォンタム・タッチ』という本。知り合いのブログを見たら、「これは波動がすごい」と書いてあった。わかっていただけましたか! そうなんです。これは一見すると「これって普通の気功みたいなもんじゃないの?」とも思えるが、ヒーリング本で大事なのは、その本自体が持っているエネルギーの質である、ということを見事に証明しているんである。エネルギーのことがわかる友人はみな「これはすごい」って言っている。この本にある中級以上のワークは簡単そうに見えてひじょうに高度である。でもこの本のエネルギー自体が強いから、それに助けられてある程度できる部分もある。私ももう一度この本にたちかえってマジメにやってみようかとも思った。まあ、こういうふうに、ある程度やった人々なら共有しうる感覚というものはあるのだ。
また最近、高岡英夫の体操を再開している。というのはくたびれているときなど、いちいちヨガマットを出してきて本格的なヨガなどをやる気にはならないので、もっと手軽にできる「ゆる体操」だけでもやっておくという道に走っているわけである。『図解トレーニング・身体意識を鍛える』に出ている「黄金の3点セット」など、やっているうちにいつしか寝てしまっていることもあった。で、今後また『高岡英夫のDVDでゆる体操』てのを買ってみた。いや、これはすごくいい。DVDもついてて1300円とはお買い得である。朝日出版社から出ている『ユル』という本も眺めてみたが、こっちのDVDつきのほうがはるかにいい。説明も、どういう身体意識に関連しているとか、骨や筋肉の動きとかも書いてあって、懇切丁寧である。『身体意識を鍛える』とか『歩き革命』に出ているエクササイズはけっこう高度なものもあるので、まずはじっくりとこの「ゆる」をやってから取り組んだ方がいいのかもしれない。私はほかの本では十分に「ゆる」のやり方をつかめなかったところがある。このDVDでは特に高岡氏が「フワー」とか「ドサー」とかいう音をどう発音しているのがわかったのが面白かった。こういう擬音をいわば「マントラ」として用い、ゆるみ効果を高めるというところがゆる体操の特徴の一つなので、発声法は参考になる。もちろんその通りにしなくてもいいのだが、一種の感覚としてである。
私がいまレパートリーとしているのは、ヨガ、ピラティス、太極拳、各種メディテーションなど多岐にわたるのだが、ゆる体操はもっとも基礎的なレベルのものと位置づけられる。たぶん、野口体操がやっているような世界にひじょうにわかりやすく入っていける方法だろうと思う。
平日がお休みになるというのはありがたし。しかし今日はお彼岸。しっかりとお経もあげねばなりません。
ところで、「心を癒すワイス博士の過去生退行瞑想」というCDがあるが、これって使った人いますかね? ワイス博士の本にのっている誘導瞑想を山川夫妻が録音した、というもので、さらに他の誘導瞑想のCDと二枚組。私はイメージ誘導瞑想は得意なので、やれば何か見えるだろうとは思う。ただそれが、本当に自分の過去生なのかどうかは、確かめようのないことだろう。それは最初からわかっているが、だいたい、セラピストにやってもらってもそれは同じだろうと思うし・・要は、そこに気づきと変容がもたらされるか、ということのわけだが。そういうセラピストというのも、たとえば「セラピー・オール・ガイド」なんて本を見るともうすごい数がのっているが・・これまた、自分のサニワ力が試されてしまうことになろう。この本も基本的にいいことしかのっていないので、サニワは不可欠である。
しかし、お金と時間さえあればいろいろスピリチュアルな能力をトレーニングする機会というのはあるわけだ。私も多少の才能はあると思うので(だれにでもあるのだが)、ブレナンのスクールとかに行けばたぶんできるようにはなると思う。日本にもそういうのはあるし・・ しかし就職する前は閑だったがまったくお金がなかった。それにヒーラーになってもそれだけで生活するのはなかなか大変だし、霊的な道を進む人特有の試練というものは避けられない。だいいち、「ノーマル」な社会からドロップアウトするという覚悟も必要となる・・というわけでいまの社会状況では女性のほうがいろいろと有利でしょうね。
身体感覚について少しやってきたが、このあたりで魂的なエネルギーへのワークも含めていくことを考えるようになった。そのためには、アイリーン・キャディの『愛の波動を高めよう』あたりがよさそう。キャディの本には、時々立ち返ってみるのだ。まったくタイトルの通りである。
このココログが「週刊ココログ・ガイド」に紹介されていたが、「実践的な記事では、内面からのからだづくりを指南」だって?・・なかなかうまい言い方をするなあ、と思った。たしかにそれが8月からのテーマですね。そういえばまたロドニー師匠のヨガビデオを注文してしまったが・・これはちと、研究費は申請しにくい・・それから「生活の木」へアクセスして、エッセンシャルオイルだのハーブティーだのをあれこれ注文しているとたちまち七千円くらいになってしまう。まあ、お金はどこに使うかの問題なので、夜、きれいなお姉さんのいる場所でお酒を少し飲むだけでどれくらいのお金が飛ぶものか考えれば・・ それも、しばしばそうたいしてきれいでもなかったりするのだから、そういうお金のかかる方法でしかストレスを解消できない人は気の毒というか・・ アルコールは意識水準が低下するが、意識がさらにクリアーになりつつ、かつ完全にリラックスして余計なことを忘れている状態というものがある。そこに自由に入れるようになれば、「酔うために飲む」必要はなくなる。飲むとしたら、それはあくまでお酒がおいしいからそれを味わうために飲むのである。つまり上野圭一が言う「ナチュラルハイ」の技術、っていうことか。それが大切だ。
ヨガのビデオ(DVD)っていえば、チバレイとかがモデルになってるのもあるらしい。アメリカにも、セレブが登場するそういうのがあるし・・こういう芸能人ヨガを悪く言う人もいるが、まあ、ちゃんとした人が監修になっていればいいんじゃない? やはり、見て美しいということは重要ですからね~ 「見られることのプロ」というのは、見るという行為を媒介にしてエネルギーを与えることに優れているわけだから・・ そういうエネルギー的に何が伝わるかってのは、ヒーリングビデオにとって大事な要素だと思う。見えない次元も重要。・・だからといって私がチバレイのDVDを買うわけではないので、誤解なきよう。男が見ると感じる点が異なるわけで・・まあ私がヨガに集中するには、色気ぬきということでロドニー師匠のでやってたほうがいいかもシレマセン。
ところで話は変わるが、最近はお香ではなくエッセンシャルオイルばかりで、どうもお香よりもそちらの方が波動がより繊細であるようにも感じる。お香は種類にもよるが、ちょっとパワーで押してくるようなところもある。インド系のお香はどうも甘すぎるように感じるし、また沈香などはちょっとスピリチュアルすぎて日常には使いにくいのである。オイルを適当にブレンドするのが結局らくなのだ。私もアロマテラピー検定2級のオイルくらいは香りをかげば当てられるくらいはできそうだ。いつのまにか持っている種類が増えてしまった。バッチのフラワーレメディーも結局コンプリートセットを買ってしまったが、やはりいちおう揃っているというのは気分がよいものなのである。このところは使っていないが、あると安心である。
ヨガといいアロマといい、やっているのは女性が大半だが、これはまあ、統計的に言えば、身体の微細な感覚を感じることにおいては男性よりも女性の方がまさっているので、やむを得ない。これは生得的なものか、あるいは文化的なジェンダー形成によるものか。「身体の微細な感覚などに鋭敏であるのは『男らしくない』」などという文化的価値が「マッチョ」の世界にはあるかもしれない。私はそういうふうに、微細な感覚を無視して、一方的に意志とか論理とかを押し通そうとすることを「マッチョ的」と呼ぶ。学校教育なども、微細な感覚を無視して記号的知性ばかりを教えようとする傾向が強いとき、マッチョ的な空間となる。たとえば教師がある文章の解釈を一つに決めてしまおうとしたら、それはもうマッチョの世界になる。数量的、客観的に語れないことを切り捨てるような学問もまたマッチョの世界である(言っていることが「論理的につじつまがあっていること」しか問題にされなかったりするが、むしろ、そう言っている人の人間としてのあり方とか、言い方のトーン、語るときのからだの姿勢などは同じくらい重要なのだ。実際に私たちがことばを受けとめるとき、そういうものを含んだトータルのものとして理解が生じるのだから。したがって少なくとも人文科学ではそうした「ことばのスタイル」がひじょうに大切になってくるはずだが・・)。そう考えると、今の社会で権力を握っているのはまだまだマッチョ的文化かもしれない。
最近のワークアウトBGMは、Merlin's Magic のCDをよく使う。レイキとかいう名前がついているが、べつにレイキポジションの変更を合図するチャイムとかは入っていない。ディープというよりはライトなヒーリングミュージックである。ライトというのは「軽い」と「光」の二つの意味で。レイキといえば私もサードディグリーまではやってる。サードで習うマスターシンボルというのはかなりすごいかもしれない、と思う。私もレイキ以外に何も習っているわけではないが、なぜかヒーリングができてしまうこともある。それはどうやるかというと、このレイキマスターシンボルを念じると、ものすごく目のくらむような光がイメージスクリーンに出現する。そこで、私の場合は、下丹田に瞬間的にぐっと力を入れると、エネルギーの通路がつながって流れ始めるのである。この、瞬間的にものすごく集中するというのがコツのいるところなので、言葉では説明できない。というか、私もどういうふうにしてそれができるのかというのを意識化していないし、またいつでもできるというわけでもないのだ。集中する時に、ヨーガのムーラバンドハなどを用いることもあるが、これは補助手段である。ヒーリングでなくてもちょっと光がほしい時にシンボルを念じたりもするので、なかなか便利である。その光とはいったい何なのか、ということを追求する気はあまり起きない。ただ、そういうものだというだけ。
話は変わるが、芳野香『アレクサンダー・テクニックの使い方――「リアリティを読み解く』ってのを読んだ。アレクサンダーってこれまで興味はあって、翻訳書を何冊か手に取ったもののいまひとつ何をやるものだかよくわからなかったが、これを読んでようやくその基本的なコンセプトがわかってきた。レッスン・ケースも多くのっているのでよくわかる。自分の関節の位置などを間違えて理解していて、そのために不必要な力が入っている人が多いというのにはびっくり。そういうのは自分ではなかなか気づかないものだ。他のアレクサンダーの本を見てもよくわからないので、この芳野香の本を読んだらあとは直接アレクサンダー教師を訪ねるのがいいかもしれない。しかし自分の体を正確に理解するという点では、コナブルの『音楽家ならだれでも知っておきたい「からだ」のこと――アレクサンダー・テクニークとボディ・マッピング』も役に立った。私もこれを読むまで、いくつかの関節や骨の接合のしかたをよく知らなかったということが判明した。これは好著として既に有名で、鴻上の本にもあげられている。つまりアレクサンダーってのは、野口もいっていた「体癖」の問題を意識化する技法、というふうにいえばいいのだろうか。ヨーガや気功のように、ある特定の動作を覚えるというようなものではなく、人によりさまざまなのだ。だからアレクサンダーは個人レッスンが基本形態である。私もそのうちにレッスンを受けてみようと思っている。
アレクサンダーは時々、トランスパーソナルの学会のワークショップなどに出てくることがあって、スピリチュアリティーと何か関係があるらしいということはみな気づいているが、それではどこがどのように関係しているのか、というのはあんまりはっきり言われていない。ただ、グレン・パークの『アレクサンダー・テクニークによる変容の術』というのは、チャクラとかオーラ、霊的防御の話まで出てきて、なかなかコアである。だが、この本はけっこうむずかしい。アレクサンダーそのものをよく理解してないとわからないようなので、私も今度あらためて読み直してみようと思う。
さてパワーヨーガってのはどういうものか、綿本彰のDVDをのぞいてみましたよ。見ると、思ったほどハードではない。ポーズもすでに昔からあるものの組み合わせである。つまり、太陽礼拝のポーズ(説明略)がベースになって、ああいう感じのポーズの連続技にわりと難度のあるポーズを織り交ぜて、一連のシークェンスとしてワークアウトを構成する、という感じなんですね。これは欧米にはかなり前からあるスタイルで、アシュタンガ・ヨーガなどもそういうもののようである。実はこの前本棚を整理していたら、英語版のアシュタンガ・ヨーガのビデオが出てきた。まだ開けていない(笑)。どうも私の性格として、興味を持つとあれこれたくさん買いまくって、全部見終わらないうちに興味が移っていく、ということもあるみたい。たぶん5,6年前だろう(見損なっていたのは、表紙のモデルが男だったから? 美人のお姉さんなら見たかもしれない・・)。ともあれ、綿本サンのDVDもわるくはない。わりと初心者向きにつくってあると思う。アメリカで出ているのとくらべると高いが、アマゾンで値引きしていたので、まあいいかという感じだった。モデルのお姉さん美人だし。
しかしこの綿本センセイって、あの綿本昇の息子? ファッションとか髪型、話し方もなんかカリスマ美容師みたいに決めて登場していたけど。たしかにヨーガ教師として成功するには、ヨーガの技量はもちろんだがこういうところがけっこうポイントになるかもね。オシャレな雰囲気をかもし出さないと。沖ヨガみたいな泥臭いものはだめなんでしょうねえ。パワーヨーガとかピラティスとかはハリウッドなどのセレブたちの間ではやっているというふれこみである。メグ・ライアンとかグウィネス・パルトロウとか(ちなみに私はグウィネスはけっこう好き)。私は、「ヨガとは修行だろう!」などという野暮なことは申しません。
ともあれ、ここで、研究室にもヨガマットの導入を決定! 何色にしようか、などと考えておりますが・・ ところで、ヨガグッズオンラインショップの社長も「綿本」って名前だったぞ・・
健身気功の八段錦・六字訣のテキストが来た。見ると、八段錦は楊名時、津村喬のとそんなに違っていない。ただこのテキストは、翻訳に一部わからないところがある。六段のところの「足面」とはどんな日本語だ? 中国語の辞書を持ち出して調べてみると、これは「脚面」の直訳?であるらしく、「足の甲」の意味であるらしい。でも中国語を全然知らない人は困るよね? 中国語では「腿」は足の付け根から足首まで、「足」または「脚」が足首より指までの部分を意味する。でもこの訳者は「腿」が日本語と中国語で意味が違うことをあまり意識していないようだぞ・・そんな人が訳したりしていいのか? というソボクな疑問はベースボール・マガジン社へ言いたいところである。「小腿」なんて言葉も出てくるが、これも広辞苑にはない。これは「膝から足首までの部分」のこと。「大腿」は日本語にあっても「小腿」はないのぢゃ。こういう訳者の語学力に不安を抱かせる要素はあるが、その他はまあなんとか理解できる。もっとも私が既に八段錦を知っているからかもしれないが・・ それはともかく、八段錦はすぐれた功法である。最近分かったことだが、そのコツは「ストレッチの意識」にあるのだ。気功は何となくフンワカ動くようなイメージがあるが、しっかりとストレッチする意識をもってやるとすごく効く。つまりある意味でヨーガのようにやるのだ。実は太極拳もそういうふうにしてやるべきであるのだ。これは李正先生のVCDから学んだことである。
それから六字訣だが、これが健身気功シリーズの中で一番むずかしいだろう。まず中国語の音を正確に発声しなくてはいけないので、これは中国語を習ったことのない人にはまず無理と思う。それと動きもそれほど大きくなく、ストレッチ的な要素も少なくて、だいたいはもっと内的な感覚に集中する功法なので、かなり気の感覚がわかってきた人でないと、何をやっているんだかよくわからないと思う。矢山利彦は「六字訣をやってみたが、どうも中国語の音でははっきりと気感がつかめなかった」と『気の人間学』に書いているが、それもたぶん発声が正確でなかったせいではないだろうか。ともあれ六字訣は即効性があると言われているが、日本人は八段錦・易筋経から入った方がいい。このうちでは八段錦の方が動作がやさしい。ちなみにチアの六字訣は、中国語ではなくてその近似の音で、アメリカ人に発音しやすいものにしていた。
実は五禽戯というのはまだ私もよく知らない。矢山利彦の基本功は五禽戯から取ったものがあると思われるが。五禽戯のテキストは今月に出るので楽しみである。しかし1300円×4冊を買うのなら、あの四つの健身気功を集めたDVDがマーケットプレイスで5000円くらいで出ていたのを買えばよかったかな、と思う。あれは、このページを見た読者がすぐに買ってしまったらしくもう出ていない。
しかし気功はいま、あまりはやっていない。気のブームというのは80年代くらいだったろうか。いまはヨーガがずいぶんさかんになっているようで、オウム直後の壊滅状態はどこへやら、書店へ行くときれいな女性向きヨーガ本がたくさん平積みになっている。たしかに気功よりもヨーガの方がダイエットや体型改善には効きそうなイメージである。なんとなく、気功は中高年の病気療養向き、ヨーガは女性の美容向き、といったイメージができつつあるような気がするが・・ しかし体のこわばった中高年男性こそヨーガをすべきだと思う。なお、ここでいうのはもちろんハタ・ヨーガの話であって、霊的修行としてのヨーガのことではない。私ももう少し中性脂肪を燃焼させないと生活習慣病のおそれがあるのだ。一時は体力が落ちていたが、太極拳を再開してからかなり回復したので、ここでもう少し負荷のあるワークアウトに興味が出てきた。パワーヨーガというのも面白いのではないかと思う。
女性向きヨーガ本といったが、実は女性向きではないヨーガ本などほとんどない・・「精神世界系ヨーガ」は別として。自分の体のあり方を改善する必要がある、と気づけばそれだけでも大したものであるので、多くの男性はそのことにも気づかないのかもしれない。
もう少し精神世界的なヨーガを求めたい人は、内藤景代の『ヨガと冥想』なんかがいいかもしれない。ここでのっている瞑想法もやっていけばかなりのところまではいくような気がする。もっと本格的なクンダリニー・ヨーガというものについては、一般にはおすすめしないことにしているので、私は紹介しない。やりたい人は自分で探せばよいのだ(簡単に見つかるが)。これは、基本的には出家者向きに作られた行法であって、仕事をしながらやっていくには無理があると思う。
数人の事例を見てわかってきたことについて書いてみよう。ゴーピ・クリシュナが書いているような、「間違ってクンダリニーが上がってしまう危険」も確かにあるが、それはめったにあることではない。まず、本格的にクンダリニーが上がるということはそう簡単に起こることではない。それより前に、一種の気の次元の力が上昇して、頭につまるということはかなりある。これはクリシュナの例とは違ってもっと軽いものだが、これは頭頂の百会から気を出し入れできたり、意念で気を降ろしたりできるようになっていれば自分で対処できる。それよりももっと、修行者のつまづきとなるのは、修行を本格的に開始するとカルマが動くことである。つまり、自分ないし家族などに、ふつうの価値観でいえばあまりよくないことが次々と起こってくるということだ。仕事を辞めざるを得なくなったりすることも多い。あるいは肉体がぼろぼろになったりもする。唯識によればカルマの種子は阿頼耶識に保存されている。そのカルマを解くということが肉体に転生する目的だとされるわけだが、修行をするとそのカルマが解けてくるスピードが劇的に加速するのである。このため、ふつうなら何生かかけて解くような巨大なカルマが数年で出てきたり、というようなことがあるわけだ。神仏への信仰が必要になるのはこういう時である。これは心理学的に言えばスピリチュアル・エマージェンシーである。こうなるとふつうの社会生活が困難になってくる。昔の道場、アシュラムというのは、師匠の霊的なプロテクションということはもちろんだが、安全な場所でこの危険な時期を通過させるための避難所という意味も持っていたわけである。非常に波動に敏感になるので、清浄な場所にいないと苦しくなる。大都会の真ん中で仕事をしていくなど不可能になるのである。
昔の中国では「小隠は山に隠れ、大隠は市に隠れる」というような言葉がある。偉大な隠者は街中に住むが、それほどでもないのが山の中にこもっているのだ、ということだが、これは裏を返せば、「大隠でない限り市には住めない」ということでもある。誰でも一足飛びに大隠にはなれないのであって、その過程においては、清浄な場所に隔離されて住む必要がある、ということだ。だから、インドの僧院も、禅の道場もそういう目的で立てられている。組織に属さずに個人でやりたい、というのはよくわかるが、その場合はどのように「清浄な場所」を確保するのか、それが課題となるであろう。しばらく仕事をせず、山の中の別荘にこもっていられるほどのお金持ちでなくてはできない、ということなのか? じっさい、今の普通の日本人が本格的なヨーガ修行をするのはそのくらいの条件的な厳しさがある。・・しかしまあ、私がこのように脅かしたからといって「それじゃやめようかな」と思うようでは、最初からあまり見込みがないことは間違いなかろう。まあ、こういった避難所や避難期間(仕事をしないで霊的問題に集中できる期間)を確保するような社会環境を作らねばならない、というのがグロフの「スピリチュアル・エマージェンシー」の提言の意図でもある。この問題の認知が遅々として進んでいないのはご承知の通りだ。現状では、そういう場所は宗教団体の中にしか存在しないことが多い。そういう枠組みを超えてノウハウを共有し、社会の共有財産としていくのは、トランスパーソナルとか霊性学の重要な課題でもあるだろう。実のところ、私も本格的なヨーガ修行の厳しさを思い知らされる事例を見聞して、今のところヨーガは内藤景代さんレベルでとどめているのが現状である。
そこで思い出したが、このテーマに関心ある人はこれを読むべし。
『魂の危機を超えて』ってのもあるけどアマゾンでは在庫切れだなあ。他では入手できるかもしれないが。
最近、温泉に関する記述が少ない。正直なところ、日向市のレジオネラ菌死亡事件の衝撃は大きかった。そこへもってきて今月の、白骨温泉入浴剤投入事件と、伊香保温泉などの「水道水わかし温泉」発覚である。このところこういう事件でのコメンテーターによく松田忠徳氏が登場するが、その著書を見ると、実際にはいかに「偽物の温泉」が多いかわかるだろう。自治体が作った日帰り温泉は地方では雨後のタケノコのように多くあるのだが、その大半は塩素殺菌・循環式である。それでも大都市住民にはないよりましかもしれぬが・・さらに、民間業者の「スーパー銭湯」なるものも、そのお湯の質はいかに? と考えると怖ろしくてとても行く気にはならない。市内には幸い、源泉かけ流しの温泉が一つあるので、施設はB級だが、入りたければそれに行くことができる。また、循環式の公共温泉もたまには行くが、その時は必ず休館日翌日にする。お湯を交換するのは休館日の週一回と思われるからだ。――しかし最近温泉へ行くことが減った最大の理由は、家で「アロマバス」に入るようになったからで、アロマを数滴入れるだけで、そのお湯の波動的な質は、循環式温泉とは比較にならないレベルになるのである。しかも精油の選択によって波動の質を変えられるし、石鹸も天然のものを用いることができる。
松田氏も書いているが、温泉旅行となると安い買い物ではないのだから、「おたくの温泉は源泉かけ流しなのか」と電話で聞くべきであろう。団体のバスなどが来るような大きなホテルは、たいてい循環式の場合が多いようだ。私は「グランドホテル」と名の付いている旅館は絶対に避けることにしている。こんな名前の旅館にろくなものはないからだ。白骨でも入浴剤を入れていたのはグランドホテルであった。グランドホテルなどというものは、温泉旅行が、お湯の質を楽しむのではなく単に大宴会場でどんちゃん騒ぎをする慰安旅行が全盛の時代にできたものが多いのだ。そういう目的のホテルである。浴場を大きく作らなくてはならないので、よほど湯量の多い温泉でない限り、循環風呂に走ることになる。
まあ「ほんものの温泉」にはどんなものがあるのか、そういう情報も最近増えてきたし、ガイドブックだけではなくインターネットで検索して実際に泊まった人の感想を読むこともできるので、情報収集をしっかりやれば外れる可能性は少なくなるだろう。
ともあれ温泉とは本来「波動浴」でなければならない。
ところでそうした「気」を感じるというのは特別な能力ではない。人間に備わった基本的な力だと言えよう。それは齋藤孝もそう書いているし、また経絡指圧の遠藤喨及氏はそれを「プライマルな感覚であって、スピリチュアルなものではない」と言う。
もっともそういってしまうと、禅などでも「悟りとは特別のものではなく、本来の在り方にすぎない」と言うのだから、結局、プライマルとスピリチュアルとの間のどこに線を引くかはむずかしい問題だ。「スピリチュアル」とはいかに定義したらよいのだろうか。そう考えることは、つまりは、スピリチュアリティーについての言語化システムをどう作るかという問題になってくる。これも根本的には言語ゲームの世界ではあるが、どのようなシステムを取るかによって、行き着くまでの「道」は違ったものになるだろう。
さしあたり、肉体とエーテル体(気の身体)のレベルまでは、本来、人間が知覚できる領域としてあると思う。気を感じることはトレーニングすれば誰にもできるが、アストラル次元(微細界)の存在を知覚することは、かなり限定されてくる。私はどうもそこに一つの境界があるように感じる。アストラル次元の知覚は、現在の進化段階では、通常は封印されているように思う。もちろんイメージ力を通じてコンタクトすることは可能だが、その次元の「直接的」な知覚は、例外的である。
エーテル体の高度な発達は東洋文化の特徴である。トランスパーソナル心理学ではあまりエーテル体の位置づけはされていない。トランスパーソナルの学会でも、気のことはほとんど話題に上らず、心理療法のことばかり一生懸命やっているので、ちょっと文化的な断絶を感じる。その点ではトランスパーソナルよりも人体科学会の方がよい。東洋文化をふまえて人間の全帯域を地図化するとすれば、気の概念を中心にするのは当然のことである。そのシステムは、西洋の心理学とはかなり異なったものとなるだろう。もちろんトランスパーソナルでも、ゲシュタルト療法など身体技法の探究を取りこもうとしているのは事実だが、「意識」と「エネルギー」との関連がうまく理論化されていないという印象を受けている。まさにそこが「気」のポイントであるのだが。
ともあれ、夏の残りは当分、身体技法三昧ですごそうかと思う。
矢山利彦の「小周天基本功」をじっくりやってみたけど、これ、気に入った。この季節にやると気で汗だくになったりするが・・これは背骨(股関節などを含む)のゆがみを直すことにフォーカスしているのがいい。私もこれまでやってきて、何が重要といって、背骨をまっすぐにすることほど重要なことはない、と痛感している次第だ。まあ、高岡英夫のメソードもそれを目標としているが・・それから、禅密功の基本功も背骨のゆがみを直すのに優れていると思う。こちらは津村喬のビデオが出ていたが、今は入手不能でしょうねえ。今となっては貴重品だ。
ただ、矢山式はかなり時間がかかる。これと動功、本功をあわせてやると一時間くらいかかるかもしれないので、毎日続けるにはかなりの意志が必要かも。
また、明らかにつまっているところがある時はヨガの方がてっとりばやいこともある。この場合は経絡の知識があると便利なので、つまっている経絡に作用するポーズをやると一発で効く。経絡マッサージをすることもある。
ところで、楊式太極拳はこのところ毎日やっている。私は、武術的なことは追求していないので、もっぱら気功的なものとして、気感を味わうことを目的としている。太極拳はかなりブランクがあったが、楊式を覚えてからはほとんど毎日している。その理由を考えてみると、前にならっていた制定拳(48式、42式など)は、やっていてどうもいまひとつおもしろくないのだ。体操的になっていて、気功として味わいつつやるということが少ない。そういうことで、毎日やろうという気が起きなくてだんだんやらなくなってしまったのだと思う。それが楊式だと動きそのものにかなり快感が味わえる。しかも15~20分くらい続くというのもいいので、やはり5分くらいで終わってしまっては「悠久」という感覚を感じるところまではいかないし、気のめぐりも十分ではないのだ。
でも実際、『気そだて教育』は、矢山さんの本の中でもいちばんくわしくやり方がのっているので、これはかなりいけてるかな、と思うわけだが・・前回に触れられなかった、矢山さんの方法がいいというポイントをあげておこう。
1.まず気を頭頂から下げて、それから上げるようにしていること。これは、下げる方が上げるよりむずかしいのだ。上げることから始めると、初心者は頭に気が上がったまま下がりにくくなってしまい、不都合が生じることが多い。私の見聞するところ西野流呼吸法の最大の問題はそこであって、あそこはあまりにも教室の人数も多くて個人指導などできない状態であるので、初心者が行くとかなりの確率で気が頭に上がって調子がおかしくなってしまう。もちろんカルトみたいな危険はないし、西野氏自身は本物であるが、指導法に問題があるので、既に気の世界である程度の習練ができている人以外にはおすすめできない次第だ。矢山式にはこの点への配慮があると見た(中国でも小周天は上げることから始めることが多いのだ)。
2.女性は小周天の方向が反対であるということ。このことは矢山さんが初めて発見したことであって、これは、AMI(経絡機能測定装置)でのデータでも確認されたそうだ。つまり女性は体の前面で上がり、後面で降りるのである。このことを知っていないと、女性の場合えらい違い(ただ個人差も考慮に入れる必要はある)。
さっき齋藤孝の『呼吸入門』を紹介したが、呼吸についての入手しやすい本に、井上ウィマラ『呼吸を感じるエクササイズ』(岩波アクティブ新書)がある。これにはあの「アーナーパーナ・サティ」の解説がある。まあ、これだけだと私の性格ではあまりに地味すぎて実行し続けるのがむずかしそうだが、ほかにも感覚を鋭敏にするエクササイズがいろいろあって、その中にはおもしろそうなものがある。基本的には当然ながらヴィパッサナ系である。前にも触れた矢山利彦の『気そだて教育』は、子どもむきの言葉で解説してあるが内容的にはなかなか深い。特に子どもに限定する必要はまったくない。矢山式気功は小周天の完成を最終目的とするものだが、手の気感をまず高めて、それによって気を誘導するような設定になっている。これはきわめて理にかなったことで、私も、この方法がいちばんやりやすいと思っている。ところでチアの小周天の本は、「独習にはおすすめしない」と書いたけど、買った人はいるんでしょうか?? たしかにチアの本にも手で誘導する方法ものっている。小周天を誘導する技法がそれだけではなく何種類も出てくるのだ。独習の問題は、体の歪みを十分に矯正しないままクンダリニーの活性化へと入ってしまう時に特に問題になる。指導者があればそういった歪みは指摘してくれる。自分で自分のバランスの問題点を理解できるだけの力量があるなら問題はなかろうが、初心者はそのことができない。もっとも指導を受けるとはいっても、新興宗教系の団体だと、そういった十分な個人指導のないままやみくもに行法をやらせるところもないではない。チアの技法にはクンダリニーを刺激するところがかなり含まれているので、独習はやめておけと書いたのである。しかし矢山式気功は安心しておすすめできると思う。私も初心に帰ってもう一度小周天をしっかりやってみるのもいいかな、と思った。チアの方法の中からも、小周天と合わせてイメージ技法を用いるところなどは、取り入れてみようかと考えている。(私が気功系を中心にしているのは私の趣味によるものであって、ほかのヴィパッサナとかクンダリニーヨガとかの価値を否定しているからではない。念のため)
このところ、李正先生の中国製VCD『楊式太極拳伝統套路八十五式』を見ている。なんと6枚組、6時間。私の中国語はいたって初級レベルだが、動作が映像で見られるのでなんとかなっている。ここまで説明が詳しいと、だいぶわかるようになった。日本ではBABジャパンから楊式太極拳のビデオが出ているが、それとはまた微妙に違う。伝統拳の場合は、基本は同じでも人や流派でバリエーションがあるのは当然のようだ。この次はアメリカと香港の人のDVDを見るのである。こうなるといささかマニアックか・・
チアの新著を買ってしまった。Taoist Astral Healing であるが・・なんとカラー印刷。アストラルといってもあっちのアストラルのことではありません。語源とおり「星の」という意味で、これは、星のエネルギーとつながろうではないか、という気功をやるというものである。当然占星術的なものもある。いつものヒーリングタオ出版社とは違うので、表紙の絵はいたって美しい(笑) 見事なまでに反時代的な本ですなあ・・ しかし他のところでもそうだが、チアのシステムはかなり徹底して「五行」を意識しているものだ。臓器と天体、エレメント(元素)とのコレスポンダンスである。パラケルスス的なエクササイズである。
もう既に世の中では、パラケルスス、アグリッパ的な、ルネサンスにはやったような宇宙照応の思想が全盛をきわめている、ということかも。オルターナティブの知をどう位置づけるのか、といことも思想の課題ではあろう・・などと考えもするが、このところあまりむずかしいことを考える気分と身体状態にはない。
それとやっぱり『高岡英夫の歩き革命』、これに取り組んでいる。センター軸の強化に前々から興味を抱いていたので、これはいいメソードだということでやっている。
なお、今日から、本についてはアマゾンの該当ページへのリンクを、いつもではないが時々つけることにした。
いま、このコラムを書いていたら、書いているものが一瞬にして消えてしまうトラブルがあった。ある翻訳書の訳のひどさについて実名入りで糾弾する文章を書いていたのだが、「そういうことはやめておけ」という「上」からのお達しがあったもようなので、やめておくことにする。このココログの記事作成は、エスケープキー一発で全部消滅するのである。おそろしや・・
上野圭一の『補完代替医療入門』を読んだ。上野氏のホリスティック医学本はだいたいにおいて信頼に足るものであり、オピニオンリーダーとしての役割を十分果たしていると言えよう。おもしろかったのは、キリスト教神学者として有名な滝沢克己氏が「浄霊」を受けて眼病を治したことがあった、という話。
この本でも、補完代替医療(これをCAMと略する。Complementary and Alternative Medicineである)について、その身体観が「エネルギー身体」というパラダイムであることが強調されている。まさにこれが、ヒーリングの問題の中核であろう。しかし、身体がエネルギー場であるということは、すなわち、宇宙もまた全体がエネルギー場であるということを意味しているわけである。
新田義弘やミシェル・アンリなどによって、「どうしても還元できない根源的なものは〈生命〉である」という思想が語られているが、その生命を「エネルギー」として、またそれが「場」をなすものとして展開していくということに着目すれば、それは「からだ」の問題を包括することになり、霊性と身体との関係が浮かび上がってくる。これは抽象理論ではなく、この上なく具体的なこと、つまり「今ここに生きていること」に関わるものとなる。
これまでの霊性の議論は、ウィルバーのものなど見ても、補完代替医療などとの問題とどう接してくるのがあまりよく見えなかったのではないだろうか。シュタイナーでいうエーテル的なもの、アストラル的なものというのが、あまりに「意識」というコンテキストでとらえられ、「通常の自我よりも発達した次元」としてのみ理解されてしまうと、そうした諸次元は実は私たちの「からだ」の深層にあるのだ、という明白な事実が見えなくなってしまうのではないか? こういう深層身体論的なものは、ユングにもあまりないので、もっとみんなミンデルを読むといい、と思っている。『ドリームボディー』『プロセス指向心理学』『24時間の明晰夢』、もし読んでいなければすぐに買うべし! ひろくいってトランスパーソナル心理学といわれるものでは、ミンデルがいちばんおもしろい(ただ、限界もある)。また東洋人には理解しやすいパラダイムだと思う。
斎藤孝とか、あるいは古武術の甲野善紀とかがはやってきているのは、それだけの欲求があるからでもある。時代は「深層身体の文化」へ、という流れはもう確定しているのである。私も日々、そうした「現場」にいるのであって、決して話だけで知っている世界ではない。その意味で、思想は「臨床の知」でなければならぬ、と思っている。そういうわけで、「深層身体論」と宇宙論とのかかわり、といったテーマで書くことになるかもしれない。これはもちろん、前作で描いた「エネルギー場の重畳としての宇宙」という基本的な枠組に沿うものであるのだが。
このことは、「微細なもの」への感性に裏付けられ、そこに立っているものでなくてはならない。そうでなければ、人に訴えるものとはならないだろう。
また、上野氏も指摘するように、今の日本の医療制度は、その補完代替医療への取り組みにおいて最も遅れている部類に属する。こうした近代医学一元主義は、自分の身体を癒す能力が自分にあるということを見えにくくするし、また近代科学至上主義にもつながる、「イデオロギー的意味」を帯びているということもいえる。日本において、あたかも科学的唯物主義が「公認イデオロギー」のようになっているのは、つまるところ、この医療制度における制約が大きな影響をもっている。上野氏は、日本には宗教の多元主義はあるが、医療、つまり身体観(これは密接につながっているのだ)の多元主義がない、と指摘している。
つまり、癒し、ヒーリングの問題というのは、霊性を現実生活の中で活用しようという時、きわめて中心的なポイントである。近代科学は「霊性の組織的な否定」である(これはヒューストン・スミスの言)。なんとか、霊性ということを言わないよう言わないようにしてやっていこう、という方向性なのだが、これがそのまま実際の人間生活に応用されるとどういうことになるのか?――それが、いまの医療制度の問題として現れてくるのだ。
したがって、霊性を語ることは、単に「きれいごと」を語るだけではなく、時には、きわめて政治的な問題、つまり社会制度の変革という課題とつながっていることが明らかだろう。医療、身体観は、それが如実に出てくる場所なのである。
そういえば、こういうページがあったことをすっかり忘れていた(笑) 新学期でいろいろ忙しいのだが、このページは以前のさるさるより敷居が高い感じがするので、それほど気軽には書き込めないようなのだ。それに、日常が忙しくて特別に書くようなことはない。
ホメオパシーとバッチレメディーを少しやってみたが、やはり、バッチの方が微細レベルであって、ホメオパシーはより肉体次元に近いということは間違いない。ホメオパシーは西洋医学の薬に比べて安全だということになっているが、たしかに程度の差としてはその通りだが、ホメオパシーは決して弱くない。かなりの影響がある。
ホメオパシーのレメディーを新手の健康食品かサプリメントみたいにガンガン摂取したり、また西洋薬のかわりに完全に対症療法的に使ったりする人も多いらしく、ちょっと問題が生じている。本来、ホリスティック医療とは「患者中心の医療」であって、病気や症状の根本的な原因を考え、自分の感情的なパターンや日常生活のあり方を見直すような部分が出てきてしかるべきだと思う。そういうことを無視したまま、とにかく治してくれと「よく効く薬」を求めているだけでは本当の癒しにまで至らない。
残念なことに、ホリスティック医療に興味を持っている人の中でも、バッチなどには全然興味を示さない人が多い。「自分のネガティブな感情パターンに取り組む」ということの意義が理解できないのか? これは霊性への道としても避けて通れないことなのである。スピリチュアルとは何も、スゴイ世界に意識が飛んでいってしまう経験をしている、というようなことではない(別にあってもいいが)。「今ここに存在している巨大な愛の空間」をどれだけ自覚することができるか、そしてそこに立って行動できるか、というのが現在の私の理解なのだ。「無」であると同時に「無限の恵み」である何かがそこに存在する。その自覚を妨げているものは何なのか? といえば、そこで自分の持っているネガティブなパターンの問題に気づくはずではなかろうか。
ケン・ウィルバーなども、霊性の道への重要な前提として、心理療法的なプロセスをすすめている。それはもちろん多様であってよいが、そこに、「エネルギー医学的なパラダイム」に立つものが含まれてきてもいいはずだ。いや、それがこれから主流になっていくのではないか? たとえばTFT療法なんかもそこに含まれるのかもしれない。そもそも、魂とはエネルギーであるわけだ。
バッチ博士(ちなみに英国では「バック」と発音するそうだ。作曲家のバッハ BACH も英語ではバックなので、本当は同じなのである。バッチは本当は正しくない)はきわめて霊的な人物であったと思う。というのはつまり、ネガティブな感情パターンを浄化したときに、そこに何があるのか? を正確に理解していたと思うのである。すべての病や苦しみは、「そこ」に至るための過程ではないか? ということである。病とはスピリチュアルなプロセスでもありうる。
すでに多くの「愛」が差し出されているのだから、それを受け取りさえすればいいのだがなあ・・といつも思う。それは、自分でブロックしているのだ。バッチのフラワーレメディー(そして他のフラワーエッセンス)の本質は、そうした愛の放射へむかってオープンな自分を作ることにあるはず――というのが私の直感なのだ。ホメオパシーにもそれはあるが、フラワーレメディーはそれがより純粋に現れている。自分のネガティブな感情が消えていくことが、いかに歓びに満ちたプロセスであるか、ということである。
多くの人を観察していて気づいたのは、みな、栄光と光に満ちた自分を十分想像することができない、ということだ。自分はどういう世界へ向かっているのかをイマジネーションで描けるということはとても大切なことだ。
私は、自分の中の光を自覚することによって、自分の中のネガティブなものに取り組む力も与えられているような気がする。「チベットの死者の書」では、強烈なクリアー・ライトを見てそれを恐れて遠ざかってしまう魂のことが描かれているが、これは、まだ光を受け取る用意ができていない魂の状態を示している。
光を完全に受け取れるような自分になることだ。それが本当の目標だと思う。
Because the greatest love of all is happening to me
I've found the greatest love of all inside of me
というのは私の好きな歌だが(Whitney Houston: Greatest Love of All)、こういう風に、自分を超えた巨大なものが自分の中に育っていくという感覚をアリアリと感じるようになりたいものである。
この間、フラワーエッセンスをやっている人からいくつかお便りいただきましたが、また何かあればお待ちしております。では、
いやもう、その後バッチが効いてしまって・・とはいっても、レメディーのボトルを買ったのは一本だけ。花の写真が載っているカードを買った。これが何ともすごい波動で・・最初は光があまりにまぶしいので直視できなかったほど。紙片に名前を書いて波動を感じるという遊び(?)はずっとやっていて、これまでに二、三回ブレンドを変えてみた。紙片も、それをどういう順番で並べるかによって波動はかなり変わるのである。しかしこれって、正統派からみれば異端も異端ですな(笑) しかし実際に効くのだからしかたがない。みんながこれをやったらレメディーボトルが売れなくなってしまうが・・ 最近では、エッセンスになっている花の「スピリット」がもつパーソナリティーのようなものを漠然と感じるようになってきた。
私の推測では、この紙片メソードは、そのエネルギーが微細レベルであるほど効果が高いはずだ。ホメオパシーはもうちょっとフィジカルに近いので、効果はあるがフラワーエッセンスほどではない。漢方薬も生薬なら多少、普通の化学薬品はほとんど効かない・・というのが理論的に導かれる仮説だが、検証はこれから。この関連として、お守りとか護符などのエネルギー的効果ということも考えられる。この前ある神社で各種のお守りを握ってみて実験したが、厄除けのお守りと家内安全、安産のお守りでは明らかにそのエネルギーの性質が違っている。こういった種別は決してダテではないのである(ただちゃんとした寺社の場合)。
まあ私は、肉体よりもエネルギー体にアイデンティティーの中心を置いて生きているようなところがある。その傾向は最近ますます加速されてきたと思う。
バッチだけでもかなりすごいのであるが、アメリカで開発されたFESのフラワーエッセンスにも興味を持っている。ガーバーの本にもこれのことが詳しく紹介されている。
エネルギー・メディスンの面白さはかなり深いという感じ。
さて、またまたきのう頭痛がしていたところ、フラワーレメディーの名をいくつか書いて手に握っているうちに、いつのまにか治ってしまった。握ったまま横になると、全身に気がみなぎってくる感じ。これは本当らしい。また、いくつかのフラワーがブレンドするとそのコンビネーションが何とも言えず増幅されてパワーが増すような気がする。これはエッセンシャルオイルと同じような効果だろうか。
しかし、さらにいえば、フラワーの名前を念じて拳を握るだけでも気は充満してくるように思うが・・
バッチ・フラワーレメディーを始めた。バッチ花療法はいま二系統あるらしく、伝統的なバッチセンターのものと、ヒーリングハーブ社から出ているものがある。前者は伝統的、保守的だが、後者はダウジングやOリングテストなども自由で、ある意味では少しニューエイジ的とも言えるかもしれない。この前読んだ中沢あつ子の本は後者に属するようだ。レメディーの効果そのものにどの程度の違いがあるのかは実際にやってみないとわからない。
この前、フラワーエッセンスとは植物界からの愛の波動であると書いたが、本にある花の写真を見て圧倒的な「愛と光」が放射されているのを感じた、と報告してくれた人がいた。またその人は、ホメオパシー薬の名前を紙に書いたという話を読んで、フラワーレメディーの名を紙に書いて手に持って寝たところ、7~8分くらいたつとすごいエネルギーが全身をかけめぐり始めたという。体が熱くなってきたそうだ。
もちろん、すべての人がそうなるわけではなく、これはあくまでかなり微細エネルギーに敏感な人のケースである。でもほんとに、実際のレメディーはいらないのかな~、と思えてしまう。まあ少なくとも、自分に必要なレメディーを選ぶのには十分使えるな、と思う。まず本を読んで、心にひっかかるレメディーを何種類か選び出し、それを小さな紙片に書いて手に持ち、エネルギーを感じるのである。無意識に避けているものがあると感じたらペンデュラムを使って、そこで出てきたものを改めて紙に書き、感じる。ペンデュラムも自分でやると誤差が生じやすいので、最終的には自分の感覚で決定することが必要だ。この紙片メソードを使うと、何種類かブレンドするとどういうエネルギー状態になるのかシミュレーションできて大変便利かもしれない。また、花の写真をトランプのカードのようにしたカードセットが売っているので、これを紙片の代わりに使うこともできるだろう。このカード自体がかなりすごいエネルギーを持っているらしい。
ともあれ、ホメオパシーにしろバッチにしろ、エネルギーのチューニングがその本質である以上、「ブツ」はあくまでその補助手段でしかない。私たちはその物質にお金を払っているわけではないのである。むしろ「通信料」であって、そのエネルギー場にアクセスしやすくしてくれるということだ。
しかし、私の感覚だと、バッチのエネルギーはホメオパシーの数倍以上だと思う。私自身のエネルギー体への感覚としてはホメオパシーより断然強い。これはもしかしてかなりすごいものではないかと思い始めている。バッチの伝記を読んで、彼がきわめてスピリチュアルな人物であり、フラワーレメディーの発見こそが彼の「ミッション」であったという確信を持てた。つまりこれは、「あるもの」がその霊的な贈り物を人類に与えるために、媒体としてバッチ博士を選んだということなのだ。このことは一点の曇りもなく明白なことである。
ただ――本来フラワーレメディーはブランディーを入れていて、半永久的に保存できるものなのだが、日本では酒税法の関係からこれが直輸入できないので、日本向けにワインビネガーを入れている(バッチセンター製造、ネルソン社販売のものの場合)。このため、使用期限が一年くらいになってしまう。また飲むときに酢のにおいが強くてちょっと飲みにくい感じもする。これが日本でやる場合の弱点で、本来ならどーんと全セットを買って何年も使っていくことができるのだが・・ 酢の香りがいやなら「トリートメントボトル」にすれば問題ない(詳しくは本を参照)。
さっそく読者の一人から「私もホメオパシーが効いた!」という体験談が寄せられた。よく富山の置き薬の現代版である配置薬というのがあるが、ああいう常備薬のセットとして、西洋医学の薬よりホメオパシーのレメディーキットをそなえるというのはよい選択であろう。たとえばO157の中毒の時、下痢止めを飲んでしまったため毒素が排出されなかった子供は死んでしまい、飲んでいなかった子供は助かったという例もある。対症療法の恐さを思い知らされる例である。ホメオパシーのレメディーは保管状態さえよければ何年ももつのであるから経済的である。
さてそこでレメディーキットはどこで買えるかいろいろ調べたのだが、いま日本で手に入るものとしてはホメオパシー・ジャパンで販売しているものが手頃であるようだ。私もこれを頼んだのだが、これは30Cのキットなので、できれば初心者は6Cくらいのキットを選んだ方がいいとものの本にはある。ポテンシーが高くなると、レメディーがきちんと合わないとなかなか効果が現れないからだそうだ(合わなくても害はない)。ポテンシーの低いものとしては「マリエン薬局」というところで販売しているものがあったが、やや高め。それに私がほしいレメディーが入っていなかった。これは12Xというポテンシーである(希釈度は6Cと同じくらいか)。ホメオパシージャパンでは4月から6Cの単品レメディーを売るというのでそれを待ってもいいかもしれない。私はやろうと決めたら待ちきれない性格なので30Cのキットを頼んでみたが。まもなく、エッセンシャルオイルとバッチフラワーレメディーも試してみるつもりである。こちらは、そこに何か「美」を感じてしまうのである。
波動医学、バイブレーショナル・メディスンにはいろいろな種類があるが、ホメオパシーは物質(肉体)次元と微細領域とのインターフェイスにあたる、と言われている。ホメオパシー薬というのは物質をどんどん希釈していき、一般的な30Cというのは100分の1の30乗、つまりマイナス60乗であり、0.00....と小数点の次に0が60個続くことになる。もちろんここには元の分子は一個もないわけであるし(アボガドロ数のマイナス23乗以下になると分子は理論上存在しない、つまり計算上では12C以上は分子がないことになる)、つまり物質のもつ微細なエネルギー場が水に転写されたことになる。水という媒質も不思議なもので、江本勝氏の結晶写真だってどうも嘘ではなさそうだと思う。渡辺順二の『癒しのホメオパシー』はホメオパシーの不思議な部分を理解させてくれる。ホメオパシー薬というものは近代医学の薬のように単なる「手段」として見るだけではいけないのではないだろうか。つまり物質とはそれ自身の生命場を持っており、人間はそれと対話する、という姿勢がそこに入ってくるような気がする。
つまり事物のもつ深みを感じるということだ。それはアロマテラピーにしても、それぞれのエッセンシャルオイルの持つ「美しさ」を感じるところからスタートすべきものだと思うのである。ホメオパシー薬となる物質は人間に奉仕するためだけに存在しているものではないので、人間の癒しに協力してくれていることへの「感謝」と共に受け取るものではないのか。この物質はそういう愛の行為によって、ホメオパシー研究者たちに「発見されることを承諾した」のである。物質の根源にあるスピリットがそういう意志を持たなければ、決して薬として発見されることはなかったであろう。こういう言い方が近代的世界観になじまないことは自覚しているが、この感性は、ほとんどのネイティブ・ピープルが持っていたものではないかと思う。べつにオカルトでも何でもなく普通の考え方である。そういう感謝がなくただ手段として扱う人にも、効かないということはないと思うが、感謝をもって接した方が効くのではないかという気がする。いかがなものだろうか。大人よりも子どもの方が効くというのは理解できることである。
つまり私は「物質の持つスピリットとの対話」としてホメオパシーを理解したい。そこでこの間ちょっと面白いことがあった。実はまだホメオパシーのレメディーは手元にないので、まだ注文中である。ところがこの間風邪のひきかけでひどい頭痛がした。そういうときは「アコナイト」というレメディーがいいらしいのだが、こういう時にアコナイトがあれば、と思いながら寝た。普通の風邪薬は飲まないでおいた。そこでしばらくして、ふと思いついて、イマジネーションでくっきりと「Aconitum」という文字をスクリーンに浮かび上がらせ、そのレメディーをイメージしてみた。そしてそのイメージの中に自分の意識を重ね合わせ、その中に入っていくようにイメージした。すると次の瞬間、びりびりっと電気のようなエネルギーショックを感じ、思わず体が激しく動いた。・・実は、こういうことは私にはそれほどめずらしくないので、何かとエネルギーの波長が合ってエネルギーが強く入ってくるときにはだいたいそういう反応が出る。私はアコナイトのエネルギーとうまくチューニングできたのかもしれなかった。気がつくと頭痛はかなり軽減していたので、さらに今度は、紙を小さく切ってそこに「Aconitum」と書き、その紙片を手の中に握ったまま寝ることにした。するとその手から「気」が動くのが感じられ、それが全身に広がっていった。まあ、手を握るだけでもある程度気は出るのだが、この紙片はかなり気の活性化を助けてくれる。そこでいつのまにか寝てしまい、朝起きると頭痛はほとんど治っていた。
そもそもホメオパシーレメディーには物質的実質はないのであるし、その物質の持つエネルギー場と自分のエネルギー体を共振させることがその本質であり、またそのエネルギー場自体は本来時空を超えた性質をもつ(シェルドレイクの形態形成場)のだとすれば、そのエネルギー場に遠隔でチューニングすることも理論的には十分可能であるはずである。そうでなければ、遠隔ヒーリングなどということも不可能であるわけだ。実はこういうことを思いついたのは、長岡大学の定方昭夫という人がいるが、その人が、ある漢方薬の名前を書いた紙片を握るとそれだけである程度の効果が出てくる、という話をしていたのを思い出したのである。他に、あるものの名前を書いた紙片を持ってOリングテストをするとはっきり違いが出るという話もおなじみだろう。漢方薬でも効果があるならば、ホメオパシーはさらにそういう性質が出てきても不思議ではないのである。私は、アコナイトと書いた紙で効果があることをまったく疑わなかった。この、疑わなかったということも重要なのかもしれない。とすれば、ホメオパシーのレメディーって買わなくてもいいの? ということだが、そうかもしれない。でも一般的には、レメディーを通した方がチューニングは容易だろう。紙に書いただけで効果があると100%信じることもなかなか難しいかもしれないし。しかし、レメディーを選ぶのに(これがホメオパシーではいちばん難しいのだが)、そういうエネルギーチューニングを使うことは役に立つだろう。ホメオパシーのセルフケア本に書いてあることと共にOリングテストなどを併用することは考慮に値すると思う。ところで、普通の化学的な薬でもこの紙片のメソードは効くのか、それは明らかではない。理論的には、それほど効果はないと思われるのだが、試してみないとなんとも。
アコナイトへのチューニングの前に「手当て療法」も試したのだが、これは、手を当ててしばらくの間はいいのだが、なかなか効果が続かない。どうも、自分のエネルギーが落ちているからこそ病気になっているので、こういうヒーリングは健康な人にやってもらう方が効果が高いと思った。そういうふうにエネルギーレベルが低下したときには、何か「他者」のエネルギーを受け取る方が、回復のきっかけをつかみやすいと感じる。その「他者」とは、人間でなくても、レメディーの物質とかフラワーエッセンス、エッセンシャルオイルなどでもいいわけで、要は自分以外のエネルギー場との「交感」ということだ。この地球には、人間を手助けしようとする「他のエネルギー場」が多数存在していることは事実であり、私たちは、そのことに深い感謝の念を抱くべきではないだろうか。人間は自分たちだけで生きているのではないのである。バッチ博士がフラワーエッセンスを発見した時のエピソードは面白い。まさに、フラワーエッセンスがバッチ博士に「発見させた」のであって、彼はフラワーのスピリットに導かれていたのであった。
バッチのフラワーレメディーは、ネガティブな感情パターンを癒すことを目的としたもので、現在でも肉体次元の病気よりは心理的問題の解決に使われることが多いようである。しかし、「自分のネガティブな感情パターンに問題があるらしいのでそれを癒そう」と思いつくということ自体が、かなり大したものではないだろうか? 本当にネガティブなものにとらわれている人々は、そういう発想自体ができないものだろう。そう思いついたこと自体、既に回復のプロセスに入りつつあることを示していると思う。ちなみに、こういうことには女性の方が敏感であるのは一般的傾向として否定できず、男性はなかなか自分にネガティブな感情パターンがあることを認めようとしない。つまり、本来の安定した状態に戻ろうとするホメオスタシス機能がやや敏感でないと思う。この点で、一般的傾向としては、男性は女性に比べて劣っていると私は断言したい。男性を癒すことが今の世の中では急務とされていると思う。
このところ猛然たる勢いで本やCDを注文している。新しい領域に関心をひかれるようになったので、こういうときは惜しまず思い切り買うのがよかろう。ところで、どうして注文する気になったのかよく覚えていないが、リチャード・ゴードン『クォンタム・タッチ』が手元に来る。ところが・・これはすごいかも。というのは、本自体が放っているエネルギーがすごいのだ。私のサニワによればこれは相当なもの。この本は「誰でもエネルギー療法はできる」というコンセプトのものだが、著者のエネルギーがすごいので読んでいるとたしかに「自分にもできて当然だ」という気になってくる。実は、この「意識の変化」を起こさせるということがいちばん重要なことなのだ。ヒーリングの本というのはそれに成功するかどうかが鍵になる、と思うのだが、正直、読んだだけでワークをあまりやっていないのに、それでも全身にかなりエネルギーが来ているのを感じた。こういう本は久々だった。どう「すごい」のかといえば、つまり「読者に強烈な波動共鳴を起こさせる力がある」ということだ。「本とは波動で読むべきものだな」と改めて実感したわけである。ヴォイスもたまにいい本を出すんですね(笑)
もう一冊よかったのは中沢あつ子『バッチ博士のフラワーエッセンスガイドブック』である。これは、それぞれのエッセンスの霊的な意味にかなり踏み込んで解説してあり、平行して行うワークまでのっている。著者の霊性についての理解度は相当なものである。バッチの療法の基本的な意図は、「スピリットの発現を妨げているさまざまな種類のネガティブな想念、感情をワークすること」なのだ。それが非常によくわかったので、ますますこれを実際に実践してみようという気分が高まってきたのだった。
言い忘れたが本やCDだけでなくお香も買っている。今日はこのへんで売っていない珍しいお香がたくさん届いたので気分がよろしい。実をいえば、今週が経過するうちに私の中では一つの「シフト」が起こったような気がする。
『バイブレーショナル・メディスン』の再読にかかっているが、これはなかなかすごい。驚くべき本だと言える。これがすんだらVibrational Medicine in the 21st Century というのも読みたい。その他、ホメオパシー、フラワーエッセンス、ハンドオンヒーリング(レイキを含む)などは自分でも試してみることにしている。アロマについては、芳香成分という化学物質が作用するというとらえ方もできるので、完全に「バイブレーショナル」ばかりだとはいえないようだ。芳香成分については、川端一永『医師が認めたアロマセラピーの効力』(河出夢新書)に出ている。ただ、アロマの効果はそればかりではないはずで、もっと微細な「植物のスピリット」のレベルがあるに違いないと思う。そのへんはモージェイの『スピリットとアロマテラピー』でもかなり書かれていたが、英語にはそういう本があと何冊かあるのでそれを読んでみるつもりでいる。こういう研究はなかなか楽しい。
さて、これから少し「癒しの哲学」のようなことを考えていきたい。癒しというのは流行語ではあるがその最も深い部分まで到達したものを表現してみたい。具体的には最近の代替医療の流れ、その中でも特に「エネルギー医学」といわれるものに注目する。リチャード・ガーバーの『バイブレーショナル・メディスン』はこれの基本書だ。つまりは「微細身体」の問題とも言える(これについては上野圭一『ヒーリング・ボディ』)。人間をエネルギー体としてみること。しかもそのエネルギー体は多重であり、それが宇宙の多次元性と重なるということだ。もちろん『魂のロゴス』や『忘れられた真理』でも多次元性のパラダイムを描いていたが、身体性の問題は主な主題ではなかった。宇宙の本質としてのエネルギー――つまりこれが中国でいう「気」だが――が織りなす場としての身体。これが「意識エネルギー場」にほかならないのだが、これは単なる理論ではなくて、ホリスティック医学にもつながっていくし、またエーテル体、アストラル体を重視するシュタイナー教育のように、教育の変革にも及ぶ(これをホリスティック教育というが)。つまり、これからの世界観の核心は、実体としての物質ではなく、エネルギー場の重畳としてすべてを理解する「意識エネルギー場的世界観」であり、そのプラクティカルな応用として特に医療と教育があげられるのだ。よくいわれるように「癒し」healとはmaking whole全体にするという意味から来ている。日本的にいえば「命とふたたび結びあう」ということである。「産霊(むすび)」という古代語もまた「癒し」と密接に関連している。
さらに「癒しなんて甘っちょろいことを言っているんじゃない!」と恐い顔で言う「困ったオジサンたち」の権威を解体することも必要である。これはいわば「オヤジ的ゲシュタルト」であるが、こういうのはけっこう若い男にもいるものである。要は、自分で何でもできると思っていて、全体との複雑なつながりの中で生きているという事実を理解できない人々だ。「癒し」の中には「自分をより大きなものに明け渡す」という部分が含まれるが、こういう人々はここに不安を感じるのである。こういうオヤジ的感性が、官庁でも会社、マスコミ、大学といたるところで権威を持っているわけだが、こういうマッチョ性を批判していくのは、つまりフェミニズム批評という分野ともかかわる。社会はもっと女性化していくべきだと思う。ただもちろん、「明け渡す」ことは癒しには必要だが、必要最小限の自我までも放棄してしまうことがあっては、それは行きすぎというものである。そのへんのバランスは経験とともに会得するものだろう。
「気」を始め、微細エネルギーを用いたヒーリング技法は次第に定着しつつあると思うし、それとスピリチュアルな成長というテーマとの関連性も多くの人が気づいてきているところだ。それを全体として理解に収めるような包括的な世界観を提示することも意義あることだろう。
つまりそれが「意識エネルギー場パラダイム」であり、これは身体性と意識を結んでいく世界観としてあるわけだ。この枠組は、天使や菩薩といった存在者までも視界に収めることが可能である。つまり宗教の領域も扱える。
まあ、こういう発想そのものはすでに多くの人が気づいているところではある。それを思想的に組み立てるには、「場のトポロジー論理」が有効である。これは西田哲学の場の哲学にも萌芽的には見られるところだが、ウィルバーの『無境界』などにもトポロジー的発想は現れている。これをうまく扱うには唯識思想の拡張が最も効果的であると思う。
「癒しの究極とは悟りである」ということもしばしば言われる。それは間違いではない。逆に言えば、悟っていない人間は完全に健康ではなく、その意味で癒しを必要としていない人間などほとんどないということだ。「私には癒しなんていらん」と自信を持っている人こそ癒されねばならない自我の病に陥っているということかもしれない。
まあ、「癒し」という言葉を入れた方がアピールすると思うので、「癒しの哲学入門」なんて感じではどうか、と思っているのだが。
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