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見ることと、理解することは違う。


見ることと、理解することは違う。
たとえぼくが餌付けをしてグレーシャーベアをおびき寄せても、
それは本当に見たことにはならない。
しかし、たとえ目には見えなくても、木や、岩や、風の中に、
グレイシャー・ベアを感じ、それを理解することができる。
あらゆるものが私たちの前に引きずり出され、
あらゆる神秘が壊され続けてきた今、
見えなかったことはまた深い意味を持っているのだ。

星野道夫『Michio's Northen Dreams 3 最後の楽園』 p.57

アウグスティヌス『告白』より


「そこでわたしは、それらの(新プラトン派の)書物から自己自身に立ち帰るようにとすすめられ、あなた(神)に導かれながら心の内奥へ入っていった。わたしがそうすることができたのはあなたが助け主となって下さったからである。わたしはそこに入ってゆき、何らか魂の眼によって、まさにその魂の眼を超えたところ、すなわち精神を超えたところに不可変の光 lumen inconmmutabile を見た。……真理 veritas を知る者はこの光を知り、この光を知る者は永遠を知る。それを知る者は愛 caritas である。……わたしがはじめてあなた(神)を知ったとき、あなたはわたしを引き寄せて、わたしが見るべきものは存在するが、わたしはまだそれを見るだけの者になっていないということをわたしに示した。そして、あなたは激しい光を注いで私の弱い目を眩まされたので、わたしは愛と恐れとに身を震わせた。それとともに、あなたから遠く隔たり、不類似の境地 regio dissimilitudinis にいる自分に気づいたのである」
谷隆一郎『アウグスティヌスの哲学』144
『告白』第7巻第10章16

「そのとき遙かに高いところから、〈わたしは大人の食物である。成長してわたしを食べられるようになるがよい。だが、肉体の食物のように、おまえがわたしを自分に変えるのではなく、おまえがわたしに変わるのだ〉という声を聞いたように思った。……あなたは遙かに彼方から、〈わたしはわれ在りというところの者である〉 ego sum, qui sum と呼ばれた。わたしはこの声をあたかも心で聞くかのように聞いた。それゆえ、疑いの余地は全くなくなり、〈創られたものを通して悟られ、明らかに知られる〉真理の存在を疑うよりは、むしろ自分が生きていることを疑うほうが容易だったであろう。」
同、同

新カテゴリー:名文抜粋集(星野道夫)

まったく突然であるが、新しいカテゴリーとして「名文抜粋集」をつくった。

その第一弾。

私たちが日々関わる身近な自然の大切さとともに、 なかなか見ることの出来ない、 きっと一生行くことが出来ない遠い自然の大切さを思うのだ。 そこにまだ残っているということだけで心を豊かにさせる、 私たちの想像力と関係がある意識の中の内なる自然である。 (11)
 ぼくが子どもの頃に、頭を悩ませていたのは、北海道のクマの存 在である。自分か日々、町の中で暮らしている同じ瞬間に北海道で クマが生きている。そいつは今、どこかの山を登りながら、大きな 倒木を乗り越えようとしているかもしれない……そんなことを考え 始めると、不思議で不思議でならないのである。そしてその不思議 さは、自分の存在が消えてしまうとさらに不思議なのだ。つまり、 クマと出合うのではなく、その風景を天空から見ている自分を考え ることで、人間のいない世界に流れる自然の気配を想像する不思議 さである。その頃は言葉にはできなかったが、それはすべてのもの に平等に同じ時が流れている不思議さだった。 (35)


4569665578Michio's Northern Dreams (3) 最後の楽園 PHP文庫 (ほ9-3)
星野 道夫
PHP研究所 2006-01


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