119 posts categorized "霊性関連"

内なる神性を表現する二つの楽曲

内なる神性がこれからのテーマであるが、それを見事に表現したものを紹介したい。以下に紹介する二つの楽曲である。この二つのビデオは少し前のものではあるが、人類の文化遺産とまで言っても差し支えないと思う。特に歌詞をよく理解するとよい。歌詞を説明しているWEBページはたくさんあるので、意味を理解すると、また受け取る波動が違うのではないだろうか。






異言をやってみた

キリスト教系のスピリチュアル・ギフトの本を何冊か読んだが、ギフトの中でも重要なものと位置づけられているのが「異言」である。
これは、聖霊に満たされて、普通とは違うよくわからない言語で話し始めるという現象だ。パウロもこれが得意だったと言われ、人にも推奨している。

違う文脈では、宇宙語とか、ライト・ランゲージとも言われている。
この異言は意味がわからないが、その意味を解釈するのもまたギフトの一つとされる。
カリスマ系教会では、異言を語る人と解釈する人が別の場合が多いらしいのだが、もしこれを一人でやって、その解釈(翻訳)だけを語るならば、それはチャネリングという名前で呼ばれることになるだろう。したがって、チャネリングができる人は、みな異言をやろうと思えばできるはずである。

ただ、チャネリングではいろいろな存在をチャネルする。宇宙人だったり、天使や、マスターだったりするが、異言の場合は、必ず、神、聖霊でなければならない(神と聖霊は同じである)。

パウロは異言の達人であった。意味がわからないので、教会でやるときは必ず解釈がつかなくてはいけないのだが、自分で祈りの一種としてやるときには解釈はしなくてもいい。パウロは自分で一人の時間に祈りの形として異言をやっていたのである。

異言はそんなにいいのか?
・・というわけで、私もやってみた(こういう展開になるのが私の特徴だが)。
実は前から何度かやったことはあるが、普通は意味がわかった方がいいので、だいたいは翻訳を話すことになる。すなわちチャネリングの形にすることが多く、異言そのものはそんなにやっていなかった。

まず、エネルギーが流れてくる感じになる。
翻訳をオフにすると、まったく言語機能を使わなくなるので、左脳の活動が低下するわけだ。瞑想状態のような感じになってくる。そしてエネルギーが絶え間なく天から降り注いで、何かが自分の中にダウンロードされていく感覚になる。

なるほど、これはかなり強力なワークだ、と思った。これを毎日続けるとかなり変化が起こってくるように思われる。

その後で、その意味を聞いてみた。一人二役である。
あんまりやりすぎてはいけないが、継続的に異言を練習するのは、エネルギーの調整が進むのでいいことだそうだ。もともと私はギフトの中では異言とその解釈に強いそうだ。ヒーリングもそれをリクエストするならばもっとできるようになる、とも言っていた。
大事なのは、すべて知性や意識でわかろうとしないこと。自分が気づいていない部分で変化が進行していくので、すべてを自分で把握しなければならない、との考えを手放すこと。そうすれば次のステージへいくためのきっかけとなっていくだろう。・・・こんな感じのことであった。ただし、言語化したのは来たもののほんの一部である。

こんなことを書くから、知識人層はドン引きして、本が売れなくなるのであるが、まあこれが私であるから仕方ないのである(笑)

コース・イン・ミラクルズはよい波動

私は The Course in Miracles を持っていることを思い出し、テキストを少し読んでみた。するとかなりいい波動である。「平和」の波動というか、神への信頼をひたすら説いている。これはたしかに高次元が書いていると思う。

『神の使者』はどうだったのか? 『神との対話』に対抗するような表現とか、マリアン・ウィリアムソンはどうの、ディーパック・チョプラはどうのと、高次元存在とは思えないような言葉が多かったが・・・

まもなく大内博氏によるテキストの邦訳が出版される。が、これはやはり原文で読みたいので、しばらく訳書は買わないかもしれない。訳書はなんと900ページ以上だそうである。

自分の現実

なんていうか、スピリチュアルな、霊的な生き方のいちばんスタートというのは「自分に起きることにすべて責任を持つこと」だというふうに、最近感じられている。

つまり「自分の現実は自分で創造している」ということを徹底して受け入れるということだ。

そうなるといっさい、人のせいにはできない。人の悪口とか言っているようではスピでもなんでもない。それは、自分のエネルギー(現実創造の力というか)のあり方が違っていれば、そのような愉快でないことが起こることはなかったはずだからである。人に何か変なことをされたという現実を創造してしまったのは自分である。(なおこれは、犯罪者を罰しなくてもいい、というようなこととは関係ない。話をそういう方向に持って行かないようにしたい)

そこで、そういう考え方の前提として、現実にはたくさんのバージョンがあり、どのバージョンを選ぶかは自分で決定している、という見方をとる必要があるということになる。

自分の好きではない現実が現れてきたときには、自分のなかの何がそういうものを引き寄せたのか、考えてみる必要がある。むしろ、そのためのチャンスとして受け取るという姿勢が望ましい。

そう考えてみると、「人人唯識」といわれるのはある意味で本当なんだな、とも感じる。つまり自分の世界はすべて自分で作っているわけだ。(ただこれは、他者というものは一切ない、という意味ではない)

「答えの出ない問い」に対する明白な答え

一般に、「答えの出ない問い」といわれている、大きな問いがあって、「なぜここに私は生きているのか」というようなものがある。

答えが出ないといっても、それは「学校の勉強のように、正解が一つに決まり、万人がそれに異議を唱えられない確実さをもっている」という意味の答えがないということである。世の中にある「問題」の中で、そのような答えが出る問題の方がはるかに数が少ない。答えが出るように見えるのは、スポーツと同じように、ルールを決めてその中だけで勝負を決めようとしているからである。「100mを走っていちばん速かった者に栄誉を与える」、けっこうなルールだ。だが、なぜそうしなければならないのかと考えると、それには明確な「証明」はない。そういうものである。

とはいうものの、この記事で言いたいのは実はそういうことではなく、私は今、「なぜ自分はこの世界にこうして生きているのか」という問いに対して、全然迷っていない、ということである。

それに対する「証明」は提供しないが、それに対して私としては疑問の余地はない。

それは・・

「不完全な世界に入って、不完全な世界の中で、完全さを目指すという体験を選択したから」、ここにいるということである。その答えは、私にとっては疑問の余地なく正しいのである。

この、「完全でないものを体験することにより、完全さの意味を知る」という理解は、プロティノスにも出てくるし、『神との対話』にも出てくる。

これは、「不完全だからしようがない」とあきらめるわけではなく、その中で完全さを目指すという体験は、不完全な世界でしかできないわけだから、それを思い切り味わおう、という意味である。

宇宙の階層についての話~~伝統とヘミシンクと

今度の本を書いていて思ったが・・このモデルは、かなりに、右の欄にも出ているような、坂本政道さんの書いていることに近いのじゃあないか、と思えたのだった・・

つまり、ヘミシンクによる、「フォーカスレベル」という世界観・・それは、主に、「トータルセルフ」の階層構造として、宇宙を把握している。

これに対し、もう少し伝統的なものとしては、アストラル・コーザル・・などという階層宇宙モデルがあって、これは主に、インドやスーフィズムなど、神秘主義的伝統を受け継いでいるものである。スミスの『忘れられた真理』もこれを詳しく述べている。

この二つのモデルはどのように相互に関連するのかなあ・・と最近は考えている。

そこで今の段階での仮説は・・ アストラルというのは、主に、「地球圏の非物質領域」を指すものではないか、ということである。それが、モンローモデルで言えば、フォーカス23~27あたりなのだ。

コーザルとは、地球圏を超えた世界領域なのではないか。つまり、地球の輪廻サイクルには入っていない存在の世界である。ただし、身体性は微細な形で(つまりエネルギー体のような形態で)存在するので、一切のカルマから逃れた解脱の世界というわけではなく、中間の世界である。フォーカスでいうと35以上にあたるのであろうか。

つまり、エーテル・アストラル・コーザル・・というのは、ある意味で、地球人がどのように上昇していくのか、という観点から見られたモデルであって、地球外より見れば、もっとちがった視点になりそうだということである。そういう、宇宙的な視座が、モンローモデルには少し含まれているようにも思われる。その意味でこれは、今の人類に必要な、ある新しさがあるのではないかろうか。少なくともこちらのモデルのほうが、「地球外知性との出会い」という可能性へと、開いていくものをもっていそうだ。

問題あるリーディングについて(総括?)

またしても「問題あるリーディング」のネタ・・ というのも、最近、知人女性がたてつづけにリーディングを受け、それがすべて、何らかの「問題あるリーディング」だった、ということがあったものだから(笑) いかに世の中、そういうのが多いのか、と気になってしまったのだ。

1人めが、もっともこわい、「問題あるアストラル的存在」による、組織をバックにした人だった。この人は最初から、徹底したサイキック攻撃をおこなった。というのは、それまでのスピリチュアルなワークなどの価値を、まったく否定し、自分の組織でやっているものに引き入れようとする。そして「あなたには悪いものがついている」などと恐怖心をあおり、また、見えない次元では、支配するような何かを、エーテル体に埋め込もうとしたりしたようである。

このような恐ろしい人であったが、ふしぎなことに、いっしょに行った友人たちは、「いいリーディングだった」と言うのである。というのは、自分たちの言ってもらいたいことを言ってくれたから、ということである。それで気をよくして、彼女たちはそのヒーラーの「勉強会」に参加することにした、という・・ そこで、「サイキックアタックを受けた」と言っても、それは、「悪いものがついているから、そう言っているのだろう」と解釈されて、「かわいそうに、早くとってあげなきゃ」というような反応をされた、ということである。

私の解釈は、アタックを受けた人は、霊的な能力の素質があるので、自分のところに引き入れようとして、一生懸命アタックをしたのであろう、ということである。しかし、だまされるということは、いとも簡単なことなのだと実感した。リーディングを受けに来る人というのは、助けてもらいたい、導いてもらいたいという「依存心」がどうしてもある。経験ある者は、そこを巧みについて、自分に引き寄せるのである。熟練したサイキックにとっては、こういう無邪気な女性など、赤子の手をひねるようなものである。

さて2人めは、そういう邪悪なものではなかったが、明確なことを何も言わない人だった。というのは、いろいろな精神世界系の本によくあるような一般論ばかり述べていて、その人に固有の問題のようなことをあまり言わない。これは、ほんとうに見えているのだかよくわからない。そういう一般的なお説教ぽい話ばかりで、20000円とって終わったのだった。ここでの教訓は「ほんとうに見えているのかどうかわからないが、精神世界的なストーリーに相手を当てはめて自分の考えを述べ、それをリーディングと言っているようなタイプ」があるということが、わかった。むしろカウンセリングとかエンパワメントとでも言うべきであろう。それ自体、悪いわけではないのだが。

3人目は、それほど悪くはなく、参考になる部分もあったが、やはり、自分のところへ呼ぼうというところがかなり現れてきてしまった。これは、「わりとまともな人であっても、自分のところに引き寄せるということをしてしまうことはよくある」ということを学習したわけである。

このほか、周囲には、「相手を傷つける可能性をまったく考えず、見えたことをそのまま言ってしまい、悪いところが見えると、すぐお説教を始める」という未熟タイプのものも見聞されたが、これは、うまいぐあいに、行かずにすんだのであった。

「よいリーディングというのはいかに少ないものか」ということがわかったということである。

その経験をもとに話し合った結果、いちばん問題が少ないのは、「相手の守護天使レベルとつながって、そのメッセージをそのまま伝える」というような形であろう、という結論になった。これは、『エンジェル・ガイダンス』などに書かれているように、自分でおこなうことができるものではある。そういう、天使レベル以上(アストラルではなくコーザル)のエネルギーがそこに来ているかというのが大事なことである。・・ということがわかるためには、実際に、コーザル以上のエネルギーとはどういうものであるか、体験していなくてはいけないかもしれない・・そうでないと、アストラル的なものに迷わされる、という危険はどうしても消えないようである。日頃から、高次元存在からの愛のエネルギーを感じるよう努めるしかないだろう。地球では、霊性が上昇しているが、それにつれて魔界の活動も活発化していることを忘れてはならない。

「答えがないから・・」ということ

一つ、書いておきたいのは、

「答えのない問いを考えることに、意味があるのか」

という言い方があることだ。魂とか、存在の根源とは何か、という問いには、答えがないだろうというのだ。

私に言わせれば、この考え方はいかがか、と思う。というのは、こういう言い方は、その「答えが出る」ということを、どう考えているのだろうか、ということだ。それを、まるで、科学のように、「だれもが文句のつけようがないほど、白黒はっきりつけるような答え」が出ることを、期待しているように見えることだ。

つまり、考えるとか、答えを出す、ということを、あらかじめ狭く限定した上で、答えが出ないと言っているのである。

そのような「誰もが有無を言わさず納得するような答え」が、答えなのではない。それは、私の答えであり、あなたの答えなのである。

だれでも、その時点、その場において、自分にとっての最善の答えを持つことはできるのである。

「答えがないから・・」という人は、探求ということが、どういうことなのか、それを経験として知らない。頭だけで、判断している。その時において最善の答えを見出すことは、自分自身の魂レベルで、ある変容を経験することなのである。それが「イデーを受け取る」ということである。そういう経験を一回でもした人は、けっして、「答えがないから・・」などということは言わない。そんなことを言う人は、自分なりのその時の答えを考えて、そしてそれを徐々に更新していくことが、喜びに満ちた道だ、ということも理解していない。つまり、残念ながら、「答えを出す」という行為の意味を、学校の勉強をモデルにしてしか考えることができなくなっているのだ。

『あなたのガイドに願いましょう』

ドリーンの『エンジェル・ガイダンス』につづいて、ソニア・ショケットさんの『あなたのガイドに願いましょう』も、ガイドや天使と接続する方法を書いている本。表紙がきらきら輝くようになっているので、それもちょっとインパクトがある。

あわせて読むとかなり強力だと思う。こちらも相当なるおすすめである。内容的にも、だぶらない部分が多いので。基本は同じではあるが。

4478000603 あなたのガイドに願いましょう―聖なるサポートシステムにつながる方法
ソニア・ショケット 奥野 節子訳
ダイヤモンド社 2007-03-09

レイキのサードでは、ハイアーセルフにつながるエネルギーが伝授されるが、これまでの講習では、ハイアーセルフにつながる方法についての学習が十分ではないと感じていた。そこで、こういった本を副読本にして、サードのエネルギーを活用してもらうやり方が、効果的ではないかと思う。私が今後やるときはそういうふうに進めてみたい。

『エンジェル・ガイダンス』

もう一冊ご紹介。ご存じドリーン・バーチューさんの『エンジェル・ガイダンス』である。

これは彼女の初期の著作のようであるが、ひじょうにすばらしい。「聖なるガイダンス」を受け取る方法がいろいろ書いてある。

4478004196 エンジェル・ガイダンス―真のスピリチュアル・メッセージを受け取る方法
ドリーン・バーチュー 奥野 節子(訳)
ダイヤモンド社 2008-02-16

全編にわたって、聖なるガイダンスを受け取るのは特別な能力ではない、だれでもできるのだ、ということを繰り返し語っている。

実際、その通りなのだが、なかなか、「まさか自分が・・」というふうに、信じられないものである。それがこの本を読むと、なるほど、自分でもできるのかも、という気になってくる。ということは、この本の意図は成功しているということだろう。

ガイダンスを受け取るのは「見える」ことだけでなく、「聞こえる」「感じる」「直感的にわかる」というチャンネルもあるということも明確に述べ、チャンネルごとのトレーニング法も書いている。

特に重要なのは、高次元から来るガイダンスと、低次のエゴから来る声を見分ける方法を詳しく書いているところである。ここがきわめて重要で、これさえクリアすれば難しいことは何もない。自分を信頼すればよいだけだ。

ドリーンの本の中でもかなりおすすめランクの高い本と言えるだろう。

多くの人が、自分で聖なるガイダンスを受け取る能力を発達させれば、「問題あるサイキック」は駆逐されるであろう。

いかにも女性好みの表紙に抵抗感がある男性諸氏は、これも女性性を統合するトレーニングだと思っていただきたい(笑) 実際は、写真ほどピンク色が濃いものではない。

より以前の記事一覧

April 2017
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
無料ブログはココログ